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環境さんぽ道

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様々な分野でご活躍されている方々の環境にまつわるエッセイをご紹介するコーナーです。

No.072

Issued: 2017.12.11

バルカル

松本 弥(まつもと わたる)さん

松本 弥(まつもと わたる)さん
早稲田大学卒、専門は古代エジプト史。
日本オリエント学会正会員、大阪大学民族藝術学会正会員。NHK文化センター青山教室講師(2004年以来)。
著書に、『ヒエログリフ文字手帳』[自然風土のめぐみ編][人びとの暮らし・生活編]、『Let's Try! ヒエログリフ』、『黄金の国から来たファラオ』、『写真は伝え、切手が物語るエジプト』、『物語 古代エジプト人』など多数。 テレビでは、「サハラ沙漠 謎の岩絵〜エジプト文明の起源に迫る〜」(2009.NHKスペシャル)、「ひとはなぜ絵を描くのか」(2010.ETV特集)、「異端の王・ブラックファラオ」(2011.NHKハイビジョン特集)、「クレオパトラの古代エジプト天文学」(2015.NHK BS コズミック・フロント)、「メロエの古代遺跡群(スーダン)」(2017.TBS 世界遺産)など

 人は場所を選ぶ。その景観に心打たれ、聖別してしまう場所がある。ただ美しいとか、荘厳だとか感性に訴えるものではなく、人が神として崇めてきたものとその景観、環境が合致して、篤い信仰が寄せられることになった場所だ。信者だった古代の人びとが、はじめてその景観を眼にしたときの驚きはいかばかりだったろうか。

ゲベル・バルカルと、そのふもとの神殿跡。ゲベル・バルカルの高さは約98m。神殿の正面には、アメン神の聖獣であるヒツジのスフィンクスの参道が残る。

ゲベル・バルカルと、そのふもとの神殿跡。ゲベル・バルカルの高さは約98m。神殿の正面には、アメン神の聖獣であるヒツジのスフィンクスの参道が残る。


© Google Earth

© Google Earth

陸路を移動する場合、メロエからカリマまで(直線距離で約260km)はバユーダ沙漠を横断する。© Google Earth

陸路を移動する場合、メロエからカリマまで(直線距離で約260km)はバユーダ沙漠を横断する。© Google Earth

ナイルから1600mほどの沙漠の縁にあるという環境も信仰の地となった要因のひとつだ。古来、神殿や墳墓は耕地に影響しない沙漠の縁が選ばれていたのだ。© Google Earth

ナイルから1600mほどの沙漠の縁にあるという環境も信仰の地となった要因のひとつだ。古来、神殿や墳墓は耕地に影響しない沙漠の縁が選ばれていたのだ。© Google Earth


 私が訪れたのは、古代エジプト時代にクシュとよばれた地域にある、現在のスーダンのカリマという町だ。ウガンダ、タンザニア、ケニアに接するヴィクトリア湖から流れ出た白ナイル、エチオピア高原に端を発する青ナイルが、スーダンの首都ハルツームで合流すると、雨期に水量のあるアトバラ川が合流する以外、エジプトのカイロ北部までの3000km近くの間、ナイルは1本の流れになる。ハルツームからエジプトのアスワンまでの間で、岩盤に花崗岩が現れる6カ所は急流域となり急湍(カタラクト)とよばれている。舟の航行には難所であり、古代からしばしば勢力の境界となった。カリマは南から3つ目の急流域、第4カタラクトの下流側の町である。
 紀元前1500年頃、古代エジプト王は第5急湍まで遠征し、このカリマまでを完全に支配下に置いた。そのカリマの地に足を踏み入れて、古代エジプト王は驚嘆したのだった。太古からこの地域で聖地とされていた岩山には、古代エジプト王の象徴、守護神であるコブラの形の岩が起立していたのだ。エジプト王はすぐさま、ここを「聖なる山」と呼び、この地をエジプトの最高神アメンの神力のおよぶ場所と確信し、アメン神のための神殿を建設しはじめたのだった。

ゲベル・バルカルのコブラを想起させる石柱。右のツタンカーメンの黄金の玉座の写真の装飾にあるような王冠をかぶったコブラに見える。古代エジプト時代には、王冠部分に黄金の板が張られていたという。

ゲベル・バルカルのコブラを想起させる石柱。右のツタンカーメンの黄金の玉座の写真の装飾にあるような王冠をかぶったコブラに見える。古代エジプト時代には、王冠部分に黄金の板が張られていたという。

ツタンカーメンの黄金の玉座にある王冠をかぶったコブラの装飾。コブラは王権を守護する重要な神だった。

ツタンカーメンの黄金の玉座にある王冠をかぶったコブラの装飾。コブラは王権を守護する重要な神だった。


ゲベル・バルカルの西側の景観。丘全体が鎌首をもたげたコブラが這っているように見える。

ゲベル・バルカルの西側の景観。丘全体が鎌首をもたげたコブラが這っているように見える。

早朝のゲベル・バルカル。コブラの形の石柱が、太陽の昇る東側に立っていることも神聖さを高めている。

早朝のゲベル・バルカル。コブラの形の石柱が、太陽の昇る東側に立っていることも神聖さを高めている。


日没後のゲベル・バルカル。

日没後のゲベル・バルカル。

ナイル対岸からのゲベル・バルカルの夕景

ナイル対岸からのゲベル・バルカルの夕景


 この歴史があって、現在も、この地は「ゲベル(ジェベル)・バルカル」(アラビア語と現地語で「聖なる山」)という遺跡名でよばれ、世界遺産に登録されている。
 古代エジプト時代、ここには神を讃え、時の王の業績を讃える石碑がいくつも奉納された。やがて聖山の内部にはアメン神が宿ると信じられるようになり、コブラの石柱のふもとを穿って王が神と出会い、再生するための誕生の儀式をおこなう礼拝所も設けられた。

