環境庁(当時)の職員から大学教授へと華麗な転身を果たしたH教授が、環境にかかわる内外のタイムリーなできごとを、環境行政マンとして過ごしてきた経験に即して解説します。
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第23講 「二つの山場と三位一体改革」
第22講 「環境戦線異状あり」
第21講 「Hキョージュ、環境行政の人的側面を論ず」
第20講 「喧騒の夏」
第19講 「キョージュの私的90年代論」
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No. 第22講 「環境戦線異状あり」
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Issued: 2004.11.04
H教授の環境行政時評 (第22講 その3)
時評4 ─水俣病関西訴訟最高裁判決

Aさん―まあ、承っておきましょう。ところで水俣病関西訴訟の最高裁判決がでましたね【4】

H教授―うん、あの悲惨な水俣病が奇病としてはじめて知られたのがもう50年もまえ。この関西訴訟が提起されてからでも20年以上経ってるから、長かったよねえ。

Aさん―なにが争点だったんですか。

H教授―それだけでも一冊の本が書けるほどなんだから、思いっきり乱暴にはしょってしまうよ。
水俣で奇病が多発してチッソの排水が疑われた。'67年には早くも訴訟が始まり、'68年には渋っていた政府も公害反対運動の嵐の中でようやくチッソ排水に起因する有機水銀が原因との公式見解を発表した。裁判でもチッソが直接の加害者であるという判断が確定した。
で、政府は水俣病かどうかの認定基準を決め、認定患者にはチッソが補償し、その経費は行政の方がチッソに貸し付けるというスキームを作ったんだ。この認定基準が厳しすぎるんでないかというのがひとつの争点。
もうひとつは水俣病をもっと早期に抑えられたはずで、有機水銀の規制をしなかった行政に不作為という責任があるんではないかというのが争点だったんだ。
そしてチッソと国、県を被告とした多くの訴訟がなされた。チッソは責任を認めたけど、国、県は責任を認めず、裁判は延々と長期化したんだ。

Aさん―環境省も一貫して両方とも否定し続けてきたんですね。
【4】 水俣病関西訴訟最高裁判決
EICネット国内ニュース
(→環境大臣談話)
熊本日日新聞の「水俣病百科」

H教授―認定患者がどっと増えて、しかも行政責任を認めれば、莫大な国家補償が必要になる。被告は国だから旧環境庁もその一員に過ぎず、そんなの当時の大蔵省が認めるはずもない。こうした板ばさみで担当局長がひとり自殺したことがある。
一方、患者団体の方も長年つづく反対運動のなかで疲弊し、いろんな団体にわかれてきた。'95年、村山内閣のとき政府は行政責任には触れないまま総理が遺憾表明を行い、さまざまな援助策とチッソが未認定患者にも一時金を支払うという「最終解決案」を提示。疲れきっていた多くの患者団体が訴訟をとりさげて受諾した。これで、ようやく解決したかと思ってたんだけど、唯一裁判闘争を続けてきたのが、今回のこのグループ。
そして今回最高裁は明確に行政責任、つまり行政の不作為を認めるとともに認定基準そのものが厳しすぎるという判断を下したんだ。

Aさん―センセイは水俣病にかかわったことはあるんですか。

H教授―環境庁ができる前後のことだけど石牟礼道子さんの「苦界浄土」を読んで涙したり、チッソ一株運動に協力したことはあるけど、直接かかわったことはない。でもあの頃は「水俣病を告発する会」の厚生省支部なんかもあったなあ。
たしか'80年代の頃だったけど担当した人から、裁判所は和解勧告だとかなんだとか詰まらないことやってないで、とにかく早く最高裁まで行って、国敗訴の判決を出してほしいといってたのを聞いたことがある。そうしないと動きようがないってね。
あと認定基準を緩めなかったのは大蔵省との関係もあるけどそれだけじゃない。
というのは認定基準では有機水銀中毒症のハンター・ラッセル症候群【*】にみられるいろんな症状が多数みられるものを「水俣病」と認定していた。
でもねえ、水俣病といっても悲惨な劇症型水俣病の患者さんたちはとうに死んでいた。だから水俣病と認定された人だって、そういう悲惨な死に方をした患者さんと比べるとまだ軽いほうだということになる。
ましてや、いろんな症状のうちのひとつかふたつしかみられない人は、老化からくるものとの区別もむつかしいこともあって、思い込みであったり、あるいはニセ患者が入っているんじゃないかという疑いをもっていたんじゃないかと思うな。

Aさん―センセイはどう思われるんですか。

H教授―ひとつの症状+毛髪か筋肉の水銀濃度だとかで認定できなかったのかなあと思うけど、門外漢だからわからない。
ま、いずれにせよ今回の判決で認定基準を再検討せざるをえないんじゃないかな。
それに'95年の「最終解決」も蒸し返されるかもしれない。
それとねえ裁判をもっと迅速に出来ないのかなあと痛切に思うよ。冤罪の可能性のあるものは別だけど、それ以外はぱっぱっとすりゃいいのにと思っちゃうな。
それといまの水俣市だけど、もうかつての面影は一新し、環境都市を目指して行政もNGOと連携していろいろがんばっていることを付け加えておこう。
いずれにせよ、エイズのときもそうだったけど、役人は汚職だとかの破廉恥なことだけでなく、やるべきことをやらなかった、あるいは誤った判断をした場合に法的責任を問われることもあるということを肝に銘じておいた方がいいね。
そういう意味じゃ、温暖化なんかもそうだと思うよ。
【ハンター・ラッセル症候群と水俣病】

1937年にイギリスの農薬工場で起こった神経症は、きわめて特徴的な臨床症状を示し、四肢のしびれ感と痛み、言語障害、運動失調、難聴、求心性視野狭窄などが共通に認められた。
イギリス人医師のハンターとラッセルらが、動物実験に基づいてメチル水銀中毒であると診断し、これらの症状を有機水銀中毒の重要な症候群として1940年に報告した。1954年に患者の1人が死亡した際の解剖により病理的所見も明らかにされた。これらの症候群がのちに「ハンター・ラッセル症候群」として、有機水銀中毒の診断基準とされた。

1958年に水俣を訪れたイギリス人神経学者マッカルパインは、水俣病がイギリスの有機水銀中毒の症例によく似ていることを指摘。水俣病の原因物質として水銀が疑われ、水俣病が有機水銀中毒であることが判明するきっかけになった。
一方で、水俣病が有機水銀中毒として認定された後、認定審査会がハンターラッセル症候群を患者認定基準にしたことから、典型症状とは異なる慢性・重症・軽症水俣病患者の多くは患者認定を受けられない原因にもなったとも指摘されている。

参考:認定基準:
http://www.kumanichi.co.jp/minamata/m-jiten3-07.html
(水俣病事典「〜熊本県大百科事典より〜」)

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