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アメリカ横断ボランティア紀行

No.016

Issued: 2008.04.24

レッドウッドの見どころ

目次
石原都知事到着!
レッドウッド国立州立公園ご視察
プレーリークリーク・レッドウッズ州立公園
海沿いの原生林
ジェデダイアスミス・レッドウッズ州立公園
視察終了
新聞報道
ひと段落
グローブ
クラマスオーバールック
写真1

写真1

 アルカタ空港に双発のプロペラ機が到着した。機体がターミナルビルの目の前に止まり、簡単なタラップから乗客が次々と降りてくる。石原都知事も姿を現した。さっそく自己紹介する。
 「環境省から来ているの? ご苦労さん!」
 思ったより背が高い。姿勢がいいこともあってか、迫力が違う。都知事一行は借り上げ車に吸い込まれる。いよいよ忙しい3日間の幕明けだ。



レッドウッド国立州立公園区域図


石原都知事到着!

写真2:レッドウッドで造られたカーソン・マンション。歴史的な街並みの中でもひときわ目を引く建築物だ

写真2:レッドウッドで造られたカーソン・マンション。歴史的な街並みの中でもひときわ目を引く建築物だ

 都知事一行は、グランドキャニオン国立公園視察のあと、レッドウッドの視察に訪れることになっていた。
 グランドキャニオンでの忙しい日程にもかかわらず、知事はそれほど疲れている様子はない。到着は日曜日の夕方だったので、ホテルで少し休憩したあと、食事のため近傍の都市、ユーレカに出かけることになった。

 ユーレカには、レッドウッドの材木で作られた、ビクトリア調の建物の立ち並ぶ一角がある。国の歴史的街区にも指定されている町並みは、レッドウッドの伐採とともに出現した。1850年頃から始まったゴールドラッシュの余波で、ここにも金を求める人々がやってきた。金はそれほど出なかったが、レッドウッドという“黄金”の伐採が開始された。ユーレカは木材の積出港として栄え、町には、製材所、伐採労働者用の宿舎、食堂などが立ち並んだ。旧市街地は、木材伐採で財を成した人々の「高級住宅街」だったわけだが、レッドウッドの原生林が100年ほどで切り尽くされてしまうと、この町の時間もほぼそこで止まってしまった。
 食事中に、知事が環境庁長官だった頃の話を伺った。
 「当時は水俣病の仕事に専念していて、自然公園にはなかなか手が回らなかった」
 今から30年近く前のことで、当然ながら私はまだ役所に入っていなかった。
 「ところで、こんな話を聞いたことがあるかい?」
 知事が意外な話を始めた。
 「世界各地で様々な有識者と話していると、『人類があと70年生存する確率は50%くらいじゃないか』といったような話をよく聞くよ」
 天文学者や経済学者など、それぞれの専門が違っても、結論は似たようなものだそうだ。
 私にとって、この一言は寝耳に水だった。「あと70年で人類が『絶滅』する」──そんなことがあるだろうか。
 確かに、レッドウッドに来てから、「人間はここ数百年の間に相当ひどいことをしてきたものだ」とか「この化石燃料頼みの暮らしはさすがに長続きしないだろう」ということを考えるようになった。現代アメリカ人のライフスタイル──安く買って、大量に捨てる暮らし──を、世界中の人が享受することは到底できない。そもそもアメリカ人ですら、この生活をあと何十年も続けられる訳ではないだろう。ただ「70年」という時間は、レッドウッドの大木の平均的な寿命である1,000年に比べて、いかにも短い。
 「人間の絶滅を回避できるかどうかは、私たちを含めたこれからの世代にかかっている」
 大げさに言えばそういうことかもしれない。石原都知事の何気ない一言は、その後私の中で長く余韻を残すことになった。

