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No. アメリカ横断ボランティア紀行(第20話) アラスカへ(その2)
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Issued: 2009.03.18
アラスカへ(その2)[3]
 目次
パブリックランドインフォメーションセンター
アンカレッジ歴史芸術博物館
パブリックランドインフォメーションセンター
写真4:アンカレッジのパブリックインフォメーションセンターの近くにある観光案内所の前で

 パブリックランドインフォメーションセンターは、アンカレッジのダウンタウンにある。周辺は草屋根の観光案内所やみやげ屋が軒を連ねる繁華街だ。このセンターは、ANILCA法を契機として設立されたビジターセンターだ。「パブリックランド」とは、国立公園や国立野生生物保護区などの国が管理する土地を指している。施設の運営は、国立公園局、野生生物局、森林局、公有地管理局など国有地を管理する各機関により共同で行われている【2】

 「これなんていう動物かしら」
 インフォメーションセンターに置かれた剥製は、ジャコウウシのものだった。牛のような大きな体を長い毛が覆っている。頭にへばりつくように生えている角は、頭頂から下の方に伸び、先端が少しだけ前を向いている。ジャコウウシは、かつて乱獲により絶滅の危機に瀕していたが、現在は個体数も増えてきているそうだ。ほかにも、ムースやカリブーの剥製が展示されている。
 このセンターには、アラスカの公有地に関するたくさんの資料が備えられている。デナリ国立公園のような有名なところばかりではなく、一般の観光客がほとんど足を運ばないような、遠く隔たった保護区の資料などもある。
 レセプションの職員の方にお願いして、先ほどジュディーさんから伺ったANILCA法について伺うことにした。
 「ANILCA法ですか? 確かファイルがあったと思います」
 ほどなく1冊のバインダーが書庫から出てきた。法律が印刷された紙は少し黄ばんでいる。ファイルは原文だけで、法律を解説したようなパンフレットなどはないようだった。法律についていくