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No. アメリカ横断ボランティア紀行(第23話) さよならレッドウッド
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Issued: 2010.01.21
さよならレッドウッド[1]
 レッドウッド国立州立公園を去る時が目前に近づいてきていた。アラスカでの2週間があっという間に過ぎ、滞在期間は残すところあと1ヶ月ほどになっていた。次の研修地、ワシントンDCでの研修が11月半ばから始まる。出発までに、荷物の整理、職員へのインタビュー、そして職員向けに、私たちの研修成果に関するプレゼンを行わなければならない。二次林の調査もまだ担当分が残っている。
 10月に入ると、夜、雨が降ることが多くなった。レッドウッドに雨の季節がやってきたのだ。レッドウッドの静かな雨音を聞いていると、来月にはここを出なければならないということが信じられなかった。私たちは、すっかりこの森と公園が気に入ってしまっていた。

アメリカ横断ボランティア紀行 INDEX はこちら

 目次
引越し準備
旅の計画
資源管理部長インタビュー
保護地域の管理と資源管理の歴史
引越し準備
 レッドウッドは緯度からすると日本の青森県のあたりだが、太平洋に面しているため、気候は湿潤で、気温は滅多に氷点下にはならない。日本人にとって、この湿潤で温暖な気候は何よりだ。夜間、静かに降り続く雨音にはなぜかホッとさせられる。私たちが最初の研修地であるマンモスケイブからここに到着した1月にも、こんな雨が降っていたことを思い出した。

 アラスカから帰ってくると、夏休み中に大勢働いていたボランティアやインターンはほとんど大学に戻ってしまい、事務所は静けさを取り戻していた。雨期に入り雨の日が多くなったこともあり、野外作業に出る頻度も減ってきた。蚊がいなくなった代わりに、森の中でじっとしていると体が冷えてくる。針葉樹が多く地形が厳しいレッドウッドでは、雨が降ると足元が滑りやすくなる。GPSの精度も下がってしまうので、雨期はあまり調査には向いていない。
レッドウッド二次林調査の風景。レッドウッドの切り株(写真向かって右)と、切り株から萌芽更新したレッドウッド(同左)
レッドウッド二次林調査の風景。レッドウッドの切り株(写真向かって右)と、切り株から萌芽更新したレッドウッド(同左)
二次林の中に続く林道。両側には荒れた二次林が広がる
二次林の中に続く林道。両側には荒れた二次林が広がる
 一方、私たちの方は、急に身の回りが慌しくなってきた。まず、アラスカでの調査内容が予想以上に充実していて、インタビューの内容をまとめるだけでも一仕事だった。また、レッドウッドで溜め込んだ国立公園局の資料が山のようになっていて、これを分類して整理しなければならなかった。国立公園局分は、レッドウッド滞在中にとりまとめて処分する予定であったが、資料が増えるばかりで整理が追いつかない。
 加えて、次の研修地であるワシントンDCへの途中、国立公園局や野生生物局の機関を回ることになっており、アポイントをとるためのやりとりに相当時間がかかった。ワシントンDCでの住居の調整や、転居のための手続きなどもある。
 そして何より、私の中で、この巨大でシステマティックな国立公園局という組織の全体像が、まだ理解できていないというあせりがあった。
 なぜ、一般の市民からの信頼がこれほど厚いのか、なぜ自然地域における公園において文化的な遺産を一体的に管理できるのか、なぜ日本にはない資源管理部門の機能が発達してきたのか、またその役割とは…。これらの疑問への答えはまだ得られていなかったが、これまで集めた資料やインタビューにいろいろなヒントがあった。
 特に、アラスカでの一連のインタビューにはかなりの手ごたえがあった。ただ、その答えをはっきりとした形にしていくのは、最後の研修地であるワシントンDCまでお預けになりそうだった。

旅の計画
【図1】I-80号線とI-70号線ルート図(ユタ州内)

 引越しの準備を進める中で問題になったのが、移動ルートの選定だった。ロッキー山脈をいつ越えるか、またどこを越えるかによって、横断中の予定が大きく左右される。
 ワシントンDCのボランティア開始は11月中旬。ロッキー山脈に雪が降り始めるのは例年10月半ばなので、安全を考えればそれまでに急いでロッキー山脈を越え、コロラド州デンバーに入ってしまいたい。
 デンバーには重要な連邦政府機関が集中している。デンバーで時間をかけてインタビューを行い、次にワシントンDCに近いウェストバージニア州まで足をのばして、国立公園局と魚類野生生物局の研修機関を訪問するのもひとつの手だ。結局、安全優先で、早めにロッキー山脈を越えることにした。
 一方、経路選定の焦点はザイオン国立公園だった。ザイオン国立公園は、VERP【1】の手法を導入した代表的な例でもあり、ぜひ訪問したい公園だった。ザイオン国立公園を回るとかなり遠回りになるものの、インターステート70号線(I-70)を通ることになる【図1】。I-70の南側はいわゆる「グランドサークル」と呼ばれる国立公園の密集地帯だ。少し道をそれるだけでいくつもの国立公園や国立記念物公園を訪れることができる。マンモスケイブからもレッドウッドからも遠く、今回の横断の途中訪問しなければもうチャンスはないだろう【図2】。
【1】 VERP
第14話「ヨセミテ国立公園へ!」
第21話「アラスカへ(その3)」
【図2】ロッキー山脈越えのルートとグランドサークル周辺の国立公園

