環境庁(当時)の職員から大学教授へと華麗な転身を果たしたH教授が、環境にかかわる内外のタイムリーなできごとを、環境行政マンとして過ごしてきた経験に即して解説します。
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第7講 亜鉛の環境基準をめぐって(付:レンジャー今昔物語)
第6講 半年継続記念 読者の声大特集(付:コーべ空港断章)
第5講 脱ダム、自然再生、環境教育 三題噺
第4講「或る港湾埋立の教訓」
第3講「Hキョージュ、水フォーラムを論じ、
ダイオキシンを語る」
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No. 第6講 半年継続記念 読者の声大特集(付:コーべ空港断章)
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Issued: 2003.07.03
H教授の環境行政時評 (第6講 その4)
コーベ空港・断章

Aさん―(無視して)ね、センセイ、第4講で、瀬戸内法と「埋立ての基本方針」を話してくれましたよね【8】。例のコーベ空港はどうだったんですか。

H教授―(苦い顔)いいたくない、それにぼくは最後のときには関わっていない。

Aさん―(憤然として)わかりました、ワタシ、指導教官を変えてもらいます。

H教授―(泣き出しそうに)わかった、わかったよ。知ってる限りのことは話すよ。

平成になるかならないかの頃だ。ぼくがまだ環境庁(当時)の役人だったときに、マスコミがあることで取材に来た。

Aさん―えっ、マスコミの取材を受けるようなポストにいたんですか?

H教授―ぼくだって管理職だった。もっとも端くれの一人だったけど。
その記者が帰りがけに「ところでコーベ空港にはどう対応されるんですか」と聞いてきた。

Aさん―コーベ空港は「埋立ての基本方針」に照らすとノーだったんですか?

H教授―(答えず)「埋立ての基本方針」以上に、コーベ空港にはいろんないきさつがあって、環境庁としては、というかぼくらは、まえから苦々しく思っていた。

Aさん―へえ、なんで?

H教授―もともと関西空港はコーベ沖が最有力候補だったんだけど、コーベ市が公害の元だというんで断ったんだ。で、いまの場所に決まったという経緯がある。

Aさん―今の関空は「埋立ての基本方針」ではOKだったんですか。

H教授―ま、関空は国家プロジェクトだしねえ。それに伊丹廃港と引き換えだということもあって認めざるをえなかった。伊丹では公害問題で、周辺市町が移転を要求していたし。

Aさん―だって、伊丹空港は今でもあるじゃないですか。

H教授―そう、周辺市町が移転から存続に180度方針転換しちゃったからさ。さらにこの頃からいちどは自分の方から断ったはずのコーベ市が空港建設を言い出し、市議会の全党派が公害なき空港をという始末。
でもぼくらにしたら、ここでコーベ空港なんか認めたら「埋立ての基本方針」が泣くという思いがあった。

Aさん―そりゃそうだ。踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂ですね。

H教授―運輸省がどう思っていたかは知らないけど、「環境庁さんをクリアするのが先決です」と環境庁に下駄を預けてきた。
コーベ市は正攻法じゃダメと思ったんだろうな、政治的に動きだした。

Aさん―じゃ、コーベ市からは連日の陳情ですね、接待もたっぷり受けたんでしょう。

H教授―(吐き捨てるように)冗談じゃない! 接待どころかただのいちども説明にも陳情にも来なかったよ。コーベ市は市役所内に空港整備室を作ったりしてどんどんと進めてるみたいだったけど、環境庁には一切接触なし。わざと避けていたとしか考えられない。ぼくらは市の環境部局にしかパイプがないから、環境部局に問い合わせるんだけど、私らにはまったくわかりませんと言うばかりで、いちど説明に来るように伝えてくれと言っても馬耳東風のありさま。

Aさん―なんでですか?

H教授―事前調整というのが日本的ルールだけど、別に法律で事前調整を義務付けているわけじゃないし、第一、環境庁がどういうかわかりきっていただろうから、環境庁をまったく無視して政治的に外堀を埋めようとしていたんだと思う。
もうこっちはイライラ、カリカリさ。そこにマスコミが来たんだから結果は想像が付くだろう?

Aさん―(ワクワクしながら)ええ!

H教授―翌日の新聞一面トップに「環境庁、コーベ空港認めず」の大見出し。

Aさん―へー、先生の発言が新聞の一面トップに! (小声で)もう一生ないでしょうけどね。

それで? そういう場合って、議員さんからの圧力もすごいんじゃないですか? (ワクワク)

H教授―あまり言いたくない。想像に任せるよ。

Aさん―え〜そんなぁ。じゃあ、環境庁のトップはどうだったんですか?

H教授―もちろん説明して納得してもらったさ。ま、ほんとうに納得したかどうかは別にしてね。で、あるとき「某代議士先生に説明を求められた、君の方から説明しといてくれ」っていわれて、某議員室まで行った。

Aさん―へええ、面白そう。

H教授―思いっきり、頭ごなしに、怒鳴られちゃった。議員室に入るなり「貴様らは国賊だ!」ってね。
でも一緒に行った局長はえらかったよ、「国賊と言われましても、それは見方次第でございますから」って平然と答えてたね。

Aさん―本当は、もっといろんなこと言われたんじゃないですか? 「木っ端役人のくせに!」とか「政治の力を見せつけてやる!」とか?

H教授―(顔をゆがめつつ)思い出したくない...。

Aさん―まあいいや。で、最後にはどうなったんですか?

H教授―ぼくはそのあとすぐ異動したから知らないが、数年間はがんばりとおしたみたいだよ。

Aさん―地元の反対運動はなかったんですか?

H教授―年に1回反公害デーというのがあって、被害者団体や公害反対運動の人たちが環境庁に来る。瀬戸内海でもそういう市民運動の連合体があってコーベがその中心なんだけど、いろんな要望というか要求を環境庁に突きつけるんだ。ま、一種の団体交渉みたいなもんだ。その年の公害デーは、この騒動の直後で、ぼくがその交渉の相手役をやらされていた。
さいごにぼくは言ったよ。
「みなさん、瀬戸内海を守れといろいろおっしゃいますが、要望書にはコーベ空港については一言も書いてないのはどういうわけですか、先日の新聞で環境庁は認めないと言ったわけですが、いろんな圧力がかかって困っています。みなさんは環境庁の味方をしてくれないんですか、空港建設に賛成なんですか」って。
とたんにそれまでの勢いはどこへやら、コーベ空港については、なかにいろんな意見がありましてなかなかまとまりませんって一気にシュンとなっちゃった。

Aさん―でも、環境庁も最後はゴーサイン出しちゃったじゃないですか。

H教授―その事情はぼくは知らない。海外勤務中だったからね(註)。それなりにミティゲーション【9】したんだろうけど、なんでも阪神大震災が転機だったらしい。コーベが元気出さなければいけないって。
でもねえ、ぼくは未だにわからないんだ。だって震災復興で空港どころじゃないってのがふつうだろう? なんでそんなになったのか。
編集部註: プロフィールにもあるように、米国ハワイ州の「ハワイ東西センター(East-West Center)」に7ヶ月半の間、客員研究員として「環境プログラム部(当時)」に在籍。
何を勉強してきたかは誰も知らないが、噂によると、うら若き女子留学生と仲良く机を並べることだけを楽しみに、日々を過ごしていたとか、いなかったとか...
 ハワイ東西センター
ハワイ東西センター(ハワイ州オアフ島)は、1960年に米国政府がアジア太平洋地域との連携強化という長期ビジョンに基づき創設。国際的に認知された、教育および調査研究機関。
East-West Center
【9】 ミティゲーション(環境影響緩和措置)
人間の活動によって発生する環境への影響を緩和、または補償する行為をミティゲーションと呼ぶ。急激な湿地帯の減少に対処するため、1970年頃に米国で生まれた。ミティゲーションの対象は、現在でも湿地が主流となっているが、必ずしも湿地に限るわけではない。米国の大統領府直属の環境諮問委員会(CEQ)による整理では以下の5段階をあげている。
  1. 回避(Avoidance):ある行為をしないことで影響を避ける。
  2. 最小化(Minimization):ある行為とその実施に当たって規模や程度を制限することによって環境に与える影響を最小化する。
  3. 修正・修復(Rectifying):影響を受ける環境を修復、回復、復元することによって、環境に与える影響を矯正する。
  4. 軽減(Reduction/Elimination):ある行為の実施期間中、繰り返しの保護やメンテナンスを行うことで環境に与える影響を軽減もしくは除去する
  5. 代償(Compensation):代替資源や環境を置き換えて提供することで、環境へ与える影響の代償措置を行う。
より簡易に、「回避」、「低減」、「代償」の3段階に分類することも多い。 これらの5ないし3段階はその順に検討することとされるとともに、米国では、ミテイゲーションの結果、環境影響をトータルでゼロにするノーネットロス原則が前提となっている。日本ではアセス法アセスの評価においてミティゲーションの考え方が採り入れられたと言われているもののノーネットロス原則は前提とされていない。 本来的意味合いから離れ、代償ミティゲーションのみをミティゲーションとみる矮小化されることも多い。
Aさん―センセイがそのときいればストップできました?

H教授―そんなわけないじゃないか! たかが木っ端役人になにができる!

Aさん―で、皮肉なことに、ちょうどその頃から反対運動が強くなってきたんですよね。

H教授―つまりその頃から、時代は急に変わりだしたんだ。環境の問題というよりは、借金漬け財政の批判がはじまり、政策決定の不透明さが問題になり、住民参加や地方分権、情報公開が言われだし、公共事業への風当たりが強くなった。そういう意味でもあの反対運動の波及効果は大きかったと思うよ。
ま、いま工事中のコーベ空港をどう評価するかは歴史が判断するんだろうけど。
Aさん―あのとき造っといてよかったって評価されるかもね。センセイがコーベ空港に反対したのは高邁な理念からじゃなくて、「埋立ての基本方針」っていうものに愚直に囚われてただけの融通の利かない愚かな役人根性だって評価が下されるかもしれないですしね。

H教授―そのときは甘んじて自らの不明を恥じるよ。

Aさん―コ−ベを垂れてでしょう?
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