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アメリカ横断ボランティア紀行(第36話)
ドンさんインタビュー(2回目)
Issued: 2013.06.10
ここでドンさんの話はより大きなテーマに展開する。それはアメリカの民主主義についてだった。民主主義が有効に機能する前提は何だろうと、ドンさんから質問が投げかけられる。社会科の模範解答としては、皆選挙制度に支えられた選挙権、被選挙権の確保ということだろうか。
「民主主義が健全に機能する前提は、しっかりとした価値観と判断能力を有する中産階級が存在していることです。それを逆手にとったのがプロイセンのビスマルクでした」
国民皆選挙権はビスマルクによって初めて導入された。
「ビスマルクの狙いは、選挙権所有者を広げることにより平均的な有権者の教育水準や有権者の持つ情報や判断能力を低下させ、民意をコントロールしやすくする、というところにあったといわれています。新たに加わった有権者は、難しい『事実』よりも、単純で魅力的な『愛国心』を好む傾向があるのです。言い方は悪いですが『無知な有権者は操作が楽(easy to manipulate uninformed people)』ということになります」
現代アメリカの課題も、このような「ゆがんだ民主主義」によるものなのだろうか。
「有権者の多くが正しい意思決定をするために必要な情報を持たず、また十分な教育を受けていないことにあります。アメリカでは、もともとは資産を持つ白人男性のみが選挙権を有していましたが、現在は女性、移民なども含む幅広い有権者により構成されています。今の有権者には、『強いアメリカ(strong America)』『星条旗を支える(support the flag)』などの観念的で単純なスローガンが支持されています」
人種のるつぼであるアメリカ合衆国が拠って立つものが民主主義に基づく制度だ。判断を下す連邦議会や大統領は、一定の要件を満たすすべての成年男女の投票により選ばれる。もし、このドンさんの仮説が正しいとすると、皆選挙制度によって有権者の判断能力が実質的に低下することになる。
「アメリカではメディアに流れる情報が劣化しています。その結果、平均的な米国市民は重要な情報に接する機会が少なく、かつ、そのような情報を客観的に判断することができないのです」
これは今の日本社会にも共通していることではないだろうか。
「テレビなどのメディアには、センセーショナルだが意味のない情報ばかりが氾濫し、正確なニュースがほとんどありません。信頼できる情報源というものが驚くほど少なくなっています。30年ほど前までは、ABC、NBC、CBSの三大ネットワークテレビのイブニングニュースの信頼性が高く、ほとんどの人がこれらの報道番組を見ていました。番組構成の変化も影響しています。かつては客観的で正確な報道を行うために、放映時間の85%がニュースなどの事実報道にあてられ、残り15%が論説でしたが、現在のニュース番組の85%は論説や、いわゆる知識人のコメントやディベートなどにあてられています。事実に関する報道はほとんどありません」
確かにCNNを見ていると、そこに流れ続けている映像や情報は膨大だが、「有識者」のコメントや解説、ディベートなどが流れているだけだ。今起きていること、今叫ばれていることだけがたれ流されていて、こうした番組を見た後には徒労感や無力感だけが残る。
「現在はネットワークテレビが普及し、何百というチャンネルがあります。ところが粗製濫造で信頼性が低い。某テレビ局のように極端な保守派が所有していて、信頼性よりも視聴者の愛国心を鼓舞するような番組すらあります。テレビ局同士の競争も激しく、以前ほど予算も時間もかけられなくなってきています」
ケンタッキー州にあったマンモスケイブ国立公園のボランティアハウスのテレビでは、他の地上波は受信できなかったのに、その保守系テレビ局だけは受信できた。
「アメリカが今まさに直面している重大な問題、例えば年金制度問題に関する客観的な報道はほとんどありません。また、一般の人々もそのような深刻な番組を見たいとは思わないでしょう。アメリカで今最も人気のあるテレビ番組は『Desperate House Wives』(邦題:デスパレートな妻たち)というメロドラマなのです。CBSのニュース番組ではありません」
もうひとつの重要な媒体である新聞にも同様の傾向があるという。
「全国紙として現在も情報の質を高く維持している新聞はニューヨークタイムズだけでしょう。その対極にある『USAトゥデイ』紙は、簡単な内容の芸能記事や人目を引くような記事ばかりで、あまり重要な内容は含まれていません」
