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No.278

Issued: 2020.04.15

海洋酸性化の現状と影響 ─ 二酸化炭素排出によるもうひとつの地球環境問題(気象庁気象研究所・石井雅男)

目次
海水はしょっぱい重曹水
海への二酸化炭素吸収
海洋酸性化の進行
海洋酸性化の影響
海洋酸性化の抑止のためにも二酸化炭素の大幅な排出削減を

 日本をはじめ世界の多くの国の人々が、海の恵み──海からもたらされるさまざまな資源──や、交易路としての海、そして気候をコントロールする海の役割に依って生活を営んでいます。しかし、多くの人々、特に都会に住む人々の海への関心は高いとは言えないのではないでしょうか。地球温暖化が進む今、海水温の上昇や海面水位の上昇など、海でもさまざまな変化が起きています。それらはゆっくりと進んでおり、影響が見えにくいために、猛暑や大雨のような異常気象ほどは話題になりません。しかし、今後、社会への影響は大きくなってゆくでしょう。
 見過ごすことのできないそうした海の危険な変化のひとつに、海水の酸性化があります。

海水はしょっぱい重曹水

さまざまな液体のpH。海水は弱アルカリ性で、pHはおよそ8を示します。また、二酸化炭素を水に溶かした炭酸は、弱い酸性を示します。

さまざまな液体のpH。海水は弱アルカリ性で、pHはおよそ8を示します。また、二酸化炭素を水に溶かした炭酸は、弱い酸性を示します。

 言うまでもなく、海水にはたくさんの塩が溶けています(塩の濃さは海水1キロあたりおよそ35グラム)。そのほとんどは塩化ナトリウムですが、そのほかに塩化マグネシウム、硫酸マグネシウム、硫酸カルシウムも。さらに炭酸水素ナトリウムや炭酸ナトリウムも、海水1 キロの中に合わせて0.2グラムほど溶けています。
 炭酸水素ナトリウムは一般には「重曹」と呼ばれ、家庭でも洗剤や入浴剤など、さまざまな用途に使われています。この炭酸水素ナトリウムや炭酸ナトリウムを水に溶かすと、その溶液はアルカリ性になります。そのため、海水も弱アルカリ性で、海の表面付近の海水のpHはおよそ8になっています。
 海水が弱アルカリ性になっていることは、サンゴ、貝類、ウニなど、炭酸カルシウムの骨格や殻を持つさまざまな海の生物に好都合です。炭酸カルシウムは弱アルカリ性の水には溶けにくい性質を持つからです。


海への二酸化炭素吸収

産業革命の頃から最近まで毎年の、二酸化炭素排出量(正の値)と二酸化炭素吸収量・大気への残存量(負の値)(「GtCO2」は「ギガトン二酸化炭素」で、1ギガトンは10億トンに相当)。化石燃料の消費による二酸化炭素排出量は大きく増えています。海は排出された二酸化炭素のおよそ1/4を吸収しており、二酸化炭素排出量が増えるにつれて、海への吸収も増える傾向にあります。また、森林など陸上の植生への吸収も増える傾向にあると考えられますが、気候変化の影響を強く受けて毎年大きく変化しています。(Global Carbon Project “Carbon Budget 2019”より)。

産業革命の頃から最近まで毎年の、二酸化炭素排出量(正の値)と二酸化炭素吸収量・大気への残存量(負の値)(「GtCO2」は「ギガトン二酸化炭素」で、1ギガトンは10億トンに相当)。化石燃料の消費による二酸化炭素排出量は大きく増えています。海は排出された二酸化炭素のおよそ1/4を吸収しており、二酸化炭素排出量が増えるにつれて、海への吸収も増える傾向にあります。また、森林など陸上の植生への吸収も増える傾向にあると考えられますが、気候変化の影響を強く受けて毎年大きく変化しています。(Global Carbon Project “Carbon Budget 2019”より)。[拡大図]

