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環境さんぽ道

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様々な分野でご活躍されている方々の環境にまつわるエッセイをご紹介するコーナーです。

No.057

Issued: 2016.09.13

短歌の現実とイメージ

草田 照子(くさだ てるこ)さん

草田 照子(くさだ てるこ)さん
歌人。長野県出身。
1981年、馬場あき子に師事。「かりん」会員となり、作歌を始める。編集委員を経て、選歌委員。
歌集『天の魚』『父の贈り物』『聖なる時間』など。歌書『うたの信濃』。
朝日カルチャーセンター新宿教室・横浜教室、昭和女子大オープンカレッジ各短歌教室講師。朝日新聞長野版歌壇選者。

馬場あき子の歌に、都市の風景を詠んだ次のような一首がある。

デパ地下の水の広場に人憩ひポンペイにもあつたひとときのやう

 デパートの地下というと、つい、おいしそうなものが並んでいる食品売り場を想像する。この歌のデパ地下も、そうした食品売り場の一角なのだろう。水の広場というのは、小さな噴水や滝のようなものがあって水が流れているのだろうか。都会のある日の午後、人々の憩いの風景がそこに見えてくる。ところが、下の句にいって、読者は思いがけないことを突き付けられる。のどかに見えるその風景が、ポンペイにもあったひと時のようだといわれる時だ。ポンペイのことを詳しくは知らなくても、豊かな古代都市だったが、ヴェスヴィオ火山の噴火によって埋もれてしまったくらいは知っているからだ。
 世界中から来た食品がならぶ明るいデパ地下と噴水の広場が、火山が噴火する直前までのポンペイとはどこか似ている。そういわれる時、読者はいいしれない恐怖を感じる。たとえば東京では富士山の噴火でポンペイのようになる可能性はほとんどないかもしれないが、影響は想像を絶するほどだと聞く。また、火山でなくとも、直下型地震はいつ起きても不思議ではないとさえいわれている。この歌は、そんな恐ろしい予言を含んでいるかのようで読者の心をつかむ。

 同じようにちょっと怖い歌をもう一首。渡辺松男の歌である。

この国や山のくちびるいくつある火を噴くまへのかすかなふるへ

 渡辺は群馬県に難病と闘っている。この作品では、火山の噴火口のことを「くちびる」と比喩したところにおもしろさがある。噴火の兆候として、かすかに唇の震える火山。この唇は男の唇ではないだろう。どこか官能的なものをイメージさせながら、そこから全国にいくつの火山があるかを考え、その噴火に思いを致している。熊本の地震もだが、原発のことともからみ、やや劇画的な雰囲気もあるが、ユニークな詠まれ方がされた一首である。「浅間山亡き妻恋へばくれなゐのこゑが咲くこゑがさく夜の火口に」という歌もある。
 短歌はもちろん、このような怖い歌が主流を占めているわけではない。秋深くなるころの季節を詠んだ高野公彦の次のような歌もある。

虫の()のほそる夜ごろを(かり)の群れ(こん)円球(ゑんきう)のそらを渡り()

 虫の音が次第に消えてゆこうとするこの夜あたり、雁の群れが渡って来るよ、という意味で、昔からこうした素材、テーマは数え切れないほど詠まれてきた。ただ、この歌では、渾円球という言葉を取り入れたことでこれまでにない新しさを加えた。渾円球とは、やや見慣れない言葉だが、広辞苑にもある。地球のことである。そして、「地球のそら」ではおもしろくないし、もっといえば渾円球がなくても意味的には何の差支えもないが、この言葉一つを入れたことによって、古典の和歌からみごとに現代の短歌に生まれ変わらせているといっていい。
 それにしても、都会に住んでいると雁の群れなどを眼にすることはほとんどない。歌詠みたちは、実際に見て詠むばかりではない。季節の移り変わりの中で、高野のように想像力をたくましくし、古典の和歌を受け継ぎながら、観念の中でこのように心を遊ばせているのである。秋の夜、短歌の韻律に思いをのせて楽しんでみてはいかが?

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(記事:草田 照子)

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