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H教授の環境行政時評環境庁(当時)の職員から大学教授へと華麗な転身を果たしたH教授が、環境にかかわる内外のタイムリーなできごとを環境行政マンとして過ごしてきた経験に即して解説します。

No.007

Issued: 2003.08.07

第7講 亜鉛の環境基準をめぐって(付:レンジャー今昔物語)

目次
環境基準と生物多様性
亜鉛の環境基準をめぐる産業界との対立
国立公園とレンジャー
レンジャー私史
レンジャーの現在と将来

環境基準と生物多様性

H教授お、どうしたんだ。ちょっと不自然なほどウキウキしてるじゃないか。

Aさんだって、もうすぐ夏休みですもの。そうなれば、センセイの顔見ずにすむかと思うと、うれしくって、うれしくって。


H教授相変わらず、口がわるいな。そんなんだから、彼氏にフラレるんだ。

Aさん(ギクッ)ほっといてください! しばらく冷却期間を置いてるだけです。夏休みはワタシひとりで青春を謳歌するんだもん!

H教授へえ、ところで、夏休み中、アエンのケリがどうつくか見ものだな。

Aさんヤダ! カレに「会えん」なんて悲しいこと言わないでください(涙声)。

H教授(驚いて)ちがう、ちがう、金属の亜鉛、Znだ。

Aさんえ? なんですか、それ。

H教授やれやれ、環境基準【1】て知ってるよね。

Aさん(涙をふいて)あったりまえじゃないですか。環境上の望ましい基準で行政の目標とするものでしょう。英語で言えば「Environmental Quality Standard」。


H教授お、えらい、えらい。でもねえ、だれの何にとっての望ましい基準なの?

Aさんえ? みんなが文化的で健康的な生活を送る上で、でしょう。

H教授そう、みんなってのは人間みんなってことだよね。人の健康または生活環境を守るうえでの望ましい基準ということになっている。だから概念上、健康項目と生活環境項目のふたつがある。そしてこれを維持達成することが行政の努力目標になっていて、そのため規制だとかさまざまな手段を講じている。
大気や水の環境基準は、環境中の濃度の話だから、煙突出口や排水口の濃度の規制基準と混同しちゃダメだぞ。
健康項目は全国一律と決まっているけど、生活環境項目の場合は直接健康に関係するわけじゃないということで、何段階かの基準が決まっていて、自治体がどの基準にするか個別にあてはめることになっている。これを「類型あてはめ」【2】って呼んでいる。
大気には健康項目しかないんだけど、水質では健康項目の他、生活環境項目も決められていて、川の場合だとBOD、海や湖ではCODというのが代表的な指標になっていて、利水の状況に着目して類型あてはめを行っている。

Aさんなんだか、下手な講義を聴いてるみたいですね。で、なにが問題なんですか?

H教授じつは環境基準にはさまざまな問題があって、これだけでも一冊の本が書けるくらいなんだけど、今日の話は、そもそも環境基準は「人の健康または生活環境」を守るためだけでいいのかという大前提にかかる問題だ。


Aさんわかった! 「生物多様性」のことでしょう。

H教授ピン、ポン! だいぶ勘がよくなったじゃないか。1990年頃から生物多様性の保全というのが、国際的なキーワードになった。この概念自体、遺伝的多様性だとか種の多様性だとか生態系の多様性だとかいろんなレベルで言われていて、よくわからないところもあるんだけど、いずれにせよヒトも生態系を構成している一員であり、その生態系を撹乱させるとヒト自体もおかしくなってしまう、他の生物との共生を図らなくちゃいけないということだね。
だから新・生物多様性国家戦略が政府決定された(「地球環境保全に関する関係閣僚会議」による)だけでなく、自然公園法や、鳥獣保護法でも近年になって、生物多様性を意識した改正が相次いだし、化学物質審査法でも生態系保全を視野に入れた見直しがはじまり、環境アセスメントでも生物多様性の観点からの評価が取り入れられた。自然再生推進法だってそうだ。
だから、環境基準も単にヒトの健康、生活環境だけでなく、そうした生態系保全の観点からもういちど考え直さなければならない。