 人間が森林を壊し、また石炭・石油・天然ガスといった化石燃料を地中から堀り出して燃やしているために、大気に含まれる二酸化炭素が増え、地球の温暖化が進んでいます。しかし、排出された二酸化炭素がすべて大気中に残って、地球を温暖化させているわけではありません。二酸化炭素排出量の推計値や、大気中の二酸化炭素濃度の精密な観測値から計算することで、大気に残っている二酸化炭素の量は、排出した二酸化炭素のおよそ半分であることがわかっています。残りの半分は、森林や海に吸収されているのです。海は、温暖化によって地球上に貯えられた熱のおよそ90%を吸収していますが、同時に、大気から二酸化炭素も吸収することで、地球温暖化が進むのを和らげる重要な働きをしているのです。
 しかし、このことは「もうひとつの二酸化炭素問題」とも呼ばれる「海洋酸性化」を引き起こしています。二酸化炭素が水に溶けると炭酸になります。そのため、弱アルカリ性の海水を少しずつ中和し、海水をpHが相対的に低い中性方向に「酸性化」させているのです。


海洋酸性化の進行

東経137度の本州南方域における表面海水のpHの長期変化(黒点は気象庁の定期観測データに基づく計算値。黒点間を結ぶ線は推定値)。熱帯域の北緯3度から日本近海の亜熱帯域の北緯30度まで、どこでもpHは長期的に下がっています。また、亜熱帯域ではpHがやや高く、しかしその下がり方が速いことや、pHが季節によって大きく変化していることもわかります。(気象庁「海洋の健康診断表」より)

東経137度の本州南方域における表面海水のpHの長期変化(黒点は気象庁の定期観測データに基づく計算値。黒点間を結ぶ線は推定値)。熱帯域の北緯3度から日本近海の亜熱帯域の北緯30度まで、どこでもpHは長期的に下がっています。また、亜熱帯域ではpHがやや高く、しかしその下がり方が速いことや、pHが季節によって大きく変化していることもわかります。(気象庁「海洋の健康診断表」より)[拡大図]

 気象庁は、1980年代のはじめから40年近くにわたって、観測船・凌風丸や啓風丸で、本州の南の東経137度線に沿った海域で、大気や海水の二酸化炭素観測を行っています。そのデータによると、黒潮の南の亜熱帯域では、表面海水のpHが10年間におよそ0.018のペースで下がっています。これは、海洋酸性化が進んでいることを示す証拠と言えます。また、このペースは、大気中の二酸化炭素濃度の増加から理論的に予想されるペースとほぼ同じです。一定の場所で定期的に測定を繰り返して、海洋酸性化の傾向を観測している場所は、この他にも北大西洋のアイスランド沖から南極半島沖まで、世界の海に10か所余りあります。海洋酸性化の速さは、海水のもともとのpHや海流の影響なども受けるので、観測海域によって少しずつ異なりますが、多くの海域で10年あたり0.018に近い速さになっています。
 この0.018という数値は小さく感じられるかもしれません。しかし、これはpHが水素イオン濃度の対数で示されていることによる数字のトリックです。pHの低下速度0.018を、「酸性」の原因の水素イオンの濃度増加率に換算すると、大気中の二酸化炭素濃度の増加率とほぼ等しくなります。産業革命前の海と比べると、表面海水のpHは、すでにおよそ0.1下がったと考えられます。これは、水素イオン濃度がおよそ25%増えたことを意味します。酸性化した海水は、海の内部にも広がっています。たとえば、北太平洋の亜熱帯域では水深700m付近でも酸性化を検出することができるのです。