写真3:私たちの働いていた南部管理センターのあるオリックという集落の風景。丸太を積んだトラックが行きかう道路沿いに、小さな家が並んでいる

写真3:私たちの働いていた南部管理センターのあるオリックという集落の風景。丸太を積んだトラックが行きかう道路沿いに、小さな家が並んでいる

写真4:観光客目当てのみやげもの屋。チェーンソーでレッドウッドを刻んで作る彫像は豪快だが、あまり売れそうにない

写真4:観光客目当てのみやげもの屋。チェーンソーでレッドウッドを刻んで作る彫像は豪快だが、あまり売れそうにない


 ところで、レッドウッドを切り尽くした現在、この地域はお世辞にも豊かとはいい難い。伐採により得られた膨大な富は、結局はアメリカの東海岸やサンフランシスコなどの資本家に集まり、庶民には何も残らなかった。国立公園のように、自然を守り次の世代に引き継いでいくことが、結果的に自分たちの生活を守ることにつながるということに、ようやく地域の人々は気がつき始めている。ところが、皮肉にもレッドウッド国立州立公園の管理方針は生態系の保全再生に重点が置かれている。年間利用者数は約40万人。同じ州内のヨセミテ国立公園(訪問者約440万人)とは比べようもない。


レッドウッド国立州立公園ご視察

写真5:道路の海側に広がるラグーン(写真手前)。右手に細く砂嘴(さし)がのびているのが見える

写真5:道路の海側に広がるラグーン(写真手前)。右手に細く砂嘴(さし)がのびているのが見える

 「鈴木さんは知事車に乗ってくださーい」
 東京都のMさんの声に、慌てて知事の車に乗り込む。一行到着の翌日、いよいよ国立州立公園ご視察の日だ。ホテルから公園のビジターセンターまでは車で約50分。道路の左手に太平洋やラグーンが見える。道路の右手は丘陵地だ。時折レッドウッドの大木が道路沿いに残っているものの、山側の森林はほぼ切りつくされている。運がよければエルクやペリカンなどを目にすることができる。

 最初の訪問先はレッドウッドインフォメーションセンターだ。この施設は公園の南の玄関口にあるビジターセンターで、国立公園局が管理している。国立公園、州立公園の2人の所長がそろって出迎えてくれた。
 「ようこそ、レッドウッド国立州立公園へ」
 さっそくインタープリターによる公園の説明が行われる。
 地元紙の記者も来ていた。私たちも挨拶をする。

 インフォメーションセンターから、南北に細長い国立州立公園を北上し、私たちのボランティアハウスのあるウルフクリークへ向かう。ここには環境教育施設である野外学校(outdoor school)がある。国立公園局は、次の世代を担う子供たちの教育に力を入れている。それも、国立公園が立地している地域の子供たちの教育に特に力を注いでいる。
 国立州立公園には2箇所の野外学校があり、ウルフクリークは、主に公園の南側にある小中学校を対象にしている。もちろん、スケジュールが空いていれば、それ以外の学校の児童も受け入れるが、あくまで地元の学校が優先される。

写真6:ウルフクリークにあるアウトドアスクール

写真6:ウルフクリークにあるアウトドアスクール

写真7:子供たちが寝泊りするバンガロー

写真7:子供たちが寝泊りするバンガロー


 ここでは、バンガローに泊まりながら、レッドウッドの原生林の中で体験学習が行われる。プロのインタープリターが、体と頭、そして五感をフルに使ったプログラムを用意してくれる。これはとても贅沢なことだ。
 「大人を変えることは難しいですが、子供たちは違います。自分たちが見たもの、感じたことを通じて考え、理解するからです」
 公園の環境教育に関する説明にも力が入る。“国立公園や自然を大切にする気持ちは、子供のころから培われなければならない”という信念が、素直に伝わってくる。
 「国立公園の周辺に住む子供たちは、公園を訪れたり、公園で学んだりする機会が意外と少ないのです」
 地域の子供たちは、将来地域社会を担っていく。一方で、国立公園設立の経緯などから、地元とうまくいっていない公園は多い。事実、このレッドウッドにも、公園設立時の地元との軋轢は根強く残っている。子どもたちに国立公園の大切さを知ってもらうと同時に、自然体験を通じて子どもたち自身が自分なりの“自然観”を育んでいく。そして地域の中核を担う大人になった時に、これまでのしがらみにとらわれない目で公園を見てくれる。国立公園は、子供たちを“未来の公園サポーター”と考えているわけだ。これはとても気の長い話であるが、おそらく効果は絶大だろう。

