環境庁(当時)の職員から大学教授へと華麗な転身を果たしたH教授が、環境にかかわる内外のタイムリーなできごとを、環境行政マンとして過ごしてきた経験に即して解説します。
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第9講 夏のできごと&温暖化対策税雑感
第8講 盆休み 四方山話 
-電力雑感、読者の便りPart2、環境教育法、大気行政体験記
第7講 亜鉛の環境基準をめぐって(付:レンジャー今昔物語)
第6講 半年継続記念 読者の声大特集(付:コーべ空港断章)
第5講 脱ダム、自然再生、環境教育 三題噺
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No. 第8講 盆休み 四方山話 
-電力雑感、読者の便りPart2、環境教育法、大気行政体験記
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Issued: 2003.09.04
H教授の環境行政時評 (第8講 その4)
はじめての公害ワールド体験記

H教授―じゃ、ほんの少しだけだぞ。それまでは自然保護・自然公園行政しか知らず、はじめて公害ワールドに行ったのが大気保全局。昭和56年のことで、59年までいた。
大気規制課ってところで固定発生源、つまり工場なんかの未規制物質の対策ってことだったんだ。
いやあ最初はほんと参ったよなあ。とにかくコトバがわからないんだもの。引継ぎでノンメタンハイドロカーボン(NMHC)【6】がどうのこうのって言われたってチンプンカンプンだった。

あわてて本屋へ行って大学受験の物理と化学を買ってきたけど、こっちのほうもさっぱりわからない。また、本屋へ戻ってこんどは高校受験の本を買ってきた。こっちはなんとかわかったけど、NMHCとはそう簡単に結びつかない(笑)。
そのかわり、こっちはど素人だからって開き直って、いろんな先生方に恥も外聞もなく、どんどんわからないことを聞きまくった。

Aさん―へえ、それでどうにか門前の小僧、習わぬ経を読めるようになったんですね(笑)。どんな仕事だったんですか。

H教授―大気汚染防止法上でまだ工場からの排出が規制されていない物質を必要があれば規制に持っていくのが本線。だけど逆立ちしてもムリだった。

Aさん―どうしてですか?

H教授―健康影響に関する定量的なデータや実環境濃度レベルの低濃度領域での健康影響の知見が皆無に近いまま、なぜ、どこまで規制するのかって言われたって答えようがないじゃないか。
しかも健康影響は大気保全局の企画課の所掌ということで、ぼくらはノータッチ。
だから、排出実態調査結果をまとめたり、こういう対策技術でここまで排出抑制できますってマニュアルを作るのが精一杯。
それで、「人為的な化学物質などの排出は可能な限り抑制に努めるべきである」って規制なし・罰則なしの訓辞規定、理念規定ができないかって法律担当の事務官に相談したけど一笑に付された。そんな時代だったんだ。
この理念は今日ではかなり常識化していると思うけど、それでも法文上の規定としては未だ謳われていないし、さっきの亜鉛の話でもそうだったけど、産業界では必ずしも確立した理念じゃなさそうだ。
規制にはコストパフォーマンスも考えなくちゃいけないし、過剰規制はいけないというのはその通りだけど、同時に人為的な化学物質なんかの大気や水系への排出は可能な限り抑制しなきゃいけないという理念を産業界でも持って欲しいね。