Aさんへえ、じゃ、コペルニクス的転回じゃないですか。

H教授そうは簡単にいかないよ。大体、生物多様性の保全なんて、総論賛成、各論反対の世界だもん。科学的なデータも乏しいし、害虫だとか病原体生物も保全しなきゃいけないのかなんて、うんざりするような議論も出てきて収拾がつかなくなるよ。
だから、将来的にはそういうことも視野に入れつつ、とりあえず、できるところから地道にやっていこうということになった。水質の場合、まずは代表的な魚が、その餌生物も含めて健全に成育できるための基準を決める。それを広い意味でのヒトの生活環境だということで、生活環境項目として追加するというのなら、一般の理解も得やすいだろうということで検討がはじまったんだ。

Aさんなんか随分遠回りみたいだけど。


H教授仕方ないよ。だって、生活環境項目と言っても、実質的には健康項目の追加みたいなもんだもん。

Aさんえー、なんで、なんで?

H教授いままで生活環境項目というのはBOD(生物的酸素要求量)、COD(化学的酸素要求量)、SS(浮遊物質)、DO(溶存酸素)、大腸菌群数、油分、pH、全窒素、全燐しか決まっていない。一方、いわゆる化学物質だとか金属はすべて健康項目で、排水基準と連動している。そうしたものを生活環境項目に入れるというのは、ある意味ではミニ・コペルニクス的転回といっていいんじゃないかな。


Aさんで、どんな検討をしたんですか?

H教授淡水域の上・下流、海域と3つに分けて、いろんな物質の毒性データ、環境データなどの検討が専門家による検討会ではじまった。
昨夏、亜鉛などの金属、ホルムアルデヒドなどの化学物質の計9つの物質について、水質目標値案を公表。で、これをもとに水生生物保全のための基準を決め、それを生活環境項目に追加しようというので、中央環境審議会の水環境部会に諮問したんだ。
中央環境審議会は昨年12月、水生生物保全環境基準専門委員会を発足させた。で、この6月にその専門委員会が報告書をまとめたんだ。

Aさんどんな内容なんですか。

H教授検討会報告書で案を公表した9物質のうち、1物質を除いた8物質について水質目標値を決定した。さらにこのうち亜鉛に関しては環境基準を設定、ホルムアルデヒド、フェノール、クロロフォルムの3物質については水質汚濁防止法上の要監視項目と位置付け、他の4物質は目標値をその根拠とともに広く公表して事故などの際の指標とするなど経過をみるのを妥当としたんだ。

Aさん水質目標値を決めながらなぜ取り扱いが違うんですか。

H教授毒性試験などのデータが豊富かどうかということと、現実の水環境中で目標値を上回るレベルの濃度が出現している程度や、測定の容易さ、あるいは海外での事例なんかを勘案したんだと思うよ。やっぱり環境基準の設定となれば、排水基準との連動も考えなきゃいけないから、相当慎重に構えて、とりあえずは亜鉛だけに絞った。

亜鉛の環境基準をめぐる産業界との対立

Aさんその唯一残った亜鉛に対してすら、産業界は大反対の立場を取ったというわけですね。

H教授そう、この専門委員会報告に対して案の段階で、いまはやりのPC(パブリックコメント)を求めたところ、多分産業界からと思われる多数の反対意見が寄せられた。
これを強行突破して専門委員会報告を確定させたんだけど、経団連はこれに真っ向から反対して、記者発表まで行った。専門委員会報告は中央環境審議会水質部会に提示されたんだけど、その場でも産業界系の委員が猛反対。専門委員会報告をもって答申とするという慣例が破られ、ついに次回まで先送りとなった。
その次回というのが多分夏休み中じゃないかと言うんだ。


Aさんなんで反対するんですか?

H教授環境基準が決まれば、つぎにはその10倍の値で排水基準が決定するというのが従来の例なんだけど、それにはとても対応できないと言うのが本音だろうな。そのため、科学論争という形をとって、なぜ亜鉛かということや、その環境基準値の設定方法がおかしいとか、データの信頼性が乏しいとかいろいろ言ってるんだ。

Aさんセンセイはどう思われるんですか?

