環境庁(当時)の職員から大学教授へと華麗な転身を果たしたH教授が、環境にかかわる内外のタイムリーなできごとを、環境行政マンとして過ごしてきた経験に即して解説します。
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第7講 亜鉛の環境基準をめぐって(付:レンジャー今昔物語)
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第5講 脱ダム、自然再生、環境教育 三題噺
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No. 第7講 亜鉛の環境基準をめぐって(付:レンジャー今昔物語)
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Issued: 2003.08.07
H教授の環境行政時評 (第7講 その4)

Aさん―カッコいい! そういえば、あそこにはスカイラインもロープウェイもありましたよねえ。センセイもそういうたいへんな板挟みにあったんだ。

H教授―(照れくさそうに)いや、ぼくの赴任したときはそこのスカイラインもロープウェイもほぼ出来上がっていたから、そうでもなかった(笑)。
でも環境庁ができてからは格段に自然公園の規制の運用は厳しくなり、とくに核心部での新たな観光開発は認めないようになった。

Aさん―でもそれだとレンジャーってやっぱりこわもての規制だけに聞こえるんだけど。

H教授―だから、レンジャーってのはただ規制するだけじゃなくて、目に見える形で地元にも貢献しているというのを見せなくちゃいけないというんで、地元の人たちを組織して任意団体をつくり、みんなで清掃したり、その団体のカネで学生のバイトを使って山のパトロールや清掃もさせた。でも泊まるところがあるわけじゃないから、夏の間は狭い事務所兼住宅には常時10人前後が泊まってたりした。全共闘くずれの山好きの学生たちばっかりでねえ、まるで梁山泊だったな。いまにして思うと懐かしいよ。

Aさん―へえ、おもしろそう。で、そのあとは?

H教授―東京で総理府というところに2年間いたあと、南の霧島屋久国立公園のレンジャーになった。えびの高原に駐在し、特異な火山地帯である霧島地区全域が担当だった。えびの高原の中心部は例外的に環境庁の管理する公園専用地だったから、そこだけはアメリカ型と言って言えないことはない。

でもねえ、たとえば大雨で樹が倒れたりしていれば、それまではそこの管理者に電話して「片付けといて」と言うだけでよかったんだけど、環境庁の土地や施設なら自分がしなきゃいけない。人手もカネもないから大雨のときなんかは自分でシャベル持って駐車場や遊歩道を回ったよ。
またここでも平湯温泉のときとおなじように、夏休み中は学生のバイトを何人もわが家に寝泊りさせた。このときはすでに結婚してて赤ん坊もいたから随分子守もさせた。

ま、こういう風に3箇所でレンジャーやったんだけど、その頃の単独駐在のレンジャーの直属の上司はいきなり霞ヶ関の係長や補佐ということになるから、個々のレンジャーが手づくりで仕事を作っていたような面も多かったな。
レンジャーの現在と将来

Aさん―へえ、おもしろそうだ。ワタシもやってみたいなあ。

H教授―いまではもうそんな非組織的なことはしてないよ。あの頃だからできたんだ。

Aさん―え、なんで、なんで?

H教授―じつはぼくがレンジャーのあと、霞ヶ関に戻って全国の国立公園の許認可の窓口の仕事をしたんだけど、とにかく申請の数がすごいんだ。電柱一本立てる申請まで霞ヶ関に来るんだもの。あまりの数のすごさに閉口して、この許認可の権限のうち軽易なものを現地に下ろそうとした。

許認可は名目的には環境庁長官がするんだけど、実際は専決といって、権限は局長に下ろされていた。それをさらに下ろすには最低でも所長でなくちゃならないんだけど、当時はちゃんとした所長がいる国立公園管理事務所は全国で10しかなかった。でも国立公園は当時で27あったから、法のもとの平等の原則に反するというので、ネックになっていた(その後、昭和62年に釧路湿原が指定され、現在は28国立公園になっている)。
で、ある日、ふと思いついたんだ。熊本営林局というのは熊本だけじゃない、九州全部を管轄している。じゃ、阿蘇国立公園管理事務所と言うのは阿蘇国立公園の管理事務所ではなくて、阿蘇にある九州全体の国立公園管理事務所、つまりブロック事務所とみなしてもいいじゃないかって。霧島屋久国立公園のレンジャーは阿蘇国立公園管理事務所の所員にしてしまえばいいって。
当時の環境庁の法律担当の事務官は呆れていたね。役人と言うのはどんなことがあっても権限を手放さないものだのに、自分から屁理屈をこねて手放そうとするんですかって。

