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環境さんぽ道

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様々な分野でご活躍されている方々の環境にまつわるエッセイをご紹介するコーナーです。

No.042

Issued: 2015.06.10

ミミズ・センターを持つ国に、FFはいらない

板垣真理子(いたがきまりこ)さん

板垣 真理子(いたがき まりこ)さん
写真家、文筆家。
アフリカ、ブラジル、キューバ、バリなど灼熱の地を愛し旅する。著書、写真集、写真展など多数。「アフリカン・ビューティ」「キューバへ行きたい」「カーニバル・イン・ブラック」など多くの読者とファンを持つ。写真の審査員や、大学、専門学校で後輩の指導にもあたる。2014年、大同生命地域文化研究特別賞受賞。HP http://orange.zero.jp/afrimari/
2015年より、キューバ在住。現地からのリポートを届けます。
隣接する市場には、野菜や産物がいっぱい。

隣接する市場には、野菜や産物がいっぱい。

 キューバは、知る人ぞ知る有機農業大国。昨年(2014年)12月に米国のオバマ大統領との間で、国交回復が宣言された。つまり経済封鎖の解除が始まったことで、世界トップ・クラスの注目を集めている。
 経済封鎖の解除によって、経済的な「良き」効果が期待できる一方、有機農業が築き、目指してきた健康的な食品が打撃を受けることにならないか懸念される、というものである。ぜひ、そうなってほしくないと、この文を書こうと思う。
 タイトルのFFはファースト・フードの意味。なにもファースト・フードに格別な恨みがあるわけではなく、食品の加工、添加物の多さが身体に与える影響を持つ食品のひとつとして。


薬効もある野菜

薬効もある野菜

 キューバで有機農業がはじめられたことは、この国の第二の革命、と呼んでもいいかもしれない。ご存じの方には周知の事実だが、軽くその始まりからなぞっておきたい。
 1959年の革命後、順調に国の体制を作り上げてきたキューバだったが、ソ連が崩壊に近づいた1989年頃から、キューバはソ連との貿易関係で打撃を受けた。特に、かなりな割合を輸入に頼っていた食料事情は、緊迫した状態に陥った。直接的な食料輸入だけではなく、農業に必要なトラクターなどの機材や、車を動かすための石油なども同時に手に入らなくなってしまったため、何重もの危機にさらされる。
 まずは、この国の人々のお腹を満たす必要から、突然躍り出てきたのが有機農業だった。電気も機材も農薬や化学肥料も使わずなせる農業として。しかも幸運だったのは、中南米の中での人口比がたった2%であるキューバは、その一方で科学者の数11%を誇る科学大国だった。危機に陥る前から有機農業の研究がされ、大型の機械と化学薬品も投入した生産性重視の農業への批判も出ていた矢先だった。今まで「研究の分野」にあったものが突然、檜舞台に出て、実践されるものとして動き始めた。


 実際に私がキューバの有機農業を視察させていただいたのは、2004年が最初だった。つまりは計画が始動してから15年が経過し、ある程度軌道にのっている頃。その後、数年ごとの間を置き、2007年と2014年にも見せていただいている。規模はどんどん大きくなり、システムも洗練されていったように見える。
 そしてなにより、その場には楽しい空気が流れているのが印象的だった。思い出深いのは、2007年に訪ねた「ハノイ」という名前の農場。当初はたった4人で小規模に始めたものだったというが、広さは何倍にもなり、150人近くの人が働いていた。広々とした緑にあふれる農場は無農薬のためか空気も素晴らしく、水を撒くスプリンクラー以外はすべて手仕事。そのためか、働く人たちものんびりと楽しみながら働いているようにみえた。

「ミミズの肥やした土」もやはり手仕事で運ばれる。生き生きと働いていた。

「ミミズの肥やした土」もやはり手仕事で運ばれる。生き生きと働いていた。

唯一、電気で動くのが、水をまくスプリンクラー

唯一、電気で動くのが、水をまくスプリンクラー


植物を手に持つ所長さん

植物を手に持つ所長さん

 土地は政府のもの(当時)だが、非常に安く一般の人たちに貸し出し、そこから上がる収益も耕作者が得られるシステムになっていた。つまり、それまで機械と農薬を投入し「大量生産的な国の管理する大規模農場」だったのが、「手仕事で生産者と密接な、携わる人々の利益も生むまったく新しい農業」に成り代わって行った。それがキューバの有機農業の成功した要因でもあった。
 「ここで働く人は、なるべく近所の人にしているんだよ、そうすると無理に遠くから、いつ来るかわからないバス(当時。今はかなり本数が増えた、ただし朝夕はかなり混雑する大変なのりものではある)を待って乗ることもないし。採れた農作物もなるべく近隣の人に安く買ってもらうことにしている。運ばなくていいからガソリンもいらないしね」ハノイの所長さんはこう説明してくれた。


