一般財団法人環境イノベーション情報機構
エコチャレンジャー 環境問題にチャレンジするトップリーダーの方々との、ホットな話題についてのインタビューコーナーです。

No.088

Issued: 2019.07.19

第88回 俳優・市毛良枝さんが語る、山に登ることの楽しみと自然の素晴らしさ

市毛良枝(いちげよしえ)さん

実施日時:平成31年6月6日(木)13:00〜
聞き手:一般財団法人環境イノベーション情報機構 理事長 大塚柳太郎
ゲスト:市毛 良枝(いちげよしえ)さん

  • 俳優、特定非営利活動法人 日本トレッキング協会理事、環境カウンセラー。
  • 静岡県出身。1971年、テレビドラマ『冬の華』でデビュー。テレビ、映画、舞台など多数出演。
  • 著書に『山なんて嫌いだった』(1999年、山と渓谷社)、『市毛良枝の里に発見伝 ─関東近郊の里山21コースを徹底ガイド』(2003年2月、講談社)、など。
  • 趣味は登山。
目次
日本の豊かさが、いつしか“行き過ぎている”と感じ始めていた頃に、山と出会い、一気に好きになった
努力してつかみ取った喜びこそを、喜びと感じるタイプということが、山を知ってわかった
自然を歩くことは、私たち人間が大自然に守られて生きていることを知る手段になる

日本の豊かさが、いつしか“行き過ぎている”と感じ始めていた頃に、山と出会い、一気に好きになった

大塚理事長(以下、大塚)― 本日のエコチャレンジャーには、俳優で特定非営利活動法人日本トレッキング協会理事もされておられます、市毛良枝さんにお出ましいただきました。
市毛さんは、登山をきっかけに自然や環境に関わるエッセイの執筆や講演などに活動の場を広げられ、環境カウンセラーとしてもご活躍されています。2012年にはEICネットの「環境さんぽ道」に3回シリーズのご寄稿をいただきました。
本日は、山や自然とのふれあいについて、市毛さんご自身のこれまでの経験を踏まえたお話を伺えればと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
さっそくですが、2016年に「山の日」が制定されて、今年(2019年)で4回目を迎えます。今年はちょうど日曜日に当たり、振替休日を含めると3連休になる方も多いと思います。本来、「山の日」は、“山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する日”ということで定められましたから、ぜひ多くの人に山に行っていただければと思います。市毛さんから、過去3回の「山の日」のご経験を含めて、何かメッセージをいただければと思います。

市毛さん― そうですね、山に親しんでいただく日になってくれればいいなと思います。それ以前は「海の日」が、最も登山人口の多い日だったんですよね。「海の日」なのに山に行くってなんだろうねという話もありました。
私がちょうど山を始めた頃は、「登山の日」を制定しようという動きがありました。「10(と)3(ざん)」の語呂合わせで、10月3日を「登山の日」として国民の祝日にしようということだったのですが、それはなかなか成立しなかったのです。ちょうど秋山シーズンで、登山をするには絶好の時期です。それが、ここにきて急に「山の日」として制定されることになったわけです。

大塚― その当時は、「登山の日」だったんですね。

市毛さん― そうです。当時、ちょうど私も山を始めたばかりで、関連のシンポジウムなどに客として参加していたところ、3年ほど経った頃にシンポジウムのパネリストとしてお呼びいただくことになったのです。一人前として認められたようで、すごくうれしかったですね。
これとは少し違う動きの中で「山の日」が制定されました。夏の最中の8月ですが、でも「山の日」をきっかけに、本当の意味で自然に親しんだり、自然の大切さに気付いたりしていただけたらいいなと思います。

大塚― 市毛さんが登山を楽しむようになったのは、40代になってからとお聞きしていますが、最初に山に登って感じられたこと、あるいは登山を通じて感じた自然や環境について、お話しいただけますか。