Aさん―具体的な物質としてはどんなものがあったんですか。

H教授―前任からの引継ぎでぼくのときに結論を出さなければいけなかったのがさっきのNMHC。
ぼくのときに立ち上げて一応マニュアルまでまとめ、後に法規制されるようになったのがアスベストだ。アスベストは人為的な化学物質じゃないけど。
あとその頃、廃棄物焼却場のフライアッシュからダイオキシンが日本ではじめて検出されたというんで、厚生省が矢面に立たされていた。それで、ぼくらも、こうした非意図的化学物質についてすこし勉強をはじめた。
【6】 非メタン炭化水素(NMHC)
メタン以外の炭化水素(脂肪族飽和炭化水素、不飽和炭化水素、芳香族炭化水素)の総称。NMHCと記すこともある。
メタンは光化学的に活性が低いため、光化学オキシダント対策で大気汚染を論じる場合にこのような指標が使用される。NMHCは、自動車に対して規制が実施されているほか、塗装、印刷工場などの発生源についても排出抑制の指導が実施されている。
環境省環境管理局「非メタン炭化水素濃度の推移」(平成13年度の大気汚染状況 より)
【7】 光化学スモッグと光化学オキシダント
工場、自動車などから排出される窒素酸化物や炭化水素が一定レベル以上の汚染の下で紫外線による光化学反応で生じた光化学オキシダントや視程の低下を招く粒子状物質(エアロゾル)を生成する現象、あるいはこれらの物質からできたスモッグ状態のことをいう。

光化学オキシダントとは、工場や自動車排出ガスに含まれている窒素酸化物や炭化水素が、一定レベル以上の汚染の下で紫外線による光化学反応を繰り返すことによって生じる酸化性物質(オゾン、パーオキシアセチルナイトレート、ヒドロキシペルオキシドなど)の総称。
光化学オキシダントの高濃度発生は気温や風速、日射量などの気象条件の影響を受け、夏期の風の弱い日差しの強い日に発生しやすい。オキシダントと同義で使われることがある。粘膜を刺激する性質を持ち、植物を枯らすなどの被害を及ぼす。光化学オキシダントの高濃度汚染が起こるような状態のことを光化学スモッグとよぶ。
1950年ごろに米国・ロサンゼルスで、粘膜の刺激を訴える人が増え、また植物被害が生じる原因不明の大気汚染現象について研究解明が行われ、光化学反応によることが判明した。また、日本では1970年7月18日、東京都の高校生がグランドで運動中に胸が苦しいなどの症状を訴え、約40名の生徒が病院に運ばれ、同日に東京都などで数万人が目の刺激などを訴えたが、これは光化学オキシダント被害であったと考えられている。この頃から日本でも汚染や健康影響が発生するようになった。
環境基準は1時間値0.06ppm以下(窒素酸化物の影響を除いたもの)、注意報基準は 0.12ppmで、警報基準は0.4ppm。
環境省環境管理局「光化学オキシダント(Ox)」の測定状況(平成13年度の大気汚染状況 より)(PDFファイル)
環境省大気汚染物質広域監視システム「そらまめ君」 光化学オキシダントなどの常時監視時報値や、注意報・警報発令状況など

Aさん―そのNMHCってのをちょっと説明してくださいよ。

H教授―光化学スモッグ【7】って聞いたことがあるだろう?

Aさん―ええ、なんだか昔、校庭で生徒たちがバッタバッタ倒れたっていう、アレでしょう。

H教授―不謹慎な表現だなあ。ああした激烈な被害の直接の原因は不明だけど、そのときの光化学オキシダントの値が高かったし、また光化学オキシダントの値が高いときには目がチカチカしたりする被害がかなりでているというので、光化学スモッグ対策として、光化学オキシダントの環境基準を定めたり、光化学オキシダント注意報を出したりしていたんだ。

Aさん―その光化学オキシダント対策とNMHCと、どういう関係なんですか。

H教授―光化学オキシダントは工場やクルマから出されるNOxと炭化水素(HC)が原因物質とされている。それらが大気中の太陽光による光化学反応によって光化学オキシダントと総称されるものを生成するらしいんだ。光化学オキシダントといわれるものの物質の実体としては大半がオゾンなんだけどね。
で、原因物質のうちN0xの方はそれ自身の有害性で、工場もクルマも規制されていた。炭化水素もクルマの排ガス規制をしていたから、工場からの炭化水素だけが未規制だった。
また何百何千とある炭化水素のなかでメタンだけは光化学反応性がない、つまり光化学オキシダントと無関係ということで、固定発生源からの非メタン炭化水素、つまりNMHCをどうするかが焦点だった。