ゲベル・バルカルの丘の上からのナイルの景観。コブラの形の石柱がむいている方向からエジプト人たちがやって来た。

ゲベル・バルカルの丘の上からのナイルの景観。コブラの形の石柱がむいている方向からエジプト人たちがやって来た。


 この聖地のために、エジプトからは神官をはじめ、建築技師、浮彫をほどこす絵師、文字記録を管理する書記たち、護衛兵が派遣されてきた。そうしたエジプト人の中でも身分の高い人が亡くなると、エジプト様式のピラミッド型の礼拝堂を供えた墓に葬られたのだった。彼らのもとで作業にあたってきたクシュの人びととエジプト人の関係は良好だったのだろう。クシュの人びとはこうしてもたらされたエジプトの文化にあこがれ、エジプトの神を信仰し、この聖地を保護し続けたのである。
 それから800年ほど経った紀元前750年頃、エジプトの権力が弱体化し、エジプト人がクシュの地を去っても、クシュの人びとはエジプト文化を敬い、継承し続けた。そして何と、エジプトの内政が混乱したとき、クシュの王はエジプトにまで進出したのだが、征服するどころか、エジプト王としてまずエジプトのアメン神の聖地であるルクソールのカルナク神殿を訪れて祝祭を開き、修復、造営をおこなって人びとに安心感を与え、国家の再建に尽力したのだった。自国のほうが優勢だったにもかかわらず、エジプトの政治、宗教、文化の伝統を再興することを優先したのだ。彼らにとってエジプトの存在がどれだけ影響していたかがわかる。地元のクシュには、王として、エジプト人のようにピラミッド型の墓を設けるようにもなった。

エジプトのアメン神の聖地、カルナク神殿に残されているクシュの王の浮彫り。エジプト王の姿であらわされ、額には王冠をかぶったコブラの象徴が見える。名前もエジプトの文字で書かれている。

エジプトのアメン神の聖地、カルナク神殿に残されているクシュの王の浮彫り。エジプト王の姿であらわされ、額には王冠をかぶったコブラの象徴が見える。名前もエジプトの文字で書かれている。

古代エジプトのピラミッドを真似て、歴代のクシュの王族もピラミッドをつくり続けた。クシュの多くのピラミッドは20m前後で、地下にミイラを納める埋葬室を備えていた。

古代エジプトのピラミッドを真似て、歴代のクシュの王族もピラミッドをつくり続けた。クシュの多くのピラミッドは20m前後で、地下にミイラを納める埋葬室を備えていた。


大きなピラミッドの影はエジプト王にもなったクシュの王のもの。40mほどの高さがあった。

大きなピラミッドの影はエジプト王にもなったクシュの王のもの。40mほどの高さがあった。


 数代にわたってエジプト王を兼務した彼らは、かつてのエジプトの大王がなしたように西アジアにまで侵攻したが、アッシリアに敗れて地元のクシュにまで逃げ戻ってしまう。それでもクシュの人びとのエジプト文化の継承は止まず、紀元後3世紀頃までの約1000年間で、エジプトのピラミッドの総数よりも数倍も多い、600基以上ものピラミッドがスーダンに残されることになったのだった。

早朝のメロエのピラミッド群。紀元前6世紀、クシュの王は政治の中心をメロエに移し、以降はメロエ王国とよばれる。メロエは鉄鉱石を豊富に産し、燃料となる樹木に恵まれて製鉄で大いに繁栄した。メロエの鉄はアフリカ各地、ローマ、インド洋の交易を経てアジアにまでおよんだ。その繁栄は、紀元後4世紀中頃、エチオピア高原に興ったアクスム王国の侵攻を受けて滅亡するまで続いた。

早朝のメロエのピラミッド群。紀元前6世紀、クシュの王は政治の中心をメロエに移し、以降はメロエ王国とよばれる。メロエは鉄鉱石を豊富に産し、燃料となる樹木に恵まれて製鉄で大いに繁栄した。メロエの鉄はアフリカ各地、ローマ、インド洋の交易を経てアジアにまでおよんだ。その繁栄は、紀元後4世紀中頃、エチオピア高原に興ったアクスム王国の侵攻を受けて滅亡するまで続いた。


 ゲベル・バルカルに立ってナイルに眼を遣りながらこの歴史を振り返り、ナイル沿いに1200kmほども離れたエジプトの聖地ルクソールとの結びつきを想った。同じ神の重要な聖地として、ここに仕えていた神官たちの「念」はテレパシーのようにしてつながっていたのではないだろうか。その力が、民族を超えてナイル流域に暮らす民の想いをひとつにしたように感じた。
 ここには、今も当時の人びとの「(おも)い」が漂っている。


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(記事・図版:松本 弥)

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