環境庁(当時)の職員から大学教授へと華麗な転身を果たしたH教授が、環境にかかわる内外のタイムリーなできごとを、環境行政マンとして過ごしてきた経験に即して解説します。
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H教授の環境行政時評第30講 「リサイクル戦線、浪高し」
第29講「目に青葉、山ホトトギス、MAY(迷)時評 ──水難事故、諫早干拓、レジ袋、フロン四題噺」
第28講「有機汚濁と水質総量規制」
第27講「道東周遊随想と愛知万博」
第26講 「国土計画と自然保護」
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No. 第29講「目に青葉、山ホトトギス、MAY(迷)時評 ──水難事故、諫早干拓、レジ袋、フロン四題噺」
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Issued: 2005.06.02
H教授の環境行政時評 (第29講 その1)
JR事故余談

Aさん―センセイ、JRの事故から1ヶ月近いですけど、一向に開通しませんねえ。そりゃあ安全第一は当然ですけど、福知山線利用者の一人としては不便で困ります。

H教授―ボクだってそうだよ。大阪へはしょっちゅう行ってたし、上京するときだって、福知山線を使ってたんだ。亡くなられた方のご冥福、そして負傷された方の一日も早い快復をお祈りするとともに、こんな事故を二度と起こさないようにしなければならない。だけどそれと開通が遅れるのとはまた別だと思うよ。

Aさん―それにしてもJR西日本ってヒドイ会社だったんですねえ。事故後、いろんな不祥事が次々と明るみに出て、もうカッカですよ。

H教授―ま、JRの場合はいままで表沙汰にならなかった国鉄民営化の負の部分が一斉に噴出したということなんだろうけど、日本のマスメディアは「水に落ちた犬は打て」みたいなところがあるからなあ。ついこの間まで大阪市が袋叩きだったけど、一般の会社だって、大学だって、いざとなると似たようなことになるさ。

Aさん―JR西日本は当初、できるだけ早く再開なんて言ってましたけど、いったいどういうことなんですか?

H教授―新型ATSの設置が終わるまでまかりならぬって国土交通省からストップがかかって、6月いっぱいはダメみたいだ。でもそれもひどい話で、新型ATSのない線なんていっぱいあるのに、福知山線だけダメってのは、利用者イジメだよ。やむを得ない3〜5分間の遅れで運転手を責めるようなことは誰もしないと約束して、一日も早く再開する、そして一方では過密で過酷なダイヤ・スケジュールを見直すとともに、新型ATSの設置を急ぐという同時並行的な対応をなぜとれないか不思議だ。
もちろん利用者の方も、3〜5分間の遅れでジタバタしないようスローライフを心がけることだ。

Aさん―そうですよ、ワタシはあの事故以来、1時間は早く家をでなくちゃいけないんですよ。

H教授―ウソつけ。キミはあれ以来、1時間遅刻の常習になったじゃないか。

Aさん―え、知ってたんですか! でも、センセイがいうスローライフを実践しているんですよ。
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用水路水難事故雑感
Aさん―ところで兵庫県の三木市で児童二人が工事用の水路に転落して、ひとりのお子さんがついに亡くなっちゃいましたね。

H教授―ああ、気の毒にね。あの事故に関しては明らかに管理者のミスだし、刑事責任を問われても当然だと思うけど、ちょっと気になることがあるんだ。

Aさん―え、なんですか。

H教授―三木市ってのはボクのいるS市と同じで、ため池の多いところらしいんだけど、新聞によると、学校ではふだんからため池や川で遊ばないように指導していたらしいんだ。
今度の事故がきっかけで、ため池なんかはいっせいに立ち入り禁止が強化されそうな気がするなあ。でもそれは方向が逆だと思う。
Aさん―S市でも立ち入り禁止の標識や柵が結構ありますよ。

H教授―それは万一事故が起きた場合の責任逃れのためで、実際に立ち入って釣りをしたり水遊びをしたりというのをやめさせることは稀だ。でもこういうことがあると、ちょっとやそっとでは入れないようなフェンスや鉄条網をめぐらしたり、見つけるたびにやめさせたりするところだって出てくるんじゃないかな。
本当は、池への安全なアプローチを整備して、そこから池にはまっても水死しないような構造の段差をつくるとか、安全のための措置をとって自己責任で遊ばせるべきなんだ。
子どもの成長にとって、水や水生生物との触れ合いは欠かせないものだと思うし、ため池や川なんてビオトープとしての利用と活用をこそ考えるべきだと思うけどねえ。

Aさん―でも、万一事故が起きたときの責任はどうなるんですか。

H教授―ひとつは自己責任の範囲ということをはっきりさせておかなきゃいけない。すべての責任を管理者に押し付ければ、どこもかしこも立ち入り禁止になってしまい、海水浴もロック・クライミングもできなくなっちゃうよ。
現にどこかの幼稚園では滑り台を使うときは教師が必ずつきそい、マットを下に敷かなくちゃいけないなんていう話を聞いたことがある。
一時期、日本でも裁判で管理者の瑕疵責任というのを問い過ぎたことがあったからなあ。
だからボランティアや地域共同体の協力で、そうしたビオトープとしての活用を進めるべきだと思うけど、万一の事故の責任を問われるんじゃ腰が引けると思うよ。

Aさん―でも、やはり子どもをそういう事故で亡くされた遺族は、それじゃおさまりがつかないんじゃないですか。

H教授―ボクが小学校低学年のとき、3軒隣のぼくより1〜2学年上の女の子が、川遊びをしていて亡くなったことがある。

Aさん―へえ、裁判になったんですか。

H教授―ま、今だったら河川管理者の責任を問うということにもなりかねないけど、当時はそんなこと誰も考えなかった。で、その年の夏の地蔵盆のとき、そこのお母さんが近所の子どもたちを全部呼んでお菓子をご馳走してくださった。亡くされたお子さんへの供養ということなんだろうねえ(しんみり)。

Aさん―でも時代がちがいますよ。

H教授―そうだろうねえ。昔だったら遺族の悲しみを地域共同体の皆でケアしてあげたんだろうけどね。
管理責任と自己責任の問題を考えるとき、不幸な事故の場合には補償ではなく相応のお見舞金を出すというシステムをつくることも必要だと思うな。もちろん保険の活用もね。
環境行政でいうと、国立公園などでの自然とのふれあいについても、管理責任と自己責任をどう考えるか、その原則をはっきりとさせておく必要があるだろうなあ。
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