出来上がった土からミミズを取り出すネット。ミミズの好きな匂いでおびき寄せる。

出来上がった土からミミズを取り出すネット。ミミズの好きな匂いでおびき寄せる。

 キューバの農業の良さは、まだまだここに書ききれないくらいだが、主だったものに「ミミズ」がある。寿命が12年もあるミミズはほぼ勝手に増えてくれて、糞で土を肥やす。土を肥やしてくれ、土を循環してやれば、半永久的に肥料を提供してくれることになる。なにしろこの国には「ミミズ・センター」まで存在する。また、盛土をつくって面積を広げたり、無使用の土地を農地にかえたり、とあらゆる努力がはらわれた。


珍しい植物もいっぱい。これではないが、抗癌作用もあることでしられる「ノニ」の木にも実がしっかりなっていた。

珍しい植物もいっぱい。これではないが、抗癌作用もあることでしられる「ノニ」の木にも実がしっかりなっていた。

 こうして、キューバの農業が復活したが、それよりなにより大きかったのは、人々が「食べるもののない危機」を乗り越えたこと。さらには、かつての肉食も多かった生活から、菜食中心になって野菜摂取量が増えたために、心臓病、糖尿病、高血圧、という死因の上位を占めていた「三大成人病」が激減するというまさに美味しい成果もついてきた。菜食の賜物である。寿命も延びた。もちろん、タンパク質が不必要、と思われているわけではなく、それを多量に含む野菜も栽培されている(注:文末参照)。

 有機農場を訪ねて忘れられない思い出がある。「キューバの国内の危機」を救ったストーリーや、実際の農場のエピソードとともに、野菜料理の美味しかったこと。採れたての、しかも農薬も化学肥料も使わない野菜たちの料理。帰国してからもしばらくは、その味には及ばないけれど、野菜中心の美味しい料理を目指してしまうほどだった。
 また、いくつかの農場を訪ねて印象的だったのは、それぞれの人たちが自らの「文化を作っているという意識」。輸入に頼らず、自らの腕と土地で、その口を賄っていけるという自負と気概はとてつもなく大きい。そこで私はまた、この文の冒頭に戻っていくのだった。


たまらなく美味しかった、ランチ。野菜だけでこれほどのメニューができるのかと、感激した。味も抜群。 たまらなく美味しかった、ランチ。野菜だけでこれほどのメニューができるのかと、感激した。味も抜群。

たまらなく美味しかった、ランチ。野菜だけでこれほどのメニューができるのかと、感激した。味も抜群。



 2015年4月現在、ハバナに在住し始めての実感。
 以前に比べてはるかに肉食は増えている。ブラジルなどからの輸入もされていると聞く。タクシーの運転手さんに「キューバの有機農業は世界的に有名よね?」と聞くと「え、そんなものは知らない」と一蹴されてしまった。ハバナをくるりと取り巻く海岸沿いのマレコン通りの空と海。以前はいつも真っ青だったそれが、驚くほど増えた車の排気ガスで時折霞んで見える。キューバの有機農業の行く所も、今は私には見えない。
 これからゆっくりと、今のキューバを見せていただこうと思っている。
  しかし、肉食は、本当に増えた。逆に野菜不足が心配なほど。しばらく肉の不足が続いた反動なのかどうか、せっかく「健康的な菜食」が根付いていたキューバでは、かなり残念な印象。肉は食べられる方が良いには良いが、野菜の割合が少なすぎ。
 ファースト・フードだけではなく、こういった肉食の傾向も同時に心配になってきてしまう。「大きなお世話」とも言われそうだが。同時に肥満体の人や子供もかなり多い。

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(記事・写真:板垣真理子)

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