市毛さん― 私は、高度成長期に育った人間なので、日本が豊かになっていくことを“いいな”と思ってみてきた子ども時代を過ごしてきました。ただ、ある時から“行き過ぎているんじゃないか”、“このままでいいのだろうか”と思い始めていたんですね。もともと東京が大好きで、都会が大好きだったんですけど、そのうち、都会の人がいつも怒って道を歩いているような気がしてきて、社会の閉塞感を感じ始めたのです。
その少し前になると思います。山と出会う5〜6年前のことでしたから30ちょっとだったと思いますが、アメリカに行くことがありました。当時のアメリカでは、「地球を大切にしよう」「自然が大事だ」というまちの空気を感じました。一方、日本はバブル真っただ中で、若いOLさんもブランド物を持って歩くような世の中でした。やはり日本はなんだかおかしいんじゃないかと思い始めていた時期に、俳優の仕事でも、そういう役柄が増えてきていたような気がします。世の中の空気とは別に、日本社会のおかしさに気づき始めた文化人もいて、そんな思いを込めたシナリオが書かれて、役をいただくことが増えたのだと思います。
そんな頃、たまたま山に登りました。北アルプスの燕岳に行って、お昼は燕山荘の前で、みんなでインスタントラーメンを作って食べました。おいしくいただいた後、残った汁をどうしようかと思いました。東京にいたら汁まで飲むことはまずないんですけど、でもなんとなく、山の中で残り汁をざっと流すことはできない気がしたのです。ちょうどアイスクリームを売っていた方がいらしたので、「すいません、ラーメンのおつゆを捨てるところありますか?」と聞いたら、う〜んとすごく困った顔をして、何となく私に向かって気の毒そうな表情で、そっと、「いいよ、その辺に捨てて」と言ったんですね。その言い方から、いや、捨てちゃいけないんだなというのがわかったのです。あとから知ったことでしたが、そのアイスクリーム売りの方は、当時まだ若かった、燕山荘の社長さんで、その後仲良くさせていただくことになった方でした。

大塚― ラーメンのつゆはどうされたのですか。

市毛さん― あのきれいな山の中で、あんなに脂ぎった、塩分の強いものを捨てちゃいけないと思いまして、さあどうしようと悩んだ末、もう飲んじゃおう、飲んでしまうのが一番! と思ったのです。後日、環境学者の方に伺ったら、「それが一番いい処理方法です」と言われました。
やはり、行って初めてわかることがありますよね。ある意味、一番高くて、その麓に私たちの営みがある場所に、塩分が濃くて脂分の強いものを流してはいけないということを、すごくリアルに感じました。実際に自然の中に足を踏み入れることが、すごく大切なんだと実感しました。
それとともに、初登山だったにもかかわらず、とにかくありとあらゆるいろんなものを見られたことで、自分の知らなかったところに、こんなに目眩く、宝石箱のような楽しい場所があることに気がついて、一気に山が好きになったのです。

大塚― 素晴らしい巡り合わせだったのですね。

市毛さん― 本当にそうです。神様が書いたシナリオのようなあの時の経験を超える山にはまだまだ出会っていないくらいに、ありとあらゆるものが詰め込まれていました。ブロッケン現象【1】も見ちゃいましたし、ライチョウにも逢えたんです。

大塚― そうですか、ライチョウも見られたんですね。

市毛さん― ライチョウがちょうど冬支度を始めるくらいの頃で、ツツジの上に半分白くなったライチョウに遭遇しました。なのに、コマクサの群生がまだ残っていたんですよ。それは、ちょっと奇跡的な風景でした。もうコマクサのシーズンは終わっている頃でしたが、でもわずかにコマクサの群生も残っていて、これがコマクサだよと言われました。関心のない人からしたら、それがどうしたのというようなことかもしれませんけど。

大塚― それは、素晴らしい経験をされましたよね。

市毛さん― おかげさまで。その時、気象条件も全部見せていただいたんですね。ご来光も見られましたし、雨にも降られて、そのあとには雨上がりも経験しました。ありとあらゆる変化に富んだ山だったんです。本当に、一気に好きになって、下山の時は、次はいつ誰が連れて行ってくれるのかしらと思いました。この人たちしか頼る人たちはいないんだけど、この人たちは次も私を山に連れて行ってくれるんだろうかと思っていました。

大塚― そのあとの進歩が素晴らしかったのですね。

市毛さん― いえいえ、もう一気にのめり込みましたから。

初登山(1990年9月)(市毛良枝さん提供)

初登山(1990年9月)(市毛良枝さん提供)

ライチョウ(市毛良枝さん提供)

ライチョウ(市毛良枝さん提供)


努力してつかみ取った喜びこそを、喜びと感じるタイプということが、山を知ってわかった

キリマンジャロ登頂(市毛良枝さん提供)

キリマンジャロ登頂(市毛良枝さん提供)