写真7-2:併設さているアンフィシアター(野外劇場)では、夕食後にネイチャーゲームなどが行われる

写真7-2:併設さているアンフィシアター(野外劇場)では、夕食後にネイチャーゲームなどが行われる

写真7-3:野外学校の庭には、巨大な切り株が残されている。もちろん、国立公園に指定される前に伐採されたものだ

写真7-3:野外学校の庭には、巨大な切り株が残されている。もちろん、国立公園に指定される前に伐採されたものだ


 説明が終わると、野外学校を会場として、両局長主催の昼食会が催された。食事は職員の持ち寄りだ【1】

 そして、ネイティブアメリカンであり、国立公園局の職員でもあるデールさんが、伝統的な方法でキングサーモンを料理してくれた。サケも伝統的な方法で獲ったものだ。薪はマドローナとよばれる広葉樹(英語名Pacific Madrone、学名Arbutus menziesii)の薪でじっくりと焼き上げられる。とても温かい雰囲気の昼食会となった。

写真8:ネイティブアメリカンの血を引くデールさんが、伝統的な方法でキングサーモンを調理してくれた。デールさんの子供がそれを見守る

写真8:ネイティブアメリカンの血を引くデールさんが、伝統的な方法でキングサーモンを調理してくれた。デールさんの子供がそれを見守る

写真9:薪には、マドローナという木が使われる

写真9:薪には、マドローナという木が使われる


 デールさんはネイティブアメリカンの伝統と技術の継承者でもある。昼食会にも貴重な工芸作品やコレクションをたくさん持ってきてくれた。
 「私たちは伝統的な技術を絶やさないよう努力しています」
 石原都知事に、それぞれの意味や使われ方を説明する。
 妻も午前中の準備が終わり、合流した。都知事とともに説明を伺う。

 その後、新聞記者による石原都知事取材の時間が設けられた。いろいろな話題が出ているらしく、盛り上がっている。
 「あなたたちのお話も聞かせてもらっていいですか?」
 地元紙の記者から、私たちも取材を受けた。国立公園で働く日本人ボランティアが珍しかったようだ。
 自分が日本の公務員であること、アメリカに来て最初にケンタッキー州のマンモスケイブ国立公園でボランティアとして働いたこと、マンモスケイブから南のルートを通ってカリフォルニア州に来たこと、ここから次のワシントンDCに向かうことなどを話した。
 「そうすると、あなたたちはガバナー・イシハラの元部下のようなものだと言えるわけですね」
 正確に言うと妻はそうではないが、ここは日本人らしく(?)「Yes」と答えておいた。とても気さくな記者さんで、レッドウッドに来てからの私たちの体験談を興味深そうに聞いてくれた。

写真10:デールさんが用意してくれた見事なの工芸品の数々

写真10:デールさんが用意してくれた見事なの工芸品の数々

写真11:昼食会後の懇談風景

写真11:昼食会後の懇談風景


プレーリークリーク・レッドウッズ州立公園

写真12:クラマス川の河口

写真12:クラマス川の河口

 ウルフクリークを過ぎると、今度は州立公園の区域に入る。プレーリークリーク・レッドウッズ州立公園だ。この州立公園の区域を、パークウェイ(Newton B. Drury Scenic Parkway)が貫いている。「パークウェイ」といっても、片側一車線の細い道路で、道の両側には原生林が広がっている。ドライブしながら、すばらしい原生林の風景を堪能することができる。内陸部寄りにバイパス道路が建設されたこともあって、通行車両は少ない。ゆったりと原生林の雰囲気を満喫することができる。
 パークウェイを抜け、そのバイパス道路に乗る。しばらく走ると大きな河川を渡る。クラマス川だ。クラマス川は水量が豊かで、昼食にも出されたキングサーモンが群れを成して遡上してくる。だが、上流のオレゴン州で行われた大規模な農地灌漑事業により、河川の流量が大幅に減少してしまった。また、近年頻繁にサケマス類の大量死(ダイオフ)が発生していた。農地開発事業との関係は調査中ということだが、NGOなどは潅漑のための大量取水が、その直接的な原因と断定している。


海沿いの原生林

 この川にかかる橋を渡ると、デルノルテコースト・レッドウッズ州立公園の区域に入る。車道は太平洋に面した急峻な山道になる。車道からは、レッドウッドの原生林としては珍しい斜面林を見ることができる。斜面林の木は太くはないが、材に腐れが少ないために経済的な価値が高い【2】。その上、高低差があって伐採した木を搬出しやすいことなどから、ほとんどが商業的に伐採されてしまった。海沿いの険しい山地が、例外的にこの森を伐採から守ってくれたのだ。