私たちの「愛読紙」は残念ながらこの新聞だった。スポーツ新聞と一般紙とを組み合わせたような紙面は確かに読みやすかった。
「私は、毎朝4時に起きてニューヨークタイムズやワシントンポストなど信頼できる数紙に目を通します。職場でいろいろな案件に取り組む前に、世の中で何が起きているのかを知っておきたいためです」
次は教育の問題だ。
「教育は学校で行われるものばかりではありません。むしろ家庭でのしつけや自分自身で教養を豊かにするための勉強が重要なのです」
国によっては学校教育がゆがめられてしまっている場合もある。アメリカにしても、民主主義の基本である「チェック・アンド・バランス」を維持していくためにも学校以外での教育の充実が必要だろう。
「現代のアメリカ人には、自分や家族の教育に充てる時間がそもそもないのです。共働きが多くなり、子育てや仕事などに追われています。子どもの教育はおろか、自ら勉強したり、将来のことを考えたりする余裕がありません。もし、こうしたことに関心があれば、ぜひ『民主主義の未来』という本を読んでみてください【3】」
意外な展開ではあったが、このお話によりアメリカのテレビ番組やインターネット、新聞などについて常日頃から持っていた疑問や違和感が少し解消できた気がした。
温暖化の影響や石油開発が野生生物にどのような影響を与えているかをわかりやすくまとめた資料(ファクトシート)。ウェブサイトには掲載されていなかった。
南極国立野生生物保護区に関する膨大な量のファクトシート。ファクトシートのもとになる調査データも蓄積されている。
では、このような変化が保全行政にどのような影響をもたらすのだろうか。
「魚類野生生物の生物学者は、生き残りのために科学的な事実の報告の方法を変えてしまったのです。本当に得られている生のデータを出さずに、政治家の顔色を伺いながら言い回しをかえるようになりました」
そのような変化が、魚類野生生物局そのものの信頼性や適切な政策決定のプロセスを狂わせてしまっているというのだ。
「自然環境に重大な影響があってもそれを事実として公開せず、何もなかったような振りをするようになってしまいました。もちろん、担当レベルが科学的情報に基づいて判断したことを、何らかの事情で上層部が覆すことはやむを得ない場合もあります。判断を覆すことができる権限を持っている職員がその役割を果たせばいいだけです。問題は、現場の科学者自身が科学的な事実を隠蔽することになったということです」
ブッシュ政権は、専門家による外部評価(peer review)のプロセスを導入するなど、「科学」的な分野に力を入れているとされていた。
「実際には科学的な知見の公表を遅らせ、かつ情報をあいまいにしているだけなのです。特に気候変動については、いまだに実証できる科学的な根拠が十分ではないというのが公式な見解です。そのような態度をとっていると、アメリカは15年後、20年後、欧州や日本に大きな差をつけられてしまうでしょう」
実際に、南極国立野生生物保護区(Arctic National Wildlife Refuge)のホームページからは、温暖化影響に関する多くの科学的なデータが削除された。
「削除はホワイトハウスからの指示でした。その中には、気候変動によるホッキョクグマとポーキュパイン・トナカイの減少、石油・天然ガス掘削による生態系への影響などに関する詳細なモニタリングデータなどが含まれていました【4】。例えば、ホッキョクグマは子育てのために流氷中に巣穴をつくり冬眠・越冬しますが、気候変動の影響で氷が融ける時期が早くなって十分に子グマが育たないうちに海に放り出されてしまうことが多くなったというものもありました」
また、魚類野生生物局長は、法律により何らかの生物学的な教育及び実務経験が求められている。これに準じ、同局の幹部にもそのような知見や経験が求められてきた。
「ところが、最近では生物学を専門としない職員が野生生物保護区管理所長になったりしています。その他の幹部にも生物学の知識のない職員が増えています」
これまでには考えられなかったことだという。
「管理職は予算や人事など面倒な業務をこなさなければならず、単に生物に詳しいだけでは勤まらないという背景があります。これが『優秀な科学者は最悪の管理者である(good scientists are worst managers)』と揶揄されるゆえんでもあります。確かに、パブリックインボルブメントのプロセスや外部とのパートナーシップ構築は、生物学的なトレーニングでは身につかないものです」
その点で、国立公園局は正反対のプロセスをたどっているという。
「私が国立公園局を担当していた頃、国立公園ユニットのうち100ヶ所には科学者が一人も配属されていませんでした。国立公園局は利用者誘導や混雑解消と取締りにばかり力を入れていて、最近まで公園の資源管理(科学的調査や外来生物対策など)は二の次にされていました。改善されたとはいえ、現在もその傾向は強いと思います」