大塚― お仕事もお忙しいでしょうから、それほど簡単に行けないと思いますが、そうした中、時間を探して、外国も含めていろいろな山に行かれたんだろうと思います。

市毛さん― あの頃は、口先だけですけど“仕事よりも山の方が大事”などと言って、当時のマネージャーに冷たい顔をされながら、隠れて山に行っていました。

大塚― ちょっと聞き方が難しいですけど、体力面でお困りになったことはありませんでしたか。特に高山の場合、ご苦労もあったと思います。

市毛さん― むしろ、それもあって山にのめり込んだんです。それまで、小学校からずっと体育の成績が一番悪くて、先生からは「つけようがないから、ちょっとおまけしておいたわ」という感じで、ギリギリの点数で進級してきました。運動音痴だし、体力もないので、私は体育ができない人間だとずっと思っていたんです。それが、40歳になって山に登るようになって、それも初めての登山でハイキング程度と言われて行ったのに、山小屋泊まりの燕・常念の縦走ですから。あとから考えたら、あり得ないんです。あれはハイキングではないですよね。でも、その時はもう連れて行かれてしまって、「こんなところに来ちゃって、私1人では帰れない、行くしかないわ」と、もう必死でした。でも行けたことが自信になって、のめり込んでいきましたね。

大塚― キリマンジャロなど海外の登山もされていますね。どういう経緯で登ることになったのですか。

市毛さん― キリマンジャロもほぼ偶然のようなものでした。私が山好きということを知ったスタッフたちが、勝手にいろいろな企画を考えてくれたのです。最初、あるスタッフが「白馬に登ろう」という企画をもってきました。北アルプスの白馬岳です。実際に登って、すごく楽しい企画になりまして、そのときに、半ば冗談のように「次はキリマンジャロだから」と言われたんです。私はまだ山に登り始めて3年目くらいだったので、「何言っているんですか!」と言いながら、でも、ちょっと行けたらいいなと思う気持ちもあったんですね。自力ではとても行けないところでしたから、仕事にしてくれるのなら行ってみたいなくらいの気分だったと思います。
それが、半年ほど経って、半分以上冗談だったはずが、「本当に仕事にするんですけど、どうですか?」と依頼されたとき、登山家の田部井淳子さん【2】に電話をして、「キリマンジャロに登るという話があるんだけど、私に登れる山かな?」と聞いたんです。「大丈夫よ。ゆっくり歩けば登れるから」と田部井さんがおっしゃるので、「じゃあ行きます」と事務所に返事しました。
ところが、帰ってきてから、「田部井さん、登ってきた!」と言ったら、「え!? 登ったの。よく登れたね。」なんて言うのです。「あなたが行けるって言ったから、私は行ったのよ!」と言うと、「登れないかと思ったけどね。偉かった、偉かった。」なんて言われました。え〜そうだったの!と思ったことを覚えています。

大塚― キリマンジャロは、標高5千m台後半だったでしょうか。

市毛さん― 5,895mですね。ただ、私が行ったのは5,685mのギルマンズポイントというところで、実は結構深刻な高山病にかかってしまいました。同じ『登頂』という記録にはなるので、そこで下りることになりましたから、ウフルピークは行っていません。でもまあ、登れたということです。高山病の回避の仕方も覚えましたから、それも含めていい経験ができました。
キリマンジャロのあとには、ネパールのヤラピークにも行きました。やはり5千m級のところは、普段では経験できないものを見ることができました。

大塚― ヤラピークというと、最難関の雪山でしょうから、技術的にも体力的にも大変だったと思います。

市毛さん― 大変でしたね。その時はずっとテント泊だったこともあって、途中でぎっくり腰をやってしまいまして、頂上の50mくらい手前で「私はここで待っています」と言ったら、ガイドさんに叱られました。キリマンジャロの時と同じガイドさんで、「大丈夫、行きましょう」と励ましていただいて、もう必死になって、這うようにして頂上にあがりました。
その時、やはり頂上まで行けてよかったのは、チベット側が見られたことでした。「あ、チベットだ〜!」と思いながら、本当に、来てよかったなと思いましたけど、でももう腰が痛くて立てないんです。這ったまま、チベット側を覗き見ましたが、それはそれで楽しかったですね。

大塚― 達成感もあったのではないですか。

市毛さん― う〜ん、山は達成感というよりも、私は経過が好きなんです。山の頂に至るすべてが楽しいのです。その過程がないまま、ただ単に頂上に登るだけということをしたいわけではない気がします。