写真13:残された原生林の中を流れるレッドウッドクリーク

写真13:残された原生林の中を流れるレッドウッドクリーク

 上流部にあたる斜面林の伐採が続いたために、やがて丸裸にされた山の斜面は崩壊し、土石流が何度も発生した。下流の原生林や集落が押し流されるという大災害が引き起こされた。
 この反省に立ち、レッドウッド国立公園では、レッドウッドクリークという河川の集水域全体の保護を目標として公園区域が設定された。ところが、残念ながら、国立公園として指定された時には、区域内の斜面林の多くは伐採されてしまっていた。このため、もともとの森林生態系を再生(レストレーション)し、本来の水循環と豊かな生物層をとり戻すため、国立公園局はあえて伐採跡地を国立公園に取り込むことにした。これはアメリカの国立公園の歴史上、画期的なことだった。


(注)国立公園区域に含まれなかったレッドウッドクリークのさらに上流部は民有地が95%を占めており、現在も伐採が続けられている。1978年に国立公園区域が拡張された際の法律により、国立公園局は、この区域で浸食防止対策を行う権利を認められている。国立公園区域外についても、公園内の生態系を管理する上で必要な対策を行う権利と予算が認められたことで、国立公園内の流域管理がはるかに効果的に行えるようになったことはいうまでもない。

ジェデダイアスミス・レッドウッズ州立公園

 この険しい山道を越えると、道路左手にクレセントシティーの町並みが見えてくる。国立州立公園の北のゲートシティー(玄関口)だ。この町にレッドウッド国立州立公園の管理事務所がある。カリフォルニア州の北のはずれにあり、オレゴン州との州境も目と鼻の先だ。事務所には立ち寄らず、最後の目的地、ジェデダイアスミス・レッドウッズ州立公園の大原生林に向かう。
 州立公園を通過する車道(ハウランドヒル・ロード)は未舗装のデコボコ道だ。レッドウッドが両側に立っている場所などは、車一台がやっと通れる程の幅しかない。それだけに、車窓からの原生林の風景には迫力がある。
 この森の中を、スミス川という川が流れている。この川は、米国でも数少ないダムの造られていない河川で、水は透明で青い。サケやマスが遡上していくのが肉眼でも見える。もちろん、これらの魚は全くの天然ものだ。

写真14:ジェデダイアスミス・レッドウッズ州立公園のスタウトグローブ(スタウトの森)に横たわる倒木。写真右下が筆者

写真14:ジェデダイアスミス・レッドウッズ州立公園のスタウトグローブ(スタウトの森)に横たわる倒木。写真右下が筆者

写真14-2:原生林の中を通るハウランドヒル・ロード

写真14-2:原生林の中を通るハウランドヒル・ロード

写真15:スミス川の透明な水の流れ

写真15:スミス川の透明な水の流れ


写真16:州立公園レンジャーによる説明風景

写真16:州立公園レンジャーによる説明風景

 ここでは州立公園のレンジャーが案内してくれた。この大原生林はレッドウッドの平地林の中でも有数の規模と質を誇り、森の雰囲気は神々しいほどだ。都知事は、この州立公園の管理の課題や利用者管理などについて説明を受けながら、森の中を歩く。そして、ふと振り返り、
 「君は伊勢神宮の森に行ったことはあるかい?」
 と語りかけてきた。
 「この森は確かにすごい。だけど、見方をかえれば昔から残ってきたというだけだ。伊勢神宮の森は、日本人がその文化の中で、時代を越えて守ってきた。帰国したらぜひ行ってみるといいよ」
 私にとって“原生林”はあこがれであり、このレッドウッドの森林こそ、私がアメリカ国内で見てきた森の中で文句なしに一番の森林だった。それだけに、知事の言葉には、「あっ!」と気づかされるものがあった。日本のこともろくに学ばずにアメリカに来ても、その本質をつかむことは難しい。
 日本では、「カミ」というものを介して、人が森林と世代を超えた関係を維持してきたという面がある。いずれにしても、「レッドウッド」と「伊勢神宮」をごく自然につなげてしまう、そういった感覚こそ、日米の自然観の違いを理解するために必要な能力なのかも知れない。