海洋酸性化の影響

 海洋酸性化は、海に棲む生物や、その生物たちが作る豊かな生態系に大きな悪影響を及ぼす恐れがあります。水槽に入れた海水のpHを変えて生物を生育させた実験によると、サンゴや貝など炭酸カルシウムの骨格や殻を持つ生物は特に酸性化の影響を受けそうです。生物多様性の宝庫であるにも関わらず、すでに白化などでダメージを受けているサンゴ礁への影響は特に大きく、二酸化炭素排出量を大きく削減して地球温暖化を1.5℃に抑えることに成功しても、サンゴ礁が高いリスクに晒されることは避けられそうにありません。二酸化炭素の大量排出をこれまでのように続けると、海洋酸性化の影響は、炭酸カルシウムの殻を作る生物以外にも広がってゆくと考えられます。
 伊豆諸島の式根島には、海底から自然に二酸化炭素の泡が噴き出していて、そのために周囲の海水が酸性化している場所があります。そこでは、サンゴ、貝、フジツボなど炭酸カルシウムの骨格や殻を持つ生物が減り、背の低い海藻が目立っています。これが酸性化の進んだ未来の海の姿だと言えるでしょう。

伊豆諸島式根島付近の海底のようす。(左)二酸化炭素の噴き出しの影響がない場所。(右)海底から二酸化炭素が噴き出している場所の近く。(筑波大学 和田茂樹助教提供)
伊豆諸島式根島付近の海底のようす。(左)二酸化炭素の噴き出しの影響がない場所。(右)海底から二酸化炭素が噴き出している場所の近く。(筑波大学 和田茂樹助教提供)

伊豆諸島式根島付近の海底のようす。(左)二酸化炭素の噴き出しの影響がない場所。(右)海底から二酸化炭素が噴き出している場所の近く。(筑波大学 和田茂樹助教提供)


海洋酸性化の抑止のためにも二酸化炭素の大幅な排出削減を

 海洋酸性化は、海の生態系に大きな影響を及ぼし、その恩恵に依って暮らす多くの人々の生活を脅かします。そのため、国連の「持続可能な開発目標」(SDGs)では、目標14「海の豊かさを守ろう」の中で、海洋酸性化の抑止を重要な目標の一つに挙げています。また、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)でも、2013年9月に発表された第一作業部会「第5次評価報告書(AR5)」や2019年9月に公表された「海洋と雪氷圏に関する特別報告書(SROCC)」などで海洋酸性化の実態と将来予測に言及しており、2021年4月に公表される予定の「第6次評価報告書(AR6)」でも最新の科学的知見が報告されることになっています。海洋酸性化は、海水温の上昇や海面水位の上昇と同じように、いったん進むと完全に逆戻りさせることは不可能で、対策が遅れるほどその影響は大きくなります。世界中の人々が、二酸化炭素の排出削減に一日も早く取り組む必要に迫られていることは、海で起きているこれらの変化を見ても明らかなのです。

国連のSustainable Development Goals(SDGs:持続可能な開発目標)は、目標14「海の豊かさを守ろう」の中で、海洋酸性化の抑止を重要な目標の一つに挙げています。
国連のSustainable Development Goals(SDGs:持続可能な開発目標)は、目標14「海の豊かさを守ろう」の中で、海洋酸性化の抑止を重要な目標の一つに挙げています。

国連のSustainable Development Goals(SDGs:持続可能な開発目標)は、目標14「海の豊かさを守ろう」の中で、海洋酸性化の抑止を重要な目標の一つに挙げています。



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〜著者プロフィール〜

石井雅男
気象庁気象研究所 研究総務官
名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了(化学専攻)
海洋の物質循環の研究に長年従事。2017年からユネスコ政府間海洋学委員会・世界気象機関ほか後援の全球海洋観測システム(GOOS)生物地球化学パネル共同議長。
現在、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第1作業部会第6次評価報告書のリードオーサーも務める。
著書に蒲生俊敬編著「海洋地球化学」(講談社、2014年)、日本海洋学会編「海の温暖化−変わりゆく海と人間活動の影響」(朝倉書店、2017年)(いずれも分担執筆)ほか。

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