大塚― 苦労しなくてはいけないわけですね。

市毛さん― そうですね。山に登るようになって、私自身のことがだんだんとわかってきたように感じています。つまり簡単に手に入れることができるような、例えばお金で買えるような楽しみはあまり好きじゃなくて、自分で努力してつかみ取った喜びこそを、喜びと感じるタイプなんだということが、山を知ってわかりました。もちろん山に登るのにもお金はかかりますけど、お金で買えるものではありませんから。

大塚― 本来、みんなそうじゃないといけないのかもしれませんね。

市毛さん― 絶対にそうだと思います。だって、その方が絶対に楽しいですよ。ですけど、皆さんは案外、お金で何とかしようと思われているような気もします。


自然を歩くことは、私たち人間が大自然に守られて生きていることを知る手段になる

大塚― 話は尽きませんが、もう一つ、もう少し気楽な自然とのふれあいとして、トレッキングについてお聞きしたいと思います。
みちのく潮風トレイル【3】は、私も少しだけ行ったことがありますが、6月9日に全線開通を迎えます。記念式典・シンポジウムでは、市毛さんは基調講演されますが、トレッキング、特にロングトレイルの魅力についてはどうお感じになられていますか。

市毛さん― ロングトレイルは、トレッキング協会の常任理事をされていた加藤則芳さん【4】が、みちのく潮風トレイルの整備にものすごく力を尽くされていました。ただ、2013年に亡くなられてしまいましたので、彼が道筋をつけたその思いを次の世代に伝えていきたいというのが私たちの悲願でした。
たまたま偶然ですけれど、八戸市ルートが開通した時のシンポジウムに環境省からお声がけしていただいて、また今回の全線開通を記念したシンポジウムでも基調講演をさせていただけるというのは、何かとても縁を感じます。
私自身も、八戸・種差海岸、東松島・塩竈ルート、それと相馬市ルートに行っています。

大塚― 日本でも、ロングトレイルの文化が少しずつ根付きつつあるように思いますが、いかがでしょうか。

市毛さん― そうですね。ロングトレイル協会はだいぶ頑張っておられます。
ただ、登山・トレッキング・ハイキングに、順列はないんですね。まったくいっしょだと思います。やはり、自分で、自己完結しながら、自然の中に入っていくことが大事だと思います。人間が偉いわけではなく、大自然に守られて私たちは生きているということを知る手段になるような気がするんですね。
私、山は大好きですけど、でも、例えば山頂3千mの直下まで行けるロープウェイがあって、30分歩けば3千m峰に登れるということにはあまり興味がないんです。過程を楽しみたいですから。
もちろん、私だってロープウェイがあれば使わせていただきます。でも、やはり行く道筋にあるものを味わいながら頂上まで行って、また戻ってくるときにもまた別のストーリーがあるわけですから、それを楽しみたいんです。それは、トレッキングだろうと登山だろうと同じです。過程のいろいろなものが楽しいし、いっしょに行った人の知らなかった面を知ることもできますし、その人によって自分を知ることもできます。一人で行く場合でも、自分との対話が常にあります。何度同じ山に行っても、同じことはないというのが楽しみになっていると思うんです。
山という自分が今までかかわってこなかった全然違う世界に足を踏み入れたと思っていたんですけど、30年近くやってきて、最近思うのは、演じるという、ある種ものを創っていくという私の本業の仕事と、山に行って感動をもらうことが、実はいっしょだったということです。山には山の培われてきた文化があって、いろいろなことを知ることができます。演じることを通じて伝えたいことと、実は全く同じことだと、今はすごく感じています。

大塚― 市毛さんならではの感情だと思います。素晴らしいですね。

6月9日に開催された「みちのく潮風トレイル全線開通記念シンポジウム」の基調講演で登壇した市毛さん(環境省提供)

6月9日に開催された「みちのく潮風トレイル全線開通記念シンポジウム」の基調講演で登壇した市毛さん(環境省提供)

トレイル沿線28市町村、4県の首長等と原田環境大臣による全線開通宣言(環境省提供)

トレイル沿線28市町村、4県の首長等と原田環境大臣による全線開通宣言(環境省提供)


市毛さん― 山って、行くたびに自分でシナリオを描きながらストーリーを作っていくという感じがするんです。ですから、同じ山を何度登っても、まったく同じ山はありません。春と秋では全然違いますし、いっしょに行く人でも違いますし、出会う人でも違ってきます。ですから、山を登ることって、結局は文化なんだなと思うのです。