視察終了

写真17:国立公園の区域外では、現在もレッドウッドの伐採が続けられている。日本の林業とは違い、かなり粗放な伐採方法がとられているようだ

写真17:国立公園の区域外では、現在もレッドウッドの伐採が続けられている。日本の林業とは違い、かなり粗放な伐採方法がとられているようだ

 こうして、丸一日の視察はあっという間に終了した。公園職員に別れを告げ、公園を南下する。帰りは内陸部のバイパス道路を通る。片側2車線の高規格道路だ。国立公園内にもかかわらず、見渡す限りの伐採跡地が視界に飛び込んでくる。
 一般的に、レッドウッドの伐採は、道路沿いに両側の木々を少し残し、その奥を皆伐するといった方法がとられてきた。そのため、伐採時期よりも前に造られた道路沿いからはこのような景色は見えない。伐採現場が見えなければ批判は起こらない。これが伐採会社の作戦だった。"seeing is believing" ということわざがあるが、しょせん人間は見えないことを理解することはできない。理解できなければ行動にもつながらない。
 ところが、それを一変してしまう「役者」が登場した。科学的なフォトジャーナリズムの先駆者である「ナショナルジオグラフィック社」である。同社は伐採の悲惨な状況を写真により世に知らしめた。人々はその写真に大きな衝撃を受け、レッドウッドの保護運動に一気に火がついた。それほど伐採の現場はひどかったのだ。


新聞報道

写真18:知事一行のレッドウッド国立州立公園訪問に関する記事が地元紙に掲載された

写真18:知事一行のレッドウッド国立州立公園訪問に関する記事が地元紙に掲載された

 「鈴木さん、今朝の新聞を見ましたか?」
 都知事一行が出発する日の朝、東京都のMさんに声をかけられた。
 「これですよ、これ」
 地元紙だが、一面トップに、都知事一行のレッドウッド国立州立公園訪問を報じる記事がカラー写真とともに掲載されている。この扱い方は別格だ。
 「東京都知事/巨木の森を訪問」という見出しが踊る。
 さらに、写真をよく見ると私たちの姿も知事の両側に写り込んでいる。野外学校での昼食会で、知事がネイティブアメリカンの工芸品に見入っているシーンだった。
 「いい記念になりましたね」
 記事もかなり好意的な内容だった。国立州立公園の両所長が写っていなかったのはさすがに少し気が引けたが、しょうがない。いずれにしても、レッドウッドが新聞のトップを飾ったのには変わりがない。
 おそらく読者にとっては、
 「このボランティアは誰だろう?」
 「日本人が国立公園で何しているの?」
 そんな素朴な疑問がわいてくるだろう。
 写真の中の私たちは、おそろいのボランティア用の帽子とトレーナーを着ている。いわゆるボランティアユニフォームだ。私たち2人が知事の両側にひかえるだけで、「国立公園」にちなむ様々なストーリーやメッセージが発信されることになる。アメリカの国立公園は、こういった絵になる演出に事欠かない。また、それを市民も期待しているのだ。
 「じゃ、お二人さん、お世話になりました」
 知事はいたずらっぽく笑って、颯爽と搭乗口に消えた。
 知事一行を乗せた飛行機が飛び立つのを見送った後、さっそく新聞を買いに行く。アメリカでは、お金を入れて新聞を取り出すタイプの自動販売機が街角に設置されている。1回お金を払って扉を開けると、構造上は何部でも持ち出すことができる。せっかくなので2〜3部とろうとすると、後ろに並んでいた初老の女性が私たちに声をかけてきた。
 「この写真はあなたたちじゃない?」
 "Yes" と笑い返しつつ、1部だけ新聞を取り出して扉を閉めた。


