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環境さんぽ道

様々な分野でご活躍されている方々の環境にまつわるエッセイコーナーです。
4人のエッセイスト(青木勝、板垣真理子、山本茜、柳澤寿男)が1年間、毎月交替して登場します。

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環境さんぽ道

様々な分野でご活躍されている方々の環境にまつわるエッセイをご紹介するコーナーです。

No.035

Issued: 2015.04.10

音楽には国境があってはいけないんだ!

柳澤寿男(やなぎさわとしお)さん

柳澤寿男(やなぎさわとしお)さん
 指揮者。1971年長野県生まれ。
 パリ・エコール・ノルマル音楽院オーケストラ指揮科に学び、佐渡裕、大野和士、ジェイムズ・レヴァイン、クルト・マズアなどに師事。2007年、バルカンの民族共栄を願ってバルカン室内管弦楽団を設立。同年「ニューズウィーク日本版・世界が尊敬する日本人100」に選出。2009年、バルカン半島の民族対立の象徴の地のひとつとも言えるコソボ北部のミトロヴィッツァで、UNDP国連開発計画、KFOR国際安全保障部隊、コソボ警察などの協力を受け、歴史的演奏会を実現し大成功を収めた。
 2013年から世界平和コンサートへの道プロジェクトが開始され、各地でバルカン室内管弦楽団の来日公演などを行い、第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件から100年の節目に、最終公演としてサラエボ国立劇場でヨーロッパの共通国歌とも言われ第九平和祈念コンサートを開催。著書に「戦場のタクト」〜戦地で生まれた奇跡の管弦楽団(実業之日本社)。
 現在、バルカン室内管弦楽団音楽監督、コソボフィルハーモニー交響楽団首席指揮者、ベオグラード・シンフォニエッタ名誉首席指揮者、ニーシュ交響楽団首席客演指揮者。
HP http://www.marscompany-balkan.com/

 すでに旧ユーゴスラヴィアの国々を長距離夜行バスで往き来し、色褪せ、疲れきった、私のパスポートにUNMIK国連コソボ暫定政権ミッションのスタンプが押され、戦後間もないコソボ自治州に足を踏み入れることになってしまった。軍人が私達の車をチェックし、もの珍しそうにアジア人である私の怯えた顔を厳しい眼差しで何度も見つめている。私は生まれて初めて銃器というものを見たのかもしれない。それはいまや手を伸ばせば届きそうなところにあり、恐怖と緊張とがごちゃまぜになって終始無言になっていた。
 車の窓を開けると冷たい空気が車内に静かに侵入し、旧ユーゴの土と何かが焦げたような混ざった複雑な匂いが鼻につき、2006年ももう晩秋になろうとしていた。一ヶ月ほど前に隣国マケドニアの国際機関の知人から、コソボにもオーケストラがあるから、よかったら紹介しましょうか?という話を持ちかけられた。マケドニア国立歌劇場での仕事に不満を持っていた私は、コソボが戦後のどんな厳しい状況であれ話に飛びついてしまったのだ。
 土が剥き出しになった大地の上に中途半端な建設を途中で止めたような建物、殺風景な景色に無理やり切り開いたような道路をNATOの軍事車両や国連車両が、頻繁に走っている。コソボの州都プリシュティナに入ると、社会主義時代に建てられた巨大な集合住宅に掲げられたビル・クリントン米国大統領(当時)の肖像画がお出迎えしてくれる。活気に溢れた街の中心部で車を降りNATO軍が空爆し焦げ茶色い骨だけとなった警察署のビルを横目に恐る恐る街を歩く。
 フェンスにはおびただしい数の戦争行方不明者の色褪せた写真。そのフェンスの向こう側もNATO軍が空爆した場所で、いまは空き地になっている。遥かアドリア海から離れたトマホークはここまで到達したと言われる。異常なほどの人数の軍人が街をうごめき、一度カフェにでも入れば自分以外はすべて迷彩服を身に纏った軍人たちが笑顔でバルカンコーヒー片手にしているが、床を見れば1メートルほどはあろうかという黒々とゴツゴツした銃器たちが無数に重ねられていた。
 約束の時間にレストラン・ピーシャットという店に入った。バキ・ヤシャリさん、ヴァルトン・ベチリさんというアルバニア人作曲家のふたりが、私を笑顔で出迎えてくれた。このような場所であれ、私は自分自身の新しい音楽人生の場になることを期待せずにはいられず、このふたりの男達とやっと会えたことが本当に嬉しかった。ふたりのお陰で2007年3月25日、私はコソボフィルハーモニー交響楽団に客演することとなった。


1999年5月のNATOの爆撃により身内が亡くなった橋で花を手向けるバキさん

 時は過ぎコンサート数日前、私はコソボフィルハーモニー交響楽団のコンサートのリハーサルをしていた。街では戦争は終わったものの国連暫定政権からいつまでも独立できない苛立ちからアルバニア人市民が、国連車両を狙った発砲や国連敷地内での手榴弾の爆発などがニュースになっているような時代が続いていたそんなある日、リハーサルの休憩時間にバキさんが突然「柳澤さんには悪いが、もし今再び戦争になれば、私は楽器を捨て間違いなく銃を持って戦争に行くだろう!」と強い口調で私を凝視した。時は1999年5月、コソボのとある橋の上を通過中の民間バスにNATO軍のロケット弾が命中してしまったという。その一撃でバキさんの親族のうちひとりは身体がバラバラになり、もうひとりは生き延びるも全身70パーセントもの大火傷を負い、ついに5日目を迎えたところで亡くなってしまったという。戦争が強い憎しみを産み出し、バキさんの口から思わずその言葉は放たれた。私はただ圧倒されるがままに意気消沈し、言葉を失っていた。

 2007年3月25日、そしてコンサートは始まった。私とコソボフィルの初めての共演。市民たちが着席し、最前列には銃を腰にNATO兵が着席する。最後列にもまたNATO兵。私のタクトが緊迫する空気を切り裂き、ベートーヴェンの交響曲第7番が流れ始めた。戦中戦後を生き抜いた楽団が奏でた音楽は大きな音楽の渦となってひとつになっていた。最後の音が力強く鳴り響くと会場からは大きな拍手がそれに答えた。楽団員の笑顔を確認し振り向くと、兵士が立ち上がり、市民が立ち上がり、彼らもまた笑顔で力強く拍手をしてくれていた。
 聴衆を掻き分けバキさんがやっと私のもとに駆け寄ってきて、涙ながらに熱くこう言った。
 「さっきはあんなことを言って悪かったよ。やはり音楽には国境があってはいけないんだ!」
 音楽には不思議な力があるという。それは誰かの心にそっと優しく入り込んで、いつのまにか心と心を繋いでいき、人々を幸せにする。私はバキさんの熱く語りかける目を見てこう思った。戦後間もないこの場所に身をおいて彼らと音楽をしよう。その瞬間から私とコソボフィルとの長年に渡る新たな挑戦が始まったのです。



(記事・写真:柳澤寿男)