H教授多分まだできあがってないだけだと思うけど、環境省のHPでは、先日の中央環境審議会水環境部会の議事録も議事要旨も公表してないので、詳細はわからないから判断は保留するよ。

Aさん公表されたら判断できるんですか。

H教授うるさいなあ、キミは。ぼくにわかるわけないじゃないか、恥をかかせるなよ。
ただ、この件に関しては検討の初期段階から逐次議事録や配布資料なども公表されているんだから、いまごろになってただ反対されてもなあと直感的には思うよ。
生態系の保全という観点からの基準つくり自体に反対するのでない限り、対案を出すべきじゃないかな。
また、データ不足というのはそのとおりかもしれないけど、未然予防という観点から言うと、すべてのデータがそろい科学的に100%解明されるまで待つわけにはいかないということもあるよね。
データが比較的豊富で、諸外国でも環境基準が決められているというんで、ひとつに絞り込んだその亜鉛ですら決まらなければ、その他の物質なんて永遠に決まらなくなっちゃうよ。
たしかに亜鉛は必須元素で自然界に存在しているものだけど、だからといって人為的な排出は好ましくない。環境基準や排水基準を設定するかどうかはとりあえず別にしても、人為的な排出は極力抑えるのは当然だと思うなあ。新聞報道では経団連は魚の餌は他にもあるだろうからヒラタカゲロウなんていなくなったって構わないなんて発言したそうだけど、どうかと思うよね。

Aさんへえ、それが本音なのか。で、これからどうなるんですか?

H教授わからない。いままでは密室や水面下での議論が多かったんだけど、こういう形で国民のまえで意見が戦わされること自体はいいことだと思うよ。それと産業界とは言っても亜鉛を排出する業種は特定されるから、経団連が最後まで徹底抗戦できるかどうか。

Aさんでもなぜ環境基準が決まると、10倍の値で排水基準が決まるんですか。

H教授最低でも排水直後に10倍以上には薄まるからということじゃなかったかな。ま、一種の割り切りから来る慣例だね。排出基準そのものは法定事項だけど、環境基準の10倍にせよと定めているわけじゃないから、排水基準はまた別に議論することになる。だから、別といえば別なんだけど、排水基準に関して亜鉛だけ別というのも説明付かないもんなあ。
もっとも期限を決めて、特定業種についての暫定排水基準【3】ということは可能だけどね。


Aさんところで審議会の委員というのは環境大臣が任命するんでしょう。なんで反対するような人を任命しちゃったんですか。

H教授審議会というのは法律で設置することが決まってるんだけど、その法律を決める際に各省協議というのをやらなきゃいけない。そのなかで馬に食わせるほどの量の覚書みたいな水面下での約束事項が取り決められて、そのなかのひとつとして各省の推薦する委員枠みたいなものが不文律として決まってくるんだ。一つの省が暴走するのを抑えるチェック機構のひとつだと言えるけど、同時にドラスティックな政策転換をする際の足枷になってしまう場合もある。多数決っていう術がないわけじゃないけど、全会一致というのがいままでの慣例だもんなあ。

Aさんじゃ、前途多難ですね。

H教授そう、環境基準も諸外国じゃ結構安易に決めてるみたいだけど、ニホンはうるさいんだ。その代わり、いったん決めると、あとはしっかりしてるんだ。常時監視【4】だとか...。

Aさんやだ! 出歯亀!

H教授ん!? ...(気づいて)ばか、それはジョージちがいだ。キミはなにを考えてるんだ、いったい。

Aさんいや、固い話が続いたから、一息入れてあげようとセンセイの喜びそうなジョークを...。

H教授冗句はやめろ、話を戻すぞ。
それに排水基準が連動してくる。そういう意味じゃ、今後どうなるか見逃せないね。
あとは、そうした個々の物質だけでいいのかっていう問題や、水質だけじゃなく水辺や底質など水環境総体の環境基準も決めなきゃいけないんじゃないかとか、言い出せば切りがないけどね。


国立公園とレンジャー

Aさんところで今月もなんか経験談を話してくれるんでしょう。

H教授そうだなあ、いま生物多様性の話をしたけど、国立公園とレンジャーの話でもしようか。

Aさんレンジャーって遭難救助したり、パトロールして悪いひとをつかまえたり、自然解説したりするんですよねえ。
わたし前から不思議だったんだけど、運動神経も鈍くて、樹木も鳥の名前もほとんど知らないセンセイがよくレンジャーなんてできましたよねえ。

H教授(憮然として)なんでキミにそんなこと言われなくちゃいけないんだ。失敬な!