ひと段落

 嵐のような3日間が過ぎ、静かな日常が戻ってきた。簡単なお礼状を国立・州立公園の両局長や私たちの所属する資源管理部門の部長にお渡しする。今回の知事訪問については、国立州立公園を挙げて対応していただいた。今回は、随行の東京都職員の皆さんにとっても、レッドウッドを訪問しなければ得られないような情報を持ち帰ってもらうことができたのではないかと思う。また、私にとっても、今回の知事一行の来訪から得たものは少なくなかった。国立公園局の組織、職員数、予算などの、重要だが分析に手間のかかるデータを整理することができた。また、知事の含蓄ある話や、ネイティブアメリカンの悲しい歴史と豊かな文化に触れることにより、大げさに言えば“人間について”、様々なことを考えさせられた。
 100年ほど前まで、このレッドウッド国立州立公園一帯はネイティブアメリカンの人々の居住地であり、聖地であった。一万年以上にも渡って引き継がれてきたその文化は、白人入植者によるレッドウッドの乱伐とそれによる大洪水、生活手段の喪失による貧困などにより徹底的に破壊されてしまった。ところが、入植者は100年足らずで森林を伐り尽くし、今はやはり貧困にあえいでいる。まだ比較的豊かな漁業資源も、年々減少の一途をたどっている。
 また、考えてみれば、このような資源の乱用と浪費は、この地域に限ったことではない。現世代の私たちが送っている、このサステイナブルでない生活様式も正に同じことなのだ。知事が言うように、わずか70年で本当に人類は滅びてしまうことになるのだろうか。
 レッドウッドの森の中に立つと、人間は今でも自然の一構成要素にすぎないことを感じ取ることができるように思える。悠久の時間の流れの中では、人間も、偶然大発生したネズミやイナゴなどと何ら変わりはしない。ここでは、どこへ行っても自然は荒々しく、人々の生活は貧しい。しかしながら、どことなくほっとさせてくれるような落ち着きが感じられるのは不思議だ。

写真19:レッドウッドの森には独特の雰囲気がある

写真19:レッドウッドの森には独特の雰囲気がある

写真19-2:レッドウッドの樹皮

写真19-2:レッドウッドの樹皮


グローブ

 ところで、国立州立公園一帯では、大きなまとまった面積の森は「グローブ」と呼ばれている。今回知事が訪れたジェデダイアスミス・レッドウッズ州立公園内の「スタウトグローブ」、国立公園設立の契機ともなった「トールトゥリーグローブ」などはその典型といえる。キングスキャニオン国立公園のグローブ(第14話参照)とは異なり、周りの森林とも連続している。また、小さな河川沿いの低湿地に発達した森は、その小河川の名前で呼ばれたりする。ボランティアハウス近くの「ウルフクリーク」や「プレイリークリーク」などがその例である。

写真20:トールトゥリーグローブにて。この森で、当時世界で最も樹高の高い木が発見されたことが、レッドウッド国立公園設立につながったといわれている

写真20:トールトゥリーグローブにて。この森で、当時世界で最も樹高の高い木が発見されたことが、レッドウッド国立公園設立につながったといわれている

写真20-2:スタウトグローブの歩道

写真20-2:スタウトグローブの歩道


 これらの原生林は、平坦地に発達した「巨木の森」だ。歩道にはレッドウッドの落ち葉が積もっている。乾いた歩道はふかふかとした絨毯のようだ。森に入ると杉林を歩いているようなかすかな芳香に包まれる。
 斜面上に成立した原生林は現在ではあまり残っていないが、プレイリークリークから太平洋岸のゴールドブラフビーチに至る「マイナーリッジトレイル」や「ジェームスアービントレイル」を歩くと、その雰囲気を満喫することができる。ゴールドラッシュの時代、この海岸から、量は少ないながら金が出たのがその名前の由来だ。現在のトレイル(歩道)沿いには、かつて金を求めるプロスペクター(探鉱者)たちの小屋が立ち並んでいたそうだ。
 この森のすごいところは、レッドウッドの中にダグラスモミの大木が混じっていることだ。進化上はレッドウッドの大後輩に当たるこのモミの木が、レッドウッドと競うように立ち並んでいる様は壮観だ。暗褐色の樹皮を持つダグラスモミと、明るい色のレッドウッドの幹とのコントラストは、長い歴史が紡ぎ出した「種の多様性」を目の当たりにするようだ。
 大木の根元2〜3メートルには焦げた跡がある。ネイティブアメリカンが放った火や落雷が引き起こした野火の名残といわれている。

