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No. アメリカ横断ボランティア紀行(第14話) ヨセミテ国立公園へ!
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Issued: 2008.01.10
ヨセミテ国立公園へ![3]
 目次
ヨセミテ国立公園の誕生
ヨセミテ国立公園のダム湖!?
ヨセミテ国立公園到着!
ヨセミテバレーの周回道路
資源管理上の課題
ヨセミテ国立公園の誕生
ヨセミテバレーとマーセド川の流れ。世界中から多くの人々が訪問する。

 ヨセミテ国立公園は、1890年に国立公園として設立された。1872年に世界初の国立公園としてイエローストーン国立公園が設立されてから18年の年月を経ていた。
 ヨセミテ国立公園の核心部、ヨセミテバレーとマリポサの巨木群(計約150平方キロメートル)は、1864年に連邦政府からカリフォルニア州政府に対し、公園の設立を目的に委譲されている。当時としては画期的なことで、連邦用地の委譲のために制定された「ヨセミテ公園法」が、後にイエローストーン国立公園設置法の下敷きにされたとも言われ、アメリカの国立公園の原型とみなされている。

 「ヨセミテ」といえば、「国立公園の父」と呼ばれるジョン・ミューアが活躍し、アメリカの国立公園制度の原型が形作られた地として知られている。その意味で、米国国立公園の発祥の地とも言える。
 1916年の国立公園局設置法によれば、「国立公園(national park)」とは、現世代がその資源を消費してしまうのではなく、次の世代にもその恩恵が享受できるような形で利用し、伝えていくというものだ。このような国立公園の概念は、カリフォルニア州知事に宛てて提出されたヨセミテバレーの管理の改善に関する要請書に、その原型を見出すことができる。この要請書は、ニューヨークにあるセントラルパークの生みの親である造園家(landscape architect)のオムステッド(Fredrick Law Olmsted)が、1865年に提出したものだが、当時の政治的な利害関係から握りつぶされてしまう。
○国立公園局組織法(National Park Service Organic Act of 1916)からの抜粋
 国立公園局の目的:「景観、自然及び文化的な遺産、区域内に生息する野生生物を保護するために設立された連邦所有地である国立公園、国立記念物、保護区等の利用の振興と規制を行うことにより、これらの資源を損なわずに次世代に引き継ぐことのできるような形で国民がその恩恵を享受できるよう管理すること」
 この設置法で打ち出された「保護と利用の両立」という概念が、国立公園制度の基本的な考え方であり、目標といえる。

※英語の原文:
The service thus established shall promote and regulate the use of the Federal areas known as national parks, monuments, and reservations hereinafter specified by such means and measures as conform to the fundamental purposes of the said parks, monuments, and reservations, which purpose is to conserve the scenery and the natural and historic objects and the wildlife therein and to provide for the enjoyment of the same in such manner and by such means as will leave them unimpaired for the enjoyment of future generations.