Aさん(気にせずに)でも、アメリカにはレンジャーって1万人以上もいるんですってね。日本はやっと200人、センセイの現役のころには100人だったんでしょう。日本ってほんとお粗末ですよねえ。


H教授(怒りを堪えて)ほんと、ぶんなぐってやりたいんだけど、今はあとがうるさいからなあ。ま、いいや、説明してやるよ。
アメリカの国立公園と日本の国立公園ではまず面積がちがう。面積あたりでいえば、もう少し差は縮まるけど、それは本質的なことじゃない。
アメリカでは利用者のための施設の整備や管理、自然解説や野生生物の調査から治療までさまざまな分担を持った多くのレンジャーがいて、国立公園のなかで火事が起きたり、遭難事故が起きたりしても、その対応はレンジャーが行う。日本じゃ、火事は消防署だし、遭難は県警の出番だ。
それに、そもそもシステムが違うんだから人数を比較しても意味がない。

Aさんどういうことですか。同じNational Parkじゃないですか。

H教授アメリカっていうか、世界のたいていの国じゃ、国立公園というのは国が土地の所有権なり管理権を持っている公園専用地になっている。アメリカの場合は内務省の国立公園局が土地を管理しているんだ。これらは「営造物公園」と呼ばれる。
一方、日本では、土地の所有権や管理権とは関係なしに、他人の土地をすぐれた自然の風景地だからという理由でもって、自然公園法という法律で公園区域の指定をして、すぐれた風景を守るために一定の行為を規制したり、利用のための施設を整備したりしているんだ。こちらは「地域制公園」と呼ばれる。
で、その規制なんだけど、一方じゃ、憲法で財産権を保障しているから、規制するといっても限度がある。
自然公園法では規制条項もあるけど、同時に財産権尊重規定だとか他の公益との調整規定、損失補償規定なんかもあっても強権的な規制はやりにくいようになっているんだ。
日本の国立公園には、国有地が6割以上はあるけど、そのほとんどは林野庁が管理する国有林だ。かれらは特別会計、つまり林業経営でメシを食っているから、環境省にしてみれば民有地も同然だ。
いろんな申請を不許可にした例など皆無に近く、それはこういうシステムから来るんだけど、でもねえ、決してそれだけじゃないんだ。

Aさんどういうことですか

H教授国立公園としてあまりにも相応しくないようなものは、やっぱり許可するわけにはいかない。でも、不許可なんてしちゃうと損失補償や財産権の保護などでたいへん面倒なことになる。補償の予算があるわけじゃないし、土地を簡単に買い上げるってわけにはいかないからね。
だから、不許可相当の案件は、最前線にいるレンジャーが、必死に説得して、つまり、おどしたり、すかしたりして、断念させたり、なんとか許可できるようなところまで規模を縮小させたうえで申請させるようにしていたということを忘れちゃいけない。

Aさんそれって悪名高き「行政指導」って奴じゃないですか。


H教授そういう言い方もできないわけじゃないけど、当時の国立公園の場合はやむをえなかったと思うよ。
日本の場合、国立公園のなかに人は住んでいるし、木は切り出しているし、さまざまな産業活動も行われている。家を建てたり、道路を作ったり、開墾したりすることも、手続きを踏めば、ときには手続きなしでも可能となる。そういう土地利用の調整がたいへんなんだ。
で、レンジャーと言っても、日本の場合は、その仕事の大半はそうした許認可の指導・調整になってしまう。でもテレビなんかじゃ、それでは絵にならないから、パトロールだとか自然解説のところばかりとりあげる。だから、キミのような誤解が生まれるんだけど、日本の場合、レンジャーというのはナチュラリストでなく、あくまで行政官なんだ。
だから運動神経は関係ないし、自分が樹木の名前を知っているよりも、樹木の名前を知っている人のネットワークを作り上げられる才能など調整的な能力の方が必要なんだ。
...うーん、ちょっと自分でも弁解臭いな(笑)