ここで、いよいよドンさん手作りの料理が登場した。カニから肉を取るところからすべてを自分で行うというクラブケーキだ。ワシントンDCでもおいしいクラブケーキの食べられる店はあるが、これはさすがに別物だった。食事をしながらも日本の環境省や国立公園について質問される。本当に若々しく好奇心旺盛な方だ。その上押しつけがましいところや偉ぶったところがまったくない。
こうして2回目のドンさんのインタビューが終わった。別荘からの帰り道でも「若手のメンタリング」とか、「アメリカのデモクラシー」といった話題が脳裏に浮かんでくる。現代アメリカの保護区制度や管理体制を考える上で、そうした視点が大変重要だということがようやくわかった気がした。
アメリカは民主主義の国といわれる。ところが、これまでの歴史の多くの部分は、大企業や営利団体への利益を代表する政治家によって運営されてきた面も否めない。アメリカの民主主義の魅力は、そのような強大な政治的圧力があったとしても、市民、有識者、資産家などによる直接的な働きかけにより、時に大きな変革が起きるということにあるのかもしれない。
寄付の文化はその代表的なものであるが、ボランティアとして直接参加することも民主主義のひとつの形態ではないかと感じるようになった。自らが大切と考えることへの「参加」が個人の社会への貢献を充実するとともに、社会が少しずつ変わり、よくなっていく。ボランティア受け入れ側は参加者に多くの責任や貢献を求める一方、それに値する経験や待遇、施設、そしてやりがいのあるプログラムを提供してくれる。これは、初めてこのプログラムに参加したマンモスケイブ国立公園で実感した、ボランティアに対する社会の評価の高さもうなずける。ボランティアと民主主義、この一見関係のなさそうなことがドンさんのお話で結びついた。
当時大詰めを迎えていた研修レポートの作成は、お世辞にも順調とはいえない状態だった。ドンさんのお話を伺わなかったら、おそらく研修レポートはうまくまとめられなかっただろう。それほど手ごたえのあるインタビューだった。
また、組織を若々しくダイナミックに保つためのメンタリングの話は、私に大きな余韻を残した。私たちのような人間を2回にわたって招いてくれたのも、もしかするとドンさん、テイコさんの若手を育てようという意志の表れなのかもしれない。事実、この2回のインタビューだけは自分たちの努力だけでは絶対に実現することはできなかっただろう。
ドンさん、テイコさんご夫妻と。
今となっては3人の子どもの世話に追われる毎日ですが、アメリカ滞在中は「親の立場」でアメリカ社会を見たことがありませんでした。ドンさんのパートナーのテイコさんとのお話は、いつの間にか「女性の仕事と家庭」に関する話題になっていました。アメリカ社会では管理職のポストに女性が起用されることが日本より多いのは容易に想像できます。それだけに、なかなか難しい現実もあるようなのです。
テイコさんのお話によると、管理職の女性の中にも、家族との時間、家庭を大切にしたがっている職員が増えてきている、というお話でした。女性が第一線で活躍することはもちろんいいことなのですが、仕事によっては転勤もあります。仕事は大切とはいえ、そのために長期間家族と離れ離れになってしまうこともあり、こうしたことに疑問を感じる職員が少なくないそうです。また、その傾向は要職に就いている優秀な女性ほど強いというのです。このため、最近ではインターネットやテレビ電話などを活用して在宅で仕事をする女性職員も多いようなのですが、テイコさんはそうした在宅勤務の職員たちのスケジュール調整に苦労するそうです。時間を決めて電話会議などをしても、やはり、顔を合わせてのコミュニケーションとは違います。オフィスを不在にしていることが多いと、ちょっとしたことなどもなかなか相談ができず、仕事もはかどらないそうです。在宅で仕事をしたいという女性たちの希望と、組織としての業務の遂行を両立することは現実にはなかなか簡単なことではないようです。テイコさんにはお子さんがいませんでしたが、もし子どもがいれば仕事にもいろいろな影響があったのではないかとお話してくれました。
