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環境さんぽ道

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様々な分野でご活躍されている方々の環境にまつわるエッセイをご紹介するコーナーです。

No.036

Issued: 2014.12.09

森と水と音のアンサンブル

小林 和男(こばやし かずお)さん

小林 和男(こばやし かずお)さん
 1940年長野県生まれ。NHKモスクワ支局長、ウィーン特派員など海外駐在14年。
 92年ソ連崩壊の報道で菊池寛賞。ロシア文化への貢献でロシア政府プーシキン勲章。現在ジャーナリスト、サイトウ・キネン財団評議員。
 著書に「エルミタージュの緞帳」(日本エッセイストクラブ賞)「1プードの塩〜ロシアで出会った人々〜」「白兎で知るロシア」など。

木の殺人?

 40年も前になるがモスクワからいきなりウィーンに転勤になり、そこで一番先に出くわしたのが“木の殺人”という奇妙な呼び方の事件だ。いきさつはこうだ。ウィーンのはずれの天文台を新しく拡張する計画が持ち上がった。天文台は樹木に囲まれた環境にあったが、建物を拡張するためにはカスターニア(栃・マロニエ)の大木を何本か切り倒さなければならないという。カスターニアはご存知ウィーンの並木を飾る木だ。春になると白やピンクのろうそくを立てたような花が咲き、夏には緑の木陰を作って憩いの場所になり、秋にはとげのあるイガが落ちて子供たちの遊びの道具になる。ウィーンの四季はカスターニアとともに変わる。
 木を切って天文台を新しくする計画に市民が猛然と立ち上がった。Baum Mord(木の殺人)だと反対運動を展開し、新聞も加担して騒ぎになり、数ヶ月の後に計画は取りやめになった。当時日本は経済発展のまっただ中で、工業化のために自然は容赦なく切り捨てられ、世界中から公害の国の代名詞のように言われていた時だから、木を数本切る事に市民が猛然と反対することは新鮮な驚きだった。
 ウィーンに支局は私が初代だったから戸惑いはあったが、新しい事を始める快感があった。暫く家族とともにペンションで暮らし、事務所を兼ねた住宅を探した。初対面のウィーンの人に会うとほとんど例外無くまず「何区にお住まいで?」と言う。そこで分かったことはウィーンの人たちが住所で経済的社会的なステータスを推し量っているらしいことだ。予算も給料も安い新米支局長だが無理をして高級住宅地として文句の無い19区に居を定めた。ウィーンの森の外れ、新酒のワインを飲ませてくれる居酒屋ホイリゲでも有名なグリンツィングだ。名指揮者カール・ベームの家も近くだった。メゾネットの集合住宅だが、周囲は芝生と大木に囲まれ、リスが遊び、ぶどう畑の斜面を登ればヨーロッパアルプスの東の端カーレンベルグだ。カーレンベルグから見下ろすドナウ河はまさにヨハンシュトラウスのワルツの趣だ。家から10分も歩けばそこはハイリゲンシュタット。ベートーヴェンが終の住処とした所だ。彼の名曲田園の構想が湧いたのが納得出来る自然が残っている。ベートーヴェンが住んでいた家の一つが居酒屋になっていて世界各国からの観光客の人気の場所になっているのには違和感もあるが、だからといって周辺の自然を破壊して観光バスを入れるようなことはしていない。基本はあくまで自然を守りながらである。

市の中心部でも郊外でも自然に守られ子供の良い遊び場になっている 市の中心部でも郊外でも自然に守られ子供の良い遊び場になっている 市の中心部でも郊外でも自然に守られ子供の良い遊び場になっている