・国立公園局組織法(国立公園局ウェブサイト):
http://www.nps.gov/legacy/organic-act.htm

 ミューアは、オムステッドの要請書が提出された3年後の1868年に初めてヨセミテを訪れ、その自然のすばらしさに感銘を受けた。その後この地で羊飼いやホテル従業員、ガイドなどをしながら生活し、シエラネバダ山脈を踏査した。ヨセミテのすばらしさを、サンフランシスコの新聞などに記事として投稿するとともに、自らの調査結果をもとに、ミューアはヨセミテバレーが氷河により作られたことを実証してしまう。その論文はそれまでの学説を覆したばかりでなく、ヨセミテの原生的な自然を広く社会に広げる役割を担った。
 ところが、当時のヨセミテ州立公園は、不法侵入、伐採、牧畜などにより自然環境が危機的な状況に置かれていた。ヨセミテの自然を守るため、ミューアはヨセミテ国立公園の設立を提案し運動を展開した。その結果として、国の森林保護区としてヨセミテ国立公園が設立されることになった。ヨセミテ国立公園の設立は、セコイア国立公園が設立(1890年9月25日)された数日後のできごとであり、後にキングスキャニオン国立公園に編入されるグラント将軍国立公園の設立と同日(1890年10月1日)のことである。
 また、こうしたヨセミテの保護活動の経験から、ミューアはシエラクラブを設立し、同団体はアメリカ合衆国でも有数の自然保護団体へと発展していった。
ヨセミテ国立公園のダム湖!?
 ヨセミテ国立公園には、実はダム湖がある。ヨセミテバレーの北方約30キロメートルにあるヘッチヘッチー湖だ。もともとはヘッチヘッチーバレー(Hetch Hetchy Valley)と呼ばれる、ヨセミテバレーに引けをとらない景観地だったが、サンフランシスコの慢性的な水不足の解消を目的に、ダムが建設された。アメリカの国立公園の歴史の中でも、最大の汚点のひとつといえる。ジョン・ミューアは、彼の設立したシエラクラブとともにこの開発計画の阻止に向けて闘ったが、組織の分裂や政治的な圧力などもあり、ダム計画は1913年に正式に決定された。そして残念なことに、その翌年、ミューアは息を引き取ってしまう。
 ところが、このヘッチヘッチーダム問題は、思わぬ成果をもたらした。この問題をきっかけとして、1916年に米国内務省に国立公園局が設立されたのだ。また、自然保護団体も世論形成能力と政治的な運動の必要性を痛感し、組織の規模拡大や財政基盤の強化、ロビー活動の展開などが進む契機となった。こうしてアメリカの国立公園制度は徐々に強化され、NGO団体もその勢力を拡大する大きなきっかけになった【10】
 ところで、国立公園局の設立は、引用した組織法(囲み)によるが、その法律の中で打ち出された「保護と利用の両立」という概念が、国立公園の人気を高めると同時に、国立公園の管理を複雑で難しいものとしたのも確かだ。
【10】 1920年に制定された連邦発電法(Federal Power Act)の翌21年の改正によって、国立公園及び国立記念物公園内におけるダム建設は、連邦議会による特別の承認がない限り禁止されることになった。この改正は、自然保護活動家などの活動に負うところが大きいとされている。
ヨセミテ国立公園到着!
 ヨセミテ国立公園のゲートを過ぎ、しばらく公園道路を走る。何気なくトンネルを抜けると、そこに有名な「トンネルビュー」が広がる。国立公園の核心地、ヨセミテバレーの入口に位置する展望台からは、氷河によって形作られたすばらしい地形が一望できる。
 拍子抜けするほど簡単に、これらのすばらしい風景を楽しむことができる。道路脇の広々とした駐車場に車を停めるとすぐ目の前に雄大な景色が広がっていて、バスや自家用車でアクセスできるのだ。これこそがアメリカの国立公園の魅力といえる。
トンネルビュー1
トンネルビュー。まるで人の手がまったく入っていないかのような原生的な風景が広がっている。
後から後から大型バスが到着する
後から後から大型バスが到着する。サンフランシスコからは日帰りも可能だ。
トンネルビュー2
トンネルビューも、一歩展望台を離れてみるとこのとおり。これでもまだ混雑していないそうだ。

<ヨセミテ国立公園>
・ヨセミテ国立公園(国立公園局ウェブサイトより):
http://www.nps.gov/yose/planyourvisit/maps.htm
・第1話参照(ヨセミテ国立公園の紹介記事):
http://www.eic.or.jp/library/pickup/pu060324.html#b10
ヨセミテバレーの周回道路
すばらしいヨセミテ滝の眺め。その手前、写真の向かって下の方に周回道路を走る車の列が見える。

 ヨセミテバレーには周回車道が整備されている。片側2車線のゆったりした道路を走り、雄大な風景を満喫しながら自由にドライブできる。一方通行区間も多いので、距離は短いものの「やむをえず」もう1周しなければならないという事態も起きる。その意味で、「車で思う存分走り回ってください」といわんばかりの施設設計だ【11】
 駐車場や路傍駐車場も充実している。氷河で削られた巨大な一枚岩のエルキャピタン、ハーフドーム、数多くの滝、広々とした自然草原(メドー)、透明な水の流れるマーセド川と、どこを切り取っても絵になる。気が付くと、また車を停めて写真を撮っている始末。このすばらしい風景をのんびりと楽しめないのが、いかにも貧乏性な観光客だ。