大塚― 最後にお聞きしたいことが今の一言に込められている気がします。
今の気持ちも含めて、多くの人たちに市毛さんからメッセージとして、山や自然との付き合い方について、またその楽しみ方について、お話しいただければと思います。

市毛さん― 本当に、山に行かないのはもったいないと思います。というのは、都会にいると人間が一番偉いような気がしちゃうと思うんですね。なんせ、便利ですから。交通機関も縦横無尽に走っていて、お金さえ払えばどこへでも行けますし、車だったら自分の行きたい場所に自由に行けます。
でも、自然の中に入った時に、人間ってこんなに無力なんだということを実感させられると思います。天気が悪くなってきただけで、「ああ、神様が行くなと言っているかもしれないな」と思ったり、ヤブからカサっていう音がするだけで、「クマですか〜!」と思ったりします。恐怖との闘いみたいなところもあるのです。
なので、あえて不便なところに身を置いてみませんかと、すごく思います。あえて不便なところに行って苦労するからこそ、感性も研ぎ澄まされます。
私、最初に山に登った時に、つらくてつらくてたまらなかったんです。そんなとき、途中で一休みしていると、すぐ横に風に吹かれているイワカガミのピンクの花が目に入って、「あなた、こんなところでがんばっていて、偉いね!」「でも、大変だよね、ここ」なんて語り掛けていました。そんなふうに花と語り合いながら、「この花がこんなにちっちゃいのにがんばって咲いているんだから、私もがんばらないと!」と思えたんです。
たぶん都会にいるとそんなささやかなものには目がいかなかったと思うんですね。豪華なランやバラの花の美しさに惹かれて、買って飾りますよね。でも、都会にだって、例えば、オオイヌノフグリという変な名前ですけど可憐な花がひっそりと咲いています。目をやりさえすれば、小さな自然は都会の中の踏み固められた地面にも、咲いているんですよ。
意識さえすれば、都会でもいくらだって探せるんですけど、まずとっかかりとして知るためには、何もないところ、いえ、何もないと思われているところに足を踏み入れて、でもそこがいかに大自然の宝庫であるかということを知っていただくと、都会での過ごし方も変わってくるかなと思います。
私が山に初めて行った頃よりも、今の都会の人たちは、もっともっと怒って歩いているような気がします。ちょっと肩が触れただけで、「てめえ!」なんてカッとくるような人が増えています。こわいです。もう少し心を落ち着かせて日々の生活を過ごしてほしいなと思います。

大塚― 自分で探そうという市毛さんの言葉が印象的です。

市毛さん― おもしろいことはいくらでも自分で見つけられるというふうに、私自身が山に行くようになって変われましたので。

大塚― 今日は、本当にありがとうございました。


俳優で特定非営利活動法人日本トレッキング協会理事の市毛良枝さん(左)と、一般財団法人環境イノベーション情報機構理事長の大塚柳太郎(右)。
俳優で特定非営利活動法人日本トレッキング協会理事の市毛良枝さん(左)と、一般財団法人環境イノベーション情報機構理事長の大塚柳太郎(右)。


注釈

【1】ブロッケン現象
 太陽の光が背後から射し込み、目の前の雲粒(霧粒)によって光が散乱されることで、自分自身の影とその周りに虹のような光の環が見える現象。ドイツのブロッケン山でよく見られたことから名づけられた(別名、ブロッケンの妖怪とも呼ばれる)。日本では、仏の背後の光輪を思わせることから、ご来迎(らいごう)とも呼ばれる。
【2】田部井淳子さん
 登山家。1939年福島県三春町生まれ。2016年10月、腹膜癌で逝去(享年77歳)。
 1975年、世界最高峰エベレストに登頂(女性世界初)。1992年、女性世界初の七大陸最高峰登頂者となる。
 出版物に『それでもわたしは山に登る』(文藝春秋)、『山の単語帳』(世界文化社)など。
【3】みちのく潮風トレイル
 青森県八戸市から福島県相馬市までの太平洋沿岸をつなぐロングトレイル。その最大の魅力は、海の景観をダイナミックに感じるスポットの豊富さ。日本一美しい断崖やリアス海岸ならではの風景、恵み豊かな世界三大漁場など見どころが目白押し。2019年6月に全線開通。
【4】加藤則芳さん
 バックパッカー、作家(ネイチャーライター)。1949年、埼玉県生まれ。山麓を自然とふれあいながら歩く山歩きのスタイル「ロングトレイル」の第一人者。2010年に筋委縮性側索硬化症を発症し、2013年4月逝去(享年63歳)。

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