写真21:大木の幹には焦げ跡が残る

写真21:大木の幹には焦げ跡が残る

写真22:ダグラスモミの大木

写真22:ダグラスモミの大木


クラマスオーバールック

写真23:クラマス展望台から。クジラが河口の付近まで近づいてくることもある

写真23:クラマス展望台から。クジラが河口の付近まで近づいてくることもある

 クラマスオーバールック(展望台)は、クラマス川の河口の高い崖の上にある天然の展望地点だ。クラマス川の河口と太平洋が一望できる。クラマス川は水量が多く豊かな大河川で、オレゴン州に源を発している。この川では、毎年天然のキングサーモンが群れをなして遡上するそうだ。河口には、トドやアザラシ、そしてクジラがエサを食べにやってくる。移動中のクジラはほとんどエサをとらないと言われているが、ここは別格らしい。アザラシは波乗りのようなことをして遊んでいたりもする。また、まぎらわしいことに、サーファーも時々波間に浮いている。
 展望台には、クジラ、アザラシ、トドなどの展示パネルが並んでいる。テーブルもあり、風のない温かい日には絶好のピクニックサイトになる。双眼鏡をかまえて、のんびりとクジラの姿を待つ人などもいる。展望台を海側のトレイル沿いに下ると、崖の中腹にもうひとつの展望台がある。そこからは、トドがサケをくわえて、海面にたたきつけながら食べる様子を眺めることができる。
 「ずいぶん残酷な食べ方ねえ」
 それを見た妻は少し驚いた様子だった。


写真24:メンテナンス部門の事務所。建物は軍隊から移管されたものだ

写真24:メンテナンス部門の事務所。建物は軍隊から移管されたものだ

 展望台のすぐ脇には、古い軍の施設がある。以前はレーダー施設だったが、現在は国立公園とカリフォルニア州政府に払い下げられ、メンテナンス部門の事務所、ボランティアハウス、倉庫、カリフォルニア州の職業訓練施設などとして活用されている。
 このボランティア宿舎は、元は軍の宿舎だっただけに規模が大きい。そのため、レッドウッド国立州立公園は比較的多くの長期滞在型ボランティアを受け入れることができる。特に、ボランティアハウスのすぐ近くに事務所を構えるメンテナンス部門では、ボランティアの受け入れに積極的だ。このボランティアたちが、公園中のトレイルの維持に大きく貢献している。


 例えば、ボランティアが主体の「トレイル・クルー(登山道部隊)」の働きぶりは有名だ。公園内のあらゆる歩道にでかけていき、手作業で歩道の修理や倒木の処理を行う。簡単な木段くらいなら自前で作り直してしまうそうだ。この責任者が、都知事にネイティブアメリカンの文化を説明してくれたデールさんだ。私たちと同時期にドイツから来た若い大学生は、このクルーに“抜擢”された。2ヶ月ほど経って再会した時には、皆すっかりたくましくなっていた。
 「私たちも、森林の調査をしたかったんです」
 彼らは少しうらやましそうに、私たちにそう言ったが、
 「でも、歩道を歩き回るのもたのしいですよ」と屈託がない。
 この他、私たちがいる間に、カナダ、スイスなどからも国際ボランティアが来ていた。

 ところで、この一帯は地すべり地帯で、建物の建つ敷地全体が海に向かって滑り落ちつつあるという。そのため、ここの施設は、数年後にすべて取り壊され、公園内の別の場所に移転される予定だ。


【1】持ち寄り
こういった持ち寄りのパーティーは、ポットラック(pot luck)と呼ばれる。
第7話「さよならマンモスケイブ」
【2】木材の商業的価値と残存する原生林との関係
州立公園には原生林が多いが、ほとんどは平地にある。こうした巨木の立ち並ぶ平地林は、意外にも経済的な価値が高くはないそうだ。木の根元に大きな洞ができているなど、材木の芯の部分が腐ってしまっていることが多いためだ。

<妻の一言>

〜セントパトリックス州立公園〜

写真25:トリニダッドの高台からは荒々しい海岸線を見渡すことができます

写真25:トリニダッドの高台からは荒々しい海岸線を見渡すことができます

 レッドウッド国立州立公園と空港のあるアルカタの間に、トリニダッドというきれいな港町があります。天然の良港だったために、集落ができたのはこの地域でもっとも早かったそうです。材木の積出港などとして使われていましたが、その地位をユーレカなどに譲り、現在はひなびたリゾート地といった風情の町です。この町には作家や芸術家も多く住んでいるそうです。そのためか、町のスーパーには、オーガニックやシーフード食品が豊富で、私たちの行くような大きなスーパーマーケットよりもいい品物が揃えられていたりします。釣具やエサもあります。