Aさん―どうして未規制だったんですか。その当時エイヤッとやっちゃえばよかったのに。

H教授―やろうにも、そもそも実態がわからなかった。発生源がなにで、どんなNMHCがどこからどういう形でどれだけ排出されているかもわからなかったから、何年かがかりで調査を始めて、ぼくはその最終段階に当たったんだ。

Aさん―でもそのときには環境風が吹き止んでいたんですね。

H教授―そう、学校の子どもたちの激甚な被害はとっくに聞かれなくなっていたしね。で、わかったことは発生源はきわめて多様で、しかも他の規制物質と違うのは、煙突から出ているのがほんの一部だってこと。

Aさん―へえ、じゃあ、どこが発生源なんですか?

H教授―ペンキを塗ってそれが乾くということはNMHCを大気に放出するということなんだぜ。接着剤だってそうだ。ガソリンスタンドや燃料タンクでの給油の際のもれだとか、化学プラントでのパイプの継ぎ目からの漏洩だとか、炭化水素を扱っている工場の換気だとか、いっぱいある。
とても濃度規制できるような代物じゃない。

Aさん...そりゃたいへんだ。

H教授―規制したらどの程度の光化学オキシダントの低減が可能かなんてことも推計不能だった。一応、光化学オキシダントの環境基準を達成するための、NMHCの大気中での指針値は決っていたけど、因果関係から導き出されたものでなく、統計的な処理で出されただけだった。
こうしたことを考えると、到底、法規制に打ってでられるようなものじゃなかった。だから、そうした発生源を列挙して、抑制するための諸技術をマニュアルとしてまとめて、産業界に排出抑制を要請することで幕引きするしかなかった。
でもねえ、あと一つ仕掛けをしておいた。NMHCって言ったって、種類もいっぱいあるから、発生源のインベントリー(目録)を作る必要があるということで、ある程度の規模以上のNMHCを取扱っている個別工場ごとに使用しているNMHCの種類や取扱量、大気への排出量を毎年都道府県に報告してもらうようにした。そのため産業界ともかけあったんだけど、なんとか飲んでくれた。

Aさん―え? それってPRTRにちょっと似てないですか?

H教授―もちろん法的根拠の何もない「行政指導」だから、PRTRとは大きくちがう。それに残念ながら個別工場の情報公開は拒否されたし、大気の仕事だから、固体(廃棄物)や液体(排水)への移行といったクロスメデイア、マルチメデイアの発想は入れられなかったけど、ある意味じゃ早すぎた「ミニPRTR」と言えるかもしれない。

ちょっとカッコよすぎるかな。まあ、カッコつけのための苦肉の策ともいう見方もされるかも知れないけど、NMHCのなかには光化学スモッグの原因物質としてだけでなく、それ自身の発がん性などが疑われているものもいろいろあったから、将来のことを考えて─ということも少しはあったんだ。

Aさん―じゃ、そうした積み重ねがPRTRにつながったんですね。

H教授―さあ、それはどうかな。熱心な自治体はそうだったかもしれないけど、ぼくはそのあと異動したから、どうなったか知らない。数年で立ち消えになったかもしれないなあ。

Aさん―そんな、無責任な。自分が立ち上げたことは、例え異動したあともフォローすべきじゃないですか。

H教授―あとは後任者に託したんだ。質問されればともかく、異動したあとは口出ししないというのが役人の、というかぼくの美学なんだ。

Aさん―責任を問われるのがイヤだっただけでしょう。

H教授―キミ、そんなことばっかり言ってるから...。あ、やめとこう、また泣き出されたら困るから。

Aさん―ひど〜い!!
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参考 「南九研時報」第40号(2003/7)
(平成15年8月16日執筆/同月末日編集了、文:久野武)
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