Aさんなんだ、じゃ、そういう事務的なことばっかりやってたんですか。つまんない。

レンジャー私史

H教授そんなことはないよ。ぼくがレンジャーをしてた頃、いくつかの国立公園では一応管理事務所があって、所長以下数名の小さいながら「組織」といえるところもあった。だけど、残りの大半は単独駐在って言って、霞ヶ関の末端の職員がポツンと一人、山の中や海岸の岬のちっちゃな事務所兼住宅に住んでたんだ。ぼくはそうした単独駐在を3箇所で延べ10年近くやっていた。
当時は組織の体を成しておらず、霞ヶ関の職員が単身で事務所兼住宅に住んでいるんだから、たとえ霞ヶ関の序列では下っ端であっても、一見ミスター厚生省、環境庁に移行してからはミスター環境庁として -あ、のちにはミズ環境庁もいたなあ、地元の市町村や旅館の親父さんたちや住民と接するんだもん、たいへんなことも面白いこともあったさ。ちやほやされたり、おそれられたりもした。
地元の人に信頼されるためには、夜一緒に飲んだり、愚痴を聞いてあげなくちゃいけないこともあったしね。ただ法律と建前だけ振りかざして、事務的にあるいは強権的に接したらいいというもんじゃないんだ。

Aさんはーん、センセイは地元の人の無知と人情をうまく利用して散々只酒を飲んだんだ。

H教授人聞きの悪いことをいうなよ。そういうことはもちろんあったけど、事務所に訪ねてきた人には酒を振舞ったりもしたよ。


Aさんそのお酒は自分で買ったんですか。

H教授(小さく)貰い物、断りきれなくて。当時はそういうものだったんだ。
でもねえ、ボクの頃はまだそれでもレンジャーっていう存在自体は認知されてたけど、ぼくらの大先輩の頃はもっとたいへんだったみたいだよ。
つい先日公刊された『レンジャーの先駆者たち』(財団法人自然公園財団 発行)【5】には往年のレンジャーたち数10人の苦労話がでている。
レンジャー制度は昭和28年にはじまったんだけど、役場ですら国立公園の仕組みなど知らないようなところへ、事務所も住宅もあてのないまま現地に赴任したみたいな苦心惨憺の話がぼろぼろ出てくるんだから、涙なくしては読めないよ。いちど読んでごらん。
いずれにしても、ぼくもそうした地元の人にたいへんお世話になったし、その厚い人情に触れる機会が山ほどあった。そうしたさまざまな人との出会いこそがレンジャーの醍醐味だったんじゃないかと思うよ。

Aさんへえ、ところでその本にはセンセイも執筆してるんですか。

H教授(憮然として)書かせてくれなかった...。

Aさんやっぱりねえ。

H教授なにがやっぱりだ。原則として各駐在地の初代レンジャーが執筆することとされたんだけど、ぼくのいた3箇所ともぼくは初代じゃなかったからなんだ。

Aさんま、そういうことにしておきましょう。

H教授うるさい。ぼくが最初に駐在したのは、多島海景観で知られている瀬戸内海国立公園の展望台として有名な鷲羽山で、その公園の岡山県全域が担当だった。たしかに多島海景観はすばらしかったけど、海自体はどんどん埋立が進行し、コンビナートなどの排水で環境破壊が深刻だった。でも、実質的な規制がある程度できる国立公園区域というのは陸域では岬の先端とか島の上半分だとかで、海面は一応、国立公園ではあったけど、事実上ほとんど規制できない仕組みになっていて、そうした状況にまったく関与できなかった。悔しかったねえ。

Aさんそれで毎日飲んだくれてたんでしょう。

H教授人聞きの悪いことをいうなよ。それなりに楽しんで仕事はしたよ。
で、そのあとがアルピニストのメッカ、中部山岳国立公園だ。奥飛騨の平湯温泉に駐在し、公園の岐阜県側全域が担当だった。2〜30軒ほどの旅館や民宿の温泉集落の外れの、森のなかの一軒家だったんだけど、冬の3ヶ月ほどは2メートルの雪に閉じ込められた日々だ。当時はまだ独身で、夏の盛りが過ぎると一気に人影が絶え、悲恋・失恋に涙していたことを思い出すよ。

