Aさん―まあ、承っておきましょう。ところで水俣病関西訴訟の最高裁判決がでましたね【4】。
H教授―うん、あの悲惨な水俣病が奇病としてはじめて知られたのがもう50年もまえ。この関西訴訟が提起されてからでも20年以上経ってるから、長かったよねえ。
Aさん―なにが争点だったんですか。
H教授―それだけでも一冊の本が書けるほどなんだから、思いっきり乱暴にはしょってしまうよ。
水俣で奇病が多発してチッソの排水が疑われた。'67年には早くも訴訟が始まり、'68年には渋っていた政府も公害反対運動の嵐の中でようやくチッソ排水に起因する有機水銀が原因との公式見解を発表した。裁判でもチッソが直接の加害者であるという判断が確定した。
で、政府は水俣病かどうかの認定基準を決め、認定患者にはチッソが補償し、その経費は行政の方がチッソに貸し付けるというスキームを作ったんだ。この認定基準が厳しすぎるんでないかというのがひとつの争点。
もうひとつは水俣病をもっと早期に抑えられたはずで、有機水銀の規制をしなかった行政に不作為という責任があるんではないかというのが争点だったんだ。
そしてチッソと国、県を被告とした多くの訴訟がなされた。チッソは責任を認めたけど、国、県は責任を認めず、裁判は延々と長期化したんだ。
Aさん―環境省も一貫して両方とも否定し続けてきたんですね。