 ただ、I-70は最短距離となるインターステート80号線(I-80)よりも標高差が大きく、荷物を満載して走るにはあまり向いていないルートだった。ノーマルタイヤしか持っていないので、下り道で雪に降られたらかなり危険だろう。  「無理にロッキー山脈の国立公園に行かなくても、行ってない国立公園はこの近くにもあるわよ」  地図を見ながら妻がオレゴン州のあたりを指さす。確かにクレーターレイク国立公園にも行っていない。せっかくレッドウッドにいるのだから、太平洋岸地域の公園を優先する方がよさそうだ。ちょうど横断ルート上にあり、大きく回り道する必要もない。  こうして、ザイオン国立公園とグランドサークルの国立公園密集地帯はあきらめて、オレゴン州の国立公園を訪問した後に南下して、I-80でロッキー山脈を横断することにした【図3】。
【図3】アメリカ横断ルート(レッドウッド〜ワシントンDC)

資源管理部長インタビュー
インタビューの際、テリーさんと記念撮影

 出発を目の前にした月曜日の朝、資源管理及び科学部(Division of Resource Management and Science)部長のテリーさんのインタビューが実現した。

 テリーさんは体格がよく、いつも親しく挨拶などをしてくれる。私たちボランティアは職員ではないので、組織上の上下関係といったものはないが、「部長」というと公園では所長に次ぐ役職になる。テリーさんはそんな肩書の堅苦しさを感じさせない人だった。レッドウッドの歴史や自然、文化遺産にとても詳しく、私たちも含め、職員皆が尊敬するテリーさんのインタビューは、今回の研修のまとめに欠くことのできないものだったが、とにかく忙しい人で、これまで的また時間が取れずにいた。
 
 まずは経歴をうかがってみる。何となくかしこまってしまっておかしいが、今まで改めて聞いたことはなかった。
 「初めて採用されたのは環境保護庁(EPA)でした。ダラス(テキサス州)のフィールドオフィスに6年間勤務した後、国立公園局のデンバーサービスセンター(DSC)の環境調査チーム(Environment Survey Team)に勤務しました」
 それ以降、1980年から現在に至るまで、24年間をこのレッドウッド国立州立公園で過ごしている。いわば、レッドウッドの自然と文化の「生き字引」だ。
 「レッドウッド国立公園に来ることになったのは、DSCの環境調査チーム在籍中に、この公園の集水域修復計画(Watershed restoration plan)の策定に携わったことがきっかけでした」
 この計画は、国立公園区域拡張の骨格ともいうべきもので、レッドウッドの原生林再生に欠かせないものだ。1978年の公園区域拡張直後の最も重要な時期に抜擢されたことになる。
 「国立公園局は、レッドウッドの広大な伐採跡地を再生するために、とにかく専門家を探していたんです。当時は、水棲動物、魚類、野生生物、植生、地質学などに関する専門家が集められましたが、いずれも臨時職員でした」
 水生生物学者として採用されたテリーさんは科学部門(science division)の部長になり、後に科学部門と資源管理部門(resources management division)が統合された際に資源管理科学部長に就任した。
 「現在では、ほとんどの公園で資源管理部門と科学部門が統合されていますが、以前はそれぞれが独立していました。科学部門が公園内の自然資源について調査し、問題が見つかった場合に資源管理部門が処理していたのです」

保護地域の管理と資源管理の歴史
テリーさんから頂いた図書「Preserving Nature in the National Parks」

 「米国の保護地域の管理は、まず区域に沿ってフェンスを設置することから始まりました。つまり、自然地域の境界を定め、人の立ち入りを制限すれば、公園を守ることができると考えていたのです」
 また、現在国立公園局が管理している国立記念物公園(National Monument)は、以前は森林局が管理していた。これらの公園を引き継いだ当初は、国立公園局も森林局同様、クマにエサを与えて利用者の見せ物にするなどのビジターサービスを提供していた。
 「こうした国立公園局における保護地域管理の考え方が変化してきたのは、レオポルドレポート(1963年)【2】が発表されてからです。このレポートにより、保護地域での資源管理や保全に関する新しい考え方が導入されました」
 テリーさんは席を立ち、1冊の本を書架から取り出した。
 「これらの歴史については、この本がとても参考になります。よかったら差し上げます」
 差し出されたのは"Preserving Nature in the National Parks"(『国立公園における自然の保護』)というちょっと厚めの本だった。まさに、国立公園における科学的な管理の変遷などについてまとめた書籍だ。
【2】 レオポルドレポート(1963年)
第14話「ヨセミテ国立公園へ!」脚注20参照
 「連邦議会は、1933年に法律【3】を制定して、それまで他の政府機関が管理していた国立記念物公園(National Monument)、国立レクリエーション地域(National Recreation Area)などの公園地を、すべて国立公園局の管理としたのです。その目的は、こうした公園内の資源の保護(resource protection)でした」
 この法律により、国立公園局は単に山奥の大規模な国立公園だけでなく、史跡や都市部のレクリエーションエリアなども含む、巨大な「国立公園システム」を管理する組織となった。

 「さらに、1970年には、連邦議会が『公園ユニットは、すべて同程度の保護を受けなければならない』という解釈を打ち出したのです。これが、国立公園システムの管理の方針転換を決定的なものとしました」
 この「解釈」は、それまで利用に重きが置かれ、軽視されがちだった公園内における自然の保護や調査のあり方を見直し、小さな歴史公園から大規模な国立公園まで、同じレベルの自然管理が行われることになったということを意味している。
 1960年代後半から環境保全に対する意識が高まり、1969年のNEPA、水質保全法の制定など、合衆国政府でも環境問題への対応が急ピッチで進んでいた。国立公園局の資源管理方針転換は、これに続く1970年代に起きており、こうした環境保全運動(conservation movement)の高まりとも無縁ではないだろう【4】
【3】 1933年に法律を制定
「Park, Parkway, and Recreation Area Act」または「Executive order, Administration Reorganize Agencies Act」と呼ばれる。
【4】 1960年代という時代
第14話「ヨセミテ国立公園へ!」
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