Aさんセンセイが恋? マッサカア。

H教授なんとでもいえ。ぼくにだって青春時代はあったんだ【註】
ところでこの頃、都会では公害反対運動が盛んで、平湯温泉に駐在して2年目の夏に、環境庁(当時)ができた。当時の厚生省から組織ごと環境庁に移行したんだ。事務所の看板を書き換える予算もなくて、ぼくが手書きで書き換えたっけなあ。
ま、それはともかくとして、僻地でも同じようにスカイラインやロープウェイなどの観光開発に反対する自然保護運動が起きていた。でも、それは公害反対運動とはちがって、多くの場合いわば他所者の運動でね、地元ではそれに対する反感がすごかったことも忘れちゃならない。

そういうときのレンジャーってのはある意味では板挟みでね、地元のひとに対しては、安易な外部資本を入れた開発をすることは結局は自分たちの首をしめることにつながるって啓蒙・説得しつつ、都会の反対運動の人たちには地元の人たちの悩み苦しみを共有せずに、ただ反対だけするのはかえって地元の反発を買うだけだと言って、双方の反発を食らったりもした。

Aさんカッコいい! そういえば、あそこにはスカイラインもロープウェイもありましたよねえ。センセイもそういうたいへんな板挟みにあったんだ。

H教授(照れくさそうに)いや、ぼくの赴任したときはそこのスカイラインもロープウェイもほぼ出来上がっていたから、そうでもなかった(笑)。
でも環境庁ができてからは格段に自然公園の規制の運用は厳しくなり、とくに核心部での新たな観光開発は認めないようになった。

Aさんでもそれだとレンジャーってやっぱりこわもての規制だけに聞こえるんだけど。


H教授だから、レンジャーってのはただ規制するだけじゃなくて、目に見える形で地元にも貢献しているというのを見せなくちゃいけないというんで、地元の人たちを組織して任意団体をつくり、みんなで清掃したり、その団体のカネで学生のバイトを使って山のパトロールや清掃もさせた。でも泊まるところがあるわけじゃないから、夏の間は狭い事務所兼住宅には常時10人前後が泊まってたりした。全共闘くずれの山好きの学生たちばっかりでねえ、まるで梁山泊だったな。いまにして思うと懐かしいよ。

Aさんへえ、おもしろそう。で、そのあとは?

H教授東京で総理府というところに2年間いたあと、南の霧島屋久国立公園のレンジャーになった。えびの高原に駐在し、特異な火山地帯である霧島地区全域が担当だった。えびの高原の中心部は例外的に環境庁の管理する公園専用地だったから、そこだけはアメリカ型と言って言えないことはない。

でもねえ、たとえば大雨で樹が倒れたりしていれば、それまではそこの管理者に電話して「片付けといて」と言うだけでよかったんだけど、環境庁の土地や施設なら自分がしなきゃいけない。人手もカネもないから大雨のときなんかは自分でシャベル持って駐車場や遊歩道を回ったよ。
またここでも平湯温泉のときとおなじように、夏休み中は学生のバイトを何人もわが家に寝泊りさせた。このときはすでに結婚してて赤ん坊もいたから随分子守もさせた。

ま、こういう風に3箇所でレンジャーやったんだけど、その頃の単独駐在のレンジャーの直属の上司はいきなり霞ヶ関の係長や補佐ということになるから、個々のレンジャーが手づくりで仕事を作っていたような面も多かったな。


レンジャーの現在と将来

Aさんへえ、おもしろそうだ。ワタシもやってみたいなあ。

H教授いまではもうそんな非組織的なことはしてないよ。あの頃だからできたんだ。

Aさんえ、なんで、なんで?