また、別の機会にボストンに住む友人と子育ての話題になったことがありました。彼女には当時2歳になる男の子と、2人目のあかちゃんがお腹の中にいました。私たちが遊びに行ったのがちょうどつわりのひどい時で、それでも我慢して仕事を続けていました。今のライフスタイルを維持するためには夫婦2人で働かなければならないが、一方で子どもを自分の手で育てたいという悩みもかかえていました。その男の子にはベビーシッターを雇っていましたのでお金もかかりますし、また相性のいいベビーシッターさんを見つけるのも一苦労だと言っていました。彼女は、日本では子どもが生まれると、ほとんどの女性は仕事をやめて自分で子どもを育てていると思っていて、それを羨ましがっていました。日本でも仕事と子育ての両立を頑張っている女性が増えてきたことを話すと、「本当にそれでいいの?」と驚いていました。その彼女からは、その後3人目のお子さんが生まれたという知らせと写真が届いています。今も仕事と子育ての両立をがんばっているようです。
『沈黙の春』をきっかけとして盛り上がりをみせた環境保護運動初期の1964年に、釣魚及び狩猟鳥獣局(Bureau of Sport Fisheries and Wildlife)の下に、希少または絶滅の恐れのある野生生物種委員会(Committee on Rare and Endangered Wildlife Species)が設置された。この委員会により、はじめてのレッドブックが作られ、63種が絶滅の恐れのある種として選定された。
1966年、連邦議会は種の保存という問題に包括的に対応するため、絶滅危惧種保護法(Endangered Species Preservation Act)を制定した。この法律は、連邦政府機関に対し、絶滅の恐れのある野生の脊椎動物の生息地を守ることを義務付けた。しかしながら、それは各機関のミッションに適合し、かつ実現可能な範囲に限られていた。また、絶滅危惧種やその一部(部分)の商取引の規制は盛り込まれなかった。このため、実際にはこの法律に基づいて絶滅危惧種の捕獲が禁じられたのは国立野生生物保護区だけであった。一方で、同時にこの法律に基づき、絶滅危惧種保護のための保護区を設立する権限が同局に与えられた。
この法律自体にはあまり実効性がなく、「広範だが効力のない政策(Broad but toothless policy)」と呼ばれたが、その後の法制度の基礎を作り出すことになった。
1969年に制定された絶滅危惧種保全法(Endangered Species Conservation Act)は、無脊椎動物にも保護の網を広げた。違法に捕獲されたは虫類、両生類、貝類、甲殻類などの野生生物が州をまたいで取り引きされることは、レイシー法(Lacy Act)の改正によって規制されることになった。
また、この法律は内務長官に対し、国際的に絶滅が危惧されている種のリストを作成し、それらの種の輸入を禁止することを求めるとともに、種の保全に関する国際条約の制定を促進することを求めた。その結果、ワシントン条約(Convention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora: CITES)に関する会議が、1973年の2月から3月にかけてワシントンDCにおいて開催された。米国は1973年3月3日に条約に署名し、1975年7月1日に連邦議会により条約締結が承認された。1972年、連邦議会は海棲ほ乳類保護法(Marine Mammal Protection Act of 1972: MMPA)を制定し、海棲ほ乳類の捕獲及び輸入を禁止した。
この後、1970年代前半の環境保全運動の大きな盛り上がりを背景にして、1973年に絶滅危惧種法(Endangered Species Act: ESA)が制定された。
(条文) | (内容) |
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2 | 連邦議会の確認及び宣言のリスト |
3 | 定義 |
4 | 種選定の手順 |
5 | 生息地保護のための土地取得権限付与 |
6 | 絶滅危惧種プログラムにおける魚類野生生物局と州政府との協力 |
7 | 連邦政府機関、種の保護及び種もしくはその個体の生存に影響を及ぼす恐れのある行為を行なう際には、事前に魚類野生生物局に協議することを、連邦政府機関に対し義務付け |
8 | 国際協力 |
9 | 希少もしくは絶滅の恐れのある種の採取・捕獲の禁止 |
10 | 第9条に関する除外規定 |
11 | 取り締まりメカニズムと罰則規定 |
12 | スミソニアン研究所に対する、絶滅危惧植物の状況のレビューと植物保全方策の開発に関する指示 |
13 | 他法令との調整 |
14 | 絶滅危惧種法の規定と重複する既存の絶滅危惧種関連法の規定の無効化 |
15 | 5年間を1サイクルとする予算の権限付与 |
16 | 法律が有効となった日の特定 |
17 | MMPAの規定を弱めることにつながる絶滅危惧種法の解釈の防止 |
18 | 内務長官に対し、年関係費報告を種ごとに作成して提出することを要請 |
記事・写真:鈴木渉