 ヨセミテバレーとは規模が違うものの、日本の上高地といろいろな意味で共通しているように感じる。氷河によって形成された荒々しい地形、アクセスが1箇所に限られる盆地と集中する利用客。美しい森林と澄明で豊かな川の流れ。違うのは、まさに道路と自家用車の管理だ。
 上高地では、昭和50(1975)年の夏に日本で初めてのマイカー規制が導入された。利用者は麓の駐車場に車を停め、シャトルバスで上高地に入山する。また、上高地のバスターミナルより奥には車道はなく、盆地内は年中「歩行者天国」だ。
 そんな光景に慣れていた私にとって、ヨセミテでのドライブには罪悪感もあった。
 「やっぱりこの道路建設はやりすぎではないか?」
 そんな考えが頭を離れない。その一方で、「これはすごい」という気持ちも抑えきれない。車でどこへでも行ける自由。次第に「これがアメリカの国立公園なのだ」という気持ちが強くなっていった。郷に入らば郷に従え、ここでは私は一介の外国人観光客に過ぎないのだ。

 宿泊は公園内のバンガロー。私たちの予算では、公園内のバンガローか公園外の安モーテルがせいぜいで、ヨセミテ公園内のホテルにはとても泊まれない。季節はもう5月というのに、朝方には気温は氷点下になる。シュラフと毛布だけではなかなか眠れなかった。
【11】 ヨセミテバレー地区拡大地図(国立公園局ウェブサイト)
http://www.nps.gov/yose/
planyourvisit/upload/valleymap1000.gif
バンガロー
宿泊は常設テントのようなバンガロー。朝方は氷点下にまで気温が下がる。

資源管理上の課題
 見所満載の公園だけに、過剰利用は大きな問題だ。利用者はメモリアルデー(毎年5月最後の月曜日)付近から始まる休暇シーズンに集中する。写真撮影や散策のために歩道を外れて植生に立ち入るため、植生が荒廃する。利用者の持ち込む食料やごみによって餌付けされたクマが起こすテントや車両の被害は、年間800件を超えるそうだ。裸地化した草地から流出する有機物質は河川の水質悪化や透明度の低下につながる。

 バレー内には無料の巡回シャトルバスが運行されており、このバスを利用する人も多い。日本ではそれほど違和感がないが、車社会のアメリカでシャトルバスが受け入れられているのはかなり意外だった。もちろんそれには理由もある。ヨセミテバレー内の駐車場はかなり限られているため、夏の休暇シーズンにあちこちの見所を回ろうとすると、行く先々で駐車場を探したり並んだりしなければならない。15分間隔で運行されているシャトルバスに乗る方が楽なのだ。レンタサイクルもあり、渋滞でのろのろとしか進まない自動車の列を尻目に、家族連れが自転車で走り抜けていく。とはいえ、路上駐車する車は絶えず、路肩の植生の荒廃や渋滞の原因になっている。
仮設のインフォメーションステーション
日帰り客用の駐車場の側に設けられた仮設のインフォメーションステーション
無料のシャトルバス
ヨセミテバレー内で運行されている無料のシャトルバス

 公園外からの汚染の影響も深刻だ。カリフォルニア州は米国でも特に大気汚染が進んでいる州のひとつに数えられる。西海岸地域に広がる人口密集地帯から流入する汚染物質が原因で発生する「かすみ」が景観を損ない、植生への悪影響も懸念されている。
グレーシャーポイントという展望台からの眺め
グレーシャーポイントという展望台からの眺め。霞がかかっているのは、おそらく大都市から流れ込んできた汚染物質によるものだ。

 移入植物対策も課題となっている。特に、2000年ごろに行われた道路工事の際に、工事車両によって意図せず導入された移入種の種子が、道路沿いに繁茂している。主に職員が手作業で駆除作業を行っているが、繁殖個体数が多いため、ガスバーナーによる焼却除去も行われているそうだ。
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