H教授じつはぼくがレンジャーのあと、霞ヶ関に戻って全国の国立公園の許認可の窓口の仕事をしたんだけど、とにかく申請の数がすごいんだ。電柱一本立てる申請まで霞ヶ関に来るんだもの。あまりの数のすごさに閉口して、この許認可の権限のうち軽易なものを現地に下ろそうとした。


許認可は名目的には環境庁長官がするんだけど、実際は専決といって、権限は局長に下ろされていた。それをさらに下ろすには最低でも所長でなくちゃならないんだけど、当時はちゃんとした所長がいる国立公園管理事務所は全国で10しかなかった。でも国立公園は当時で27あったから、法のもとの平等の原則に反するというので、ネックになっていた(その後、昭和62年に釧路湿原が指定され、現在は28国立公園になっている)。
で、ある日、ふと思いついたんだ。熊本営林局というのは熊本だけじゃない、九州全部を管轄している。じゃ、阿蘇国立公園管理事務所と言うのは阿蘇国立公園の管理事務所ではなくて、阿蘇にある九州全体の国立公園管理事務所、つまりブロック事務所とみなしてもいいじゃないかって。霧島屋久国立公園のレンジャーは阿蘇国立公園管理事務所の所員にしてしまえばいいって。
当時の環境庁の法律担当の事務官は呆れていたね。役人と言うのはどんなことがあっても権限を手放さないものだのに、自分から屁理屈をこねて手放そうとするんですかって。


Aさんで、どうなったんですか。

H教授数ヶ月は不眠不休だったけど、この「ブロック・専決制」はみごと実現した。それから20数年、所長の格もだいぶ上がったし、いまや自然保護事務所となり、公園の外のことまで権限が及ぶようになった。もちろんそれは時代の流れで、遅かれ早かれそうなったんだろうけどね。
でも、例えば朝の連ドラにもでてきた吉野熊野国立公園管理事務所は和歌山の新宮にあったんだけど、いまでは近畿地区自然保護事務所になり、昨年大阪市内に移転した。
それに、環境省には自然保護事務所のほかに、地方環境対策調査官事務所というのがある【6】んだが、産廃Gメンを作れという声もあることだし、いずれは統合して地方環境局みたいな話になるのかも知れない。

Aさんでも、折角レンジャーを志して入っても都会のど真ん中で仕事するんじゃあ、可哀想。

H教授自然保護事務所は関係機関との調整なんかが便利なように、都会にでる傾向があるけれど、全面撤退するんじゃなくて、もちろん現場にもレンジャーは駐在させているよ。
ところで、ぼくらがレンジャーのとき仲間とよく語っていた夢が2つあるんだ。
ひとつはアメリカのような国有の公園専用地からなる国立公園で、ナチュラリストのレンジャーがいっぱいいて許認可などに追われない理想的な「大国立公園」が生まれないかという夢だ。
もうひとつは国立公園のなかだけじゃなくて、広くオールジャパンでの自然保護に関与したいという夢だね。
いまは後者の方向である程度進んできたみたいだけど、前者の目もまったく消えたわけでもないんじゃないかな。国有林がどうなるかだけどね。

Aさんえ? どういうことですか?

H教授さっきも言ったように林野庁は林業経営でメシを食っている。だから、本省レベルでは公園の指定だとか、林道建設だとかで、過去にはしばしば鋭く対立してきた。もちろん、現場では公園管理に関してはお互いに協力していることのほうが多かったんだけど。
それが'90年前後から国有林の経営が火の車でどうにもならなくなり、本格的なリストラがはじまった。環境庁でもレンジャーとして林野庁現場職員の受け入れを大々的にはじめたりして、だいぶ関係が好転した。だが依然として国有林経営の困難さはかわらない。となると国立公園の中の施業していない国有林なんかは環境省に人もろとも移行ということも考えられないこともないんじゃないかな。
国有林が大半を占めているような国立公園では、将来そうした大国立公園が出現する可能性がゼロではないと思うよ。

Aさん二兎を追うもの一兎も得ずにならなきゃいいですけどね。

H教授まったくうるさいね、キミは。

ま、いずれにせよ、「ブロック・専決制」は組織の発展とか処遇改善という意味ではよかったんだ。地元の人の目も所長に向くようにもなったしね。一方で、その頃から単独駐在レンジャーの事務所と住宅は基本的に別、つまり職住分離があたりまえになったから、楽になった分、面白さも半減したかもしれない。
それにいま民間の接待はダメということになり、地元の人と酒を酌み交わすことだってむつかしくなった。第一、「行政指導」ってものが不透明だとして、世間では叩かれる時代になってしまった。そんなんでレンジャーの仕事ができるのかって、いささか不安になるのも事実だよ。


