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環境Q&A

スーパー林道とエコロードの関係について 

登録日: 2005年11月09日 最終回答日:2005年11月14日 環境行政 その他(環境行政)

No.13231 2005-11-09 11:36:06 hikaru

日本の道路建設における環境問題の歴史について調べているのですが,1970年代のスーパー林道のような環境破壊型の道路建設から,なぜ1980年代に入って突然,日光宇都宮道路のような環境に配慮した道路が造られるようになったんでしょうか?そのような契機となったものは何でしょうか?

個人的には,国民の環境保全への意識の高まりと,市民の自然保護運動の活発化,そして1992年のリオ会議による影響が大きい思うのですが。。。いかがでしょうか。ご教授ください。

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No.13335 【A-3】

Re:スーパー林道とエコロードの関係について

2005-11-14 21:28:22 文化工学

>日本の道路建設における環境問題の歴史について調べているのですが,1970年代のスーパー林道のような環境破壊型の道路建設から,なぜ1980年代に入って突然,日光宇都宮道路のような環境に配慮した道路が造られるようになったんでしょうか?そのような契機となったものは何でしょうか?
>
>個人的には,国民の環境保全への意識の高まりと,市民の自然保護運動の活発化,そして1992年のリオ会議による影響が大きい思うのですが。。。いかがでしょうか。ご教授ください。

道路づくりにおける環境配慮を考えた場合には、次の視点において捉えるべきでしょう。
1、経済復興としての道路行政。
2、公共事業依存と護送船団方式な経済システム。
3、道路づくりの目的と背景
4、道路の特性と環境
5、環境と経済の両立化
6、公共空間における環境への配慮
以上を考えれば答えは出ます。
結論を言えば、道路建設における行為は反環境となります。
決してエコに役立つ道路づくりはありえません。
ありえるならば、省資源の道路づくり、補填可能な道路づくり。
両者とも科学的・技術的研究開発に他ありません。
それゆえ、ご質問における検証は無駄としか言いようがありません。
しっかりとご自分の立場と役割・責任を考えるべきでしょう。


回答に対するお礼・補足

文化工学 様

ご意見を頂きまして有難うございます。

私の個人的な見解を忌憚なく申し上げますと,文化工学さんの6つの視点というのは,時系列でいうある一時点での切り口で見た場合の分析には非常に適切であり,有効であると思います。
(私的には,これらの視点の他に,法制度との関連性や,市民運動や訴訟問題など社会情勢との関連性,世界の動向とわが国の関連性も必要だと考えます)

ただ,これまでのわが国の環境保全に対する取り組みというのは,まるで生物のように時間の経過とともに変化し続けており,これらの変化を動学的に分析する場合,過去の歴史を遡っていき分析するというのは,温故知新の観点からも,非常に重要なことだと考えます。

私は,研究者としてはまだまだ未熟者ですが,この検証というのは自分にとって非常に意義のあることであり,環境保全の分野で研究をする者として,キチンと整理し,知っておかなければならない事だと考えています。特に私が生まれた時代には,公害問題などは教科書で少し勉強した程度であり,実際に経験した世代ではないですので,当時の人々(行政も含めて)がどのように考え,行動に移していったのか知る必要があります。

文化工学さんの仰いますとおり,環境に良い開発というのは存在しませんし,人間の欲望や欲求が無制限にある限り,開発(経済発展)というものは一生続いていく宿命だと思います。したがって,これらのバランスをどうとっていくのか?自然との共生とは何か?そしてその具体的な方法とは?などを研究活動を通して考えていきたいと思っております。

私の考えを長々と書いてしまいまして,申し訳ありません。ただ,こういう場において活発にこのような議論ができることは非常に喜ばしく思います。また,率直なご意見に対して,自分も包み隠さず正直な意見を述べることが礼儀だと考え,このような文章となったことをご理解ください。

ぜひ,今後ともご指導,ご意見,ご感想の方をお願いいたします。

No.13266 【A-2】

Re:スーパー林道とエコロードの関係について

2005-11-11 13:48:51 東京都 / 自然児

日本の道路建設における環境問題、特に自然保護問題の歴史について私の認識を述べさせていただきます。
道路建設と自然環境保全との関係は、hikaruさんのおっしゃるとおり時代を背景として大きく変わってきたと思います。しかし、この変化は1980年代になって突然変わったのではなくて1970年代から変わり始めたのだと思います。
公害問題の認識と同様に自然破壊問題も1960年代の終わり頃には高度経済成長のツケとして認識され始めたからです。1970年代に入ると、環境保全意識の高まり、保護運動の活発化を背景に環境庁が発足し、公共事業は事前影響調査が義務付けられ、尾瀬道路問題、大雪山横断道路問題、南アルプス・スーパー林道問題などが社会的な関心事になりました。このような流れの中で、国立公園内などに道路を造るには十分な環境配慮が必要という社会情勢が出来てきたのだと思います。影響予測や保全対策に関する知見の集積、技術の進展も大きく寄与したと思います。
日光宇都宮道路の環境配慮は突然生まれたものではなく、このような流れの中から生まれてきたと理解しています。道路建設と環境問題、特に自然環境の問題を調べるなら、1970年代の出来事を注意深く検証してみる必要があるのではないでしょうか。「自然保護NGO半世紀の歩み−自然保護協会50年誌−」などが参考になると思います。