写真26:セントパトリックス岬からの眺め

写真26:セントパトリックス岬からの眺め

 集落を海に向かって抜けると、高台の展望台に突き当たります。小さな赤い灯台があり、そこから湾曲した海岸線を一望の下に見渡すことができます。小さな釣り船が港に寄り添うように浮かんでいる様は、とても絵になります。この港の桟橋からは、ダンジリンクラブと呼ばれるカニや、カサゴのような魚が釣れるそうです。私たちも挑戦してみましたが、一匹も釣れませんでした。国立公園の職員の話では、釣り船をチャーターして沖にでれば、大きなタラも釣れるそうです。

 この港を少し南に下ったところにカジノがあります。この辺りにはネイディブアメリカンの経営するカジノをよく見かけます。カジノ自体には興味はなかったのですが、カジノの経営するレストランは、この地域で1、2を競うといわれるシーフードレストランです。太平洋に沈み夕日を見ながら、シーフードを楽しむことができます。
 今回の都知事一行の訪問が決まったとき、私たちが真っ先に“下見”に行ったのもこのレストランでした。親切な女性のウェイトレスがメニューなどの相談に乗ってくれました。確かに値段はそれほど安くはありませんでしたが、ゆったりした雰囲気や、日本人の口にも合う味付けなどは値段以上だと思いました。


写真27:州立公園のビジターセンター

写真27:州立公園のビジターセンター

 トリニダットから海沿いにしばらく北に上ると、セントパトリックスと呼ばれる岬があります。岬の展望台からは、そこからレッドウッド国立州立公園にかけての荒々しい海岸線や、ラグーンを一望することができます。この岬一帯は、カリフォルニア州の「セントパトリックス州立公園」に指定されています。干潮時間を見計らって行くと、砂浜を散策することができます。砂浜には、急な崖沿いに、細い歩道と階段をつたって下りて行きます。
 歩道の入り口には、小さなテーブルに石を並べて座っている人がいました。話を聞いてみると、この公園のボランティアでした。
 「ここには、オレゴン州でできたメノウが海流で運ばれてくるんだ」
 公園内では、メノウを含む石を自由に拾うことができるそうです。休日には、自分で拾った石を使った、アクセサリーの加工教室なども開催されています。ボランティアグループでは、メノウの見分け方、由来、品質の良し悪しなどについて“自然解説”を行っているそうです。


写真28:セントパトリックスポイント州立公園の砂浜

写真28:セントパトリックスポイント州立公園の砂浜

 「台風や海の荒れた直後がねらい目だよ。こぶしほどもある石が見つかったりするんだ」
 展望台から砂浜を見ると、確かにたくさんの人が砂浜を歩いているのが見えました。
 私たちもさっそくそのような人の群れに加わりましたが、なかなか見つかりませんでした。
 「今日はあまりありませんね」
 常連さんと思われる女性に声をかけられました。探し方のコツを教えてもらい、「サンプル」を一つ頂きました。
 「小さくてごめんなさいね」
 確かに小さいのですが透明で品質としてはなかなかのものだったのではないかと思います。
 天気は快晴、時折海の方から霧が流れてきます。海の方を見るとカモメやウミガモ、そして時々アシカの頭が見えます。この辺りは海が豊かなのでしょう。
 その日、私たちはメノウ数個の他、きれいな石やガラス玉、レッドウッドと思われる木の破片をお土産として持ち帰りました。


 ちなみに、州立公園は有料で、当時の料金は車一台あたり4ドル程度だったと思います。同じ日であればそのレシートで他の州立公園を訪れることができます。この公園以外にもいろいろな州立公園があり、日帰りにちょうどいいピクニック場や展望台もあります。国立公園に比べると、州立公園はずっと気軽に、手軽に楽しむことができると思います。


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(記事・写真:鈴木 渉)

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〜著者プロフィール〜

鈴木 渉
  • 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
  • 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
  • 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
  • 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
  • 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
  • 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
  • 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
  • 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
  • その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
  • その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
  • 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。