Aさん自分は美味しい思いをして、後輩にはそれをさせないようにしたんですね。センセイってずるーい。

H教授うるさい、うるさい、そんなことばっかり言ってるから、彼氏に逃げられるんだ。

Aさん... センセイのバカ!(突然泣きだす)

H教授(うろたえて)ゴメンゴメン、さ、泣き止んで。ごはんでも食べにいこう。


注釈

【1】環境基準
環境基本法第16条に基づいて、政府が定める環境保全行政上の目標。人の健康を保護し、生活環境を保全する上で維持されることが望ましい基準。政府は公害の防止に関する施策を総合的かつ有効適切に講ずることにより環境基準の確保に務めなければならないとされている。大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音について定められている。また、これら基準は、常に適切な科学的判断が加えられ、必要な改定がなされなければならないと規定されている。 現在、大気汚染、水質汚濁、地下水の水質汚濁、土壌汚染、各種騒音、およびダイオキシン類による汚染のそれぞれに係る環境基準が設定されている。 環境省では、平成14年8月、水生生物保全に係る水質目標の考え方の整理と、環境中の濃度が高く、かつ、その影響についての知見を得ている物質に対する水質目標値を検討・導出した報告書を公表している。これを踏まえて、平成14年11月に水生生物の保全に係る水質環境基準の設定について中央環境審議会に諮問している。
環境省ホームページより
【2】類型あてはめ
中央環境審議会水環境部会 水生生物保全環境基準専門委員会 配付資料(第5回参考資料15/第6回参考資料14)より
上記の会議概要及び会議資料一覧 (第5回)
(第6回)
【3】暫定排水基準
水質汚濁防止法(1958)では、人の健康に係る被害を生ずるおそれがある物質を有害物質として定めている。これらの有害物質については、全国一律に適用する排水基準(一律排水基準)を設定し、排水規制を行っており、物質の設定や基準の見直しなど、環境基準達成に向けた強化策を取っている。 しかしながら、有害物質を排出する工場・事業場のうち、一律排水基準を達成することが著しく困難である一部の工場・事業場については、暫定措置として一定期間に限り基準を緩和している(暫定排水基準の設定)。これらの暫定排水基準は、状況をみながら徐々に廃止または強化を行ってきている。
環境省報道発表より:「閉鎖性海域に係る窒素・燐の暫定排水基準の見直し(案)」に対する意見の募集について(平成15年7月28日)
環境省報道発表より:「セレンに係る暫定排水基準の見直しについて」に対する意見の募集について(平成14年11月29日)
【4】常時監視
環境省環境管理局水環境部では、「公共用水域における亜鉛の常時監視結果(平成3〜12年)」を公表している。
「公共用水域における亜鉛の常時監視結果(平成3〜12年)」
また、同省大気環境課及び独立行政法人国立環境研究所が提供・運用する、大気汚染の広域監視システム(愛称「そらまめ君」)による常時監視結果(速報)がリアルタイムに公表されている。
大気汚染の広域監視システム(愛称「そらまめ君」)による常時監視結果(速報)
【5】『レンジャーの先駆者たち』財団法人自然公園財団

国立公園管理員制度発足50周年記念出版
『レンジャーの先駆者(パイオニア)たち』
わが国の黎明期国立公園レンジャーの軌跡
編集・発行:財団法人自然公園財団
協力:財団法人国立公園財団
財団法人自然公園財団のHPより

【編集部註】

Hキョージュは、中部山岳国立公園平湯温泉駐在だった頃に、隣のT県庁にて、今の奥さんに一目惚れ...。
それ以来、担当のG県よりもT県が担当区域であるかのように、毎日T県庁に通い詰めたという。

アンケート

この記事についてのご意見・ご感想をお寄せ下さい。今後の参考にさせていただきます。
なお、いただいたご意見は、氏名等を特定しない形で抜粋・紹介する場合もあります。あらかじめご了承下さい。

【アンケート】EICネットライブラリ記事へのご意見・ご感想

参考 「南九研時報」第35号 平成14年8月、「瀬戸内海」第34号(瀬戸内海環境保全協会、平成15年6月)

(平成15年7月15日執筆/同月末日編集了、文:久野武)

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