回答に対するお礼・補足

自然児 様

ご意見を頂きまして有難うございます。

私自身の質問のなかで,個人的な見解として,「国民の環境保全への意識の高まりと,市民の自然保護運動の活発化」と簡単に一言で申してしまいましたが,当時の論文などをレビューしますと,1970年以降のこれらの動きというのは非常に将来の環境保全への取り組みを影響を与えており,軽視できないと思いました。特に公害を中心とした訴訟から,文化財・自然保護のための訴訟へと多様化している点について注目しています。

当時の太郎杉の記事には,「(忙しない)高度成長の中にある日本人においても,四季などを通した自然に対する思いやりの心は残っている」と評価しています。

今後は,自然児さんに推薦された本も読んでみようと思います。また,ご指導のほど,お願いいたします。

No.13241 【A-1】

Re:スーパー林道とエコロードの関係について

2005-11-10 15:17:53 無鉄砲

農林水産省所管の林道と建設省(当時)所管の高速道路を単純に比較するのには、無理があると思います。林道は林道で、高速道路は高速道路で、歴史をたどった方が、正確な分析ができると思います。

さて、
道路デザイン指針(仮称)検討委員会 第5回委員会、第11回幹事会の資料4
http://www.mlit.go.jp/road/sisaku/roaddesign/roaddesign.files/rd27.pdf
に日光宇都宮道路の説明があります。

2.経緯 - 路線選定時における環境・景観保全 -
国道渋滞の解消法として、現道拡幅案(Aルート)、御旅所案(Bルート)、バイパス案(Cルート)、星の宮案(Dルート)の比較路線が提案された。そのなかから決定された現道拡幅案が、世にいう“太郎杉裁判”によって撤回せざるを得なくなり、バイパス案を基にして、日光宇都宮道路が計画された。そのため、当初から環境・景観に対して十分に配慮した検討がなされている。バイバス案に接続する宇都宮ICへのルートとして今市の市街地を迂回する南側案(Eルート)と北側案(Fルート)があったが、南側案では例幣使れいへいし街道を1ヶ所、北側案では日光街道を2ヶ所と会津西街道を1ヶ所横断する必要があり、いずれも江戸時代の文化遺産である杉並木があるため、それに対する影響の少ない南側案が採用されている。南側案について、さらに詳細な比較路線の検討を進め、歴史的環境・景観と自然への影響の抑止、住宅地等への影響の最小化、優良農地の可能な限りの回避を考え、最終的に例幣使街道の杉並木に枯損がみられる十石坂をコントロールポイントとして、現在の日光宇都宮道路の路線が選定されている。

以上のように、「太郎杉裁判」の判決が重要な役割を果たしたことが分かります。したがって、この裁判の記録を分析すると関係者の意識が読みとれるでしょう。この判決がそれ以降の高速道路建設にどれほどの影響を及ぼしたか、調べて見たくなりますね。

回答に対するお礼・補足

無鉄砲様

非常に的確,かつ有益な情報を教えて頂きまして誠に有難うございます。そうですね,林道と高速道路の歴史は分けて整理しながら,分析するべきだと感じました。ご助言頂きまして,有難うございます。

太郎杉裁判の件ですが,なるほど,この事件が一つの大きな契機となったことは事実のようです。太郎杉に関連する資料を探したところ,以下のようなものがありました(一部のみ掲載)。

○綿貫 芳源:「道路建設と環境保護--阪神高速道路工事禁止仮処分事件及び太郎杉事件を契機として」雑誌 ジュリスト(有斐閣)
○鈴木 順一:太郎杉の場合は−自然保護か交通緩和か(現地報告),運輸と経済,Vol.30   etc

また,昭和49年の環境白書で,この事件に少し触れており,「事業者が環境影響を安易に軽視し,環境の保全に関して当然尽くすべき考慮を尽さなかった」という判決理由に対して,白書には「(日光太郎杉事件を含み)最近の訴訟の動向等も勘案しつつ、各種公共事業の実施に際して、あらかじめ十分な環境保全措置を講じていく必要があろう,との認識に至っていることがわかりました。

一方,昭和45年の建設白書では,太郎杉事件に関して,「ルートの設定には財政的にも技術的にも大きな制約がある。文化財には文化財としての価値があると同様、道路計画にも公共事業としての重要性がある。この二つの公益の調整のためには、文化財や歴史的価値があるということで何もかも保存するということではなく、真に保存を要する文化財の範囲、文化財保護の長期計画などを文化財の観点からも明確にしておくべきことを強調したい。」としており,係争中であったのも原因とは思いますが,私見として少し強引な説明のような気がしました。

どちらにせよ,当時の建設省への影響は非常に大きかったのではないかと考えております。もっと資料を集めて調べてみたいと思います。今後もよろしくお願いいたします。


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