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環境Q&A

環境問題の裁判について 

登録日: 2001年05月05日 最終回答日:2001年05月14日 自然環境 身近な自然の保全

No.50 2001-05-05 01:09:55 まつ

始めて投稿させていただきます。私は現在、大学で法律について勉強をしています。
最近、動物や植物を人間が代理して、訴訟を起こしているということを知りました。自分が調べた限りでは、ムツゴロウを代理して人間が裁判を起こしています。
ですが、この1件だけしか調べることが出来ませんでした。
この他にも、自然(動物、植物、河川、森林等)を人間が代理して裁判を起こしている事例を知っている方がいらっしゃいましたら、教えてください。日本国内の事例でも海外の事例でもかまいません。

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No.64 【A-1】

Re:環境問題の裁判について

2001-05-10 14:05:18 東京都 / 君山銀針

人間が人間以外の生物になりかわって
その生息環境などについて起こした裁判を
自然の権利裁判といいます。

自然の権利
http://member.nifty.ne.jp/sizennokenri/
というホームページがあり、
このページを読めば
自然の権利の考え方から
判例までだいたいのことがわかります。

また
日本環境法律家連盟
http://www1.jca.apc.org/JELF/
というサイトもあります。

こういったホームページについては
ホームページ検索でも
ひっかかってきます。

自然の権利は法律学としても
面白い話題ですので
ジュリストなどにも記事が掲載されていましたし、
大学の図書館でもその気になれば
いろいろ調べることができるはずです。

もうちょっとがんばって
自力で調べてみてください。

No.66 【A-2】

Re:環境問題の裁判について

2001-05-10 17:32:04 茨城県 / 鷹さん

自然の権利裁判は,アマミノクロウサギ(奄美ゴルフ場),オオヒシクイ(茨城県圏央道),ナキウサギ(大雪山士幌高原道路)などの例があり,米国でもシマフクロウなどの例があるそうです。

君山銀針さんの回答のとおり,環境法学関係の資料がいろいろあります。

また自然の権利は,環境倫理や市民運動の分野でも関心を集めています。比較的安価で入手し易いものとして,「環境と倫理」(加藤尚武,有斐閣)や「自然保護を問いなおす」(鬼頭秀一,ちくま新書)などがあります。それぞれ環境倫理の観点から自然の権利裁判の紹介があり,参考・引用図書もありますので,さらに広く調べることもできると思います。

それにしても,自然の権利といいながら,一方で人間の勝手な判断で,害獣(鳥,虫)や雑草と分類して,さぞ「害」に入れられた動植物は迷惑しているでしょうね。これは質問ではありませんが,お考えやこの方面の参考書など(回答)をお持ちの方は,ご回答お願いします。

No.73 【A-3】

Re:環境問題の裁判について

2001-05-11 19:18:44 東京都 / simo

「自然の権利」に関する訴訟というと、野生生物や自然物を原告にして裁判をやっていこうとするものだといえるでしょうが、そもそも何でそういう発想が起こったのかというと、
 「人間がやってはならないこと」というのを食いとめたい
という想いがあったという話を聞いたことがあります。

とかく自分の痛みには敏感でも、他人−まして人間以外の動植物や自然物の痛みには、なかなか実感もって理解し難いという傾向が、一般論としてあるのではないでしょうか。

そういう意味では、「害獣」「害虫」「雑草」という区分け(その一方で「益虫」とかいう言い方もありますね)は、まさに人間の勝手でわがままな見方の典型なのかなとも思います。

下水溝の生態系をテーマにした研究の概要について読んだことがあります。確か京都大学の先生だったと思うのですが、普通誰も見向きもしない、というよりはボウフラが発生するとか言って殺虫剤でも撒いてしまうようなところ。そんな世界でもその環境特有の−しかも意外なほど豊かな−生態系が息づいている。ましてや、汚い・臭い・気持ち悪い...などと嫌われるそんな環境に棲息している虫たちがいてこそ、土壌や水質が浄化されるということもあるわけです。


ただ、第一次産業に従事している方々にとって、「害獣」「害虫」「雑草」の問題はものすごく深刻なようでもあって、特に被害をこうむっていない立場のぼくが軽々しく論じれる問題ではないのかなとも感じてます。極論すると人間の存在自体が罪悪だといった暴論にもなりそうですし...。
奥の深い問題ですね。

No.77 【A-4】

Re:環境問題の裁判について

2001-05-14 11:13:18 東京都 / 君山銀針

「自然の権利訴訟」(法学)関係のものとしての回答をしましたが
そのもととなっている環境倫理関係の回答が出てきたので
ちょっと補足します。

人間が人間自身を中心にして、自身にとって
好感のもてるいきものを保護し、
好感のもてないものを排除すると言うようなありかたを
「人間中心主義」といいます。

人間中心主義については
鷹さん があげてくださった本の中にもありますし
環境倫理にとっては基本的な問題なので
環境倫理を扱ったほぼすべての本に
少なくとも基本的な説明が載っていると思います。

人間中心の行動の判断基準になっているのは
単に「かわいい」「気持ち悪い」など
外見に関する感覚的な好悪も大きいようです。

保護−排除の行動に科学的な裏付けが無く
感覚的な対処をすること自体は
人間が好感をもっているいきものにとっても
迷惑なことになります。
(たとえばホタルが好ましいからといって
 エサになるカワニナがいないところで
 ホタルだけを放してみるとか)

自然全体の連関を考えない
このような人間中心の考え方に警鐘をならすというところに
自然の権利訴訟の意味があると思います。

ただし、人間中心主義の考え方が出始めた頃の議論では
「エイズウイルスを殺すのも人間中心主義」
と言うような過激な意見が出たこともあります。

「エイズウイルスか人間か」という設問も
自然と人間を対立的、しかもかなり単純にとらえているのですが、
このような命題を与えられた場合には
人間である以上、人間の生死がかかっている場合に
人間と他の生物を全くの同等のものと考えることは難しいと思います。
また、simoさんの書かれているように直接に生命の問題ではなくても
人間がとりうる立場に限界はあります。

でも、このことと自然の権利の精神は本来は矛盾しないと思います。

人間と他の生物を全く並列におくことではなく
「人間と自然はつながっている」
「人間と自然は一蓮托生」
という観点こそが一番のポイントであり、
その考え方を基本にしたところで
人間のとるべき振る舞いも決まっていくのではないでしょうか。

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