市の中心部でも郊外でも自然に守られ子供の良い遊び場になっている


ウィーンの水

 ウィーンで暮らしてまず驚いたのは水の値段だ。世界の大都市で水道水がそのまま飲めるところはそう多くない。ウィーンの前に暮らしたモスクワは水が悪いことは有名で、長くモスクワに暮らすと胆石になると評判だった。飲料水は買うものと決まっていた。その習慣からウィーンでボトル入りの水を買うとこれが高い! 安いビールよりも高いのだ。すぐに分かるのだがガス入りの水でなければ水道水がそのまま飲めるのがウィーンだ。カルキの臭いなど全くない。調べてみるとこれがハプスブルグ王朝の偉大な遺産なのだ。ヨーロッパアルプスの東端の山地に水源地を確保し、この地域では汚染を神経質に防ぐ措置を取り、ウィーンの街に引いて来ている。誰も見ていない大自然の中だからと、ちょっと用を足すなどもてのほかの地域だ。こうしてウィーンの森のミネラルウォーターが水道水になっているというわけだ。風呂はその水で入れのだから贅沢なものだ。これも樹木を大切にするこの国の人たちの心配りで守られている遺産だ。水に不自由せず、勢い心配りにも欠けがちな日本とは対照的な風土だ。


ウィーンの音

 私は音楽記者ではないがオーストリア政府は文化に関心を持つジャーナリストをとても大切にする。一般にはチケットを得難い人気のコンサートやオペラ、音楽祭の出し物などでも、申請すれば一枚だけは確実に譲ってもらえた。その特権を最大限に利用してウィーンの音楽を楽しんだ。言葉もろくに分からないのにオペレッタなどにも出かけた。途中で観客がどっと湧いて大笑いになることがしばしばある。アドリブで風刺を入れるのだが、何せ背景も言葉も分からないから一緒に笑えない。周囲が爆笑している中できょとんと沈黙しているのはバツが悪いから3秒ほど置いて力なく笑って見せるのだが,その寂しさは身にしみた。
 そんな爆笑の理由を後から尋ねてやっとハハーンと納得出来るのだが、その一つにウィーンの地下鉄の話があった。ウィーンの街は緑と赤の路面電車がしっくりとマッチしていることで知られているが、私が赴任したときすでに地下鉄の工事も始まっていた。ところが古い歴史の上に出来ている街である。工事中に遺跡にぶっつかったり、地上の建造物への配慮もあったりしたろう。工事は一向に進捗せず、いつ地下鉄が動くのかメドも立たなかった。オペレッタの中で観客が爆笑して拍手をしていたのは、歌手がアドリブで「ウィーンにもあと百年もすれば地下鉄が通るだろう」と歌っていたのだ。
 その待ちに待った地下鉄が私のウィーン滞在最後の年についに完成し、短い区間だったが電車が動き出した。私がさすが音楽の都だと感心したのは地下鉄駅でBGMにクラッシック音楽を流し始めたことだ。モーツアルト、ベートーヴェンは言うに及ばずウィーン縁の名曲には事欠かない。ところがこのBGMはすぐに止めになった。なぜだ!?
 クラッシック音楽が地下鉄駅に流れ始めてすぐに市民から反対の声が上がった。その言い分は、音楽には人の好みがある、一様にクラッシックを押し付けるのはいけないというのだ。ウィーンフィルの会員になるためには会員に欠員が出るまで長年待たねばならないというほどこの国人たちはクラッシック好きだと思っていた。その人たちが押しつけはいけないと言うのだ。かくしてウィーンの地下鉄駅は静寂が支配している。これぞ音楽の都と言われる人々の心だ。
 ウィーンを始めヨーロッパでテレビのリポーターが日本からの報告をしている姿を見た時の恥ずかしさは忘れられない。彼らはいつも電信柱を背景に喋るのだ。日本は経済大国になったと言うが現実はまだ街を電信柱が空を汚染している遅れた国にだというメッセージが込められていた。40年経った今でもその姿は大して変わらない。森も、水も、そして音楽を育む環境も、人に守られるものだ。環境は民度だと、今日もプラットフォームでがなり立てる駅のアナウンスを聞き、車窓に電柱が林立する世界に例を見ない街を眺めながら苦い気分を味わっている。

カスターニアなど巨木の緑に囲まれた市の中心部(オーストリア政府観光局提供)

カスターニアなど巨木の緑に囲まれた市の中心部(オーストリア政府観光局提供)


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(記事・写真:小林和男)

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