Aさん―で、どうなったんですか。

H教授―数ヶ月は不眠不休だったけど、この「ブロック・専決制」はみごと実現した。それから20数年、所長の格もだいぶ上がったし、いまや自然保護事務所となり、公園の外のことまで権限が及ぶようになった。もちろんそれは時代の流れで、遅かれ早かれそうなったんだろうけどね。
でも、例えば朝の連ドラにもでてきた吉野熊野国立公園管理事務所は和歌山の新宮にあったんだけど、いまでは近畿地区自然保護事務所になり、昨年大阪市内に移転した。
それに、環境省には自然保護事務所のほかに、地方環境対策調査官事務所というのがある【6】んだが、産廃Gメンを作れという声もあることだし、いずれは統合して地方環境局みたいな話になるのかも知れない。

Aさん―でも、折角レンジャーを志して入っても都会のど真ん中で仕事するんじゃあ、可哀想。

H教授―自然保護事務所は関係機関との調整なんかが便利なように、都会にでる傾向があるけれど、全面撤退するんじゃなくて、もちろん現場にもレンジャーは駐在させているよ。
ところで、ぼくらがレンジャーのとき仲間とよく語っていた夢が2つあるんだ。
ひとつはアメリカのような国有の公園専用地からなる国立公園で、ナチュラリストのレンジャーがいっぱいいて許認可などに追われない理想的な「大国立公園」が生まれないかという夢だ。
もうひとつは国立公園のなかだけじゃなくて、広くオールジャパンでの自然保護に関与したいという夢だね。
いまは後者の方向である程度進んできたみたいだけど、前者の目もまったく消えたわけでもないんじゃないかな。国有林がどうなるかだけどね。

Aさん―え? どういうことですか?

H教授―さっきも言ったように林野庁は林業経営でメシを食っている。だから、本省レベルでは公園の指定だとか、林道建設だとかで、過去にはしばしば鋭く対立してきた。もちろん、現場では公園管理に関してはお互いに協力していることのほうが多かったんだけど。
それが'90年前後から国有林の経営が火の車でどうにもならなくなり、本格的なリストラがはじまった。環境庁でもレンジャーとして林野庁現場職員の受け入れを大々的にはじめたりして、だいぶ関係が好転した。だが依然として国有林経営の困難さはかわらない。となると国立公園の中の施業していない国有林なんかは環境省に人もろとも移行ということも考えられないこともないんじゃないかな。
国有林が大半を占めているような国立公園では、将来そうした大国立公園が出現する可能性がゼロではないと思うよ。

Aさん―二兎を追うもの一兎も得ずにならなきゃいいですけどね。

H教授―まったくうるさいね、キミは。

ま、いずれにせよ、「ブロック・専決制」は組織の発展とか処遇改善という意味ではよかったんだ。地元の人の目も所長に向くようにもなったしね。一方で、その頃から単独駐在レンジャーの事務所と住宅は基本的に別、つまり職住分離があたりまえになったから、楽になった分、面白さも半減したかもしれない。
それにいま民間の接待はダメということになり、地元の人と酒を酌み交わすことだってむつかしくなった。第一、「行政指導」ってものが不透明だとして、世間では叩かれる時代になってしまった。そんなんでレンジャーの仕事ができるのかって、いささか不安になるのも事実だよ。

Aさん―自分は美味しい思いをして、後輩にはそれをさせないようにしたんですね。センセイってずるーい。

H教授―うるさい、うるさい、そんなことばっかり言ってるから、彼氏に逃げられるんだ。

Aさん―... センセイのバカ!(突然泣きだす)

H教授―(うろたえて)ゴメンゴメン、さ、泣き止んで。ごはんでも食べにいこう。
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参考 「南九研時報」第35号 平成14年8月、「瀬戸内海」第34号(瀬戸内海環境保全協会、平成15年6月)
(平成15年7月15日執筆/同月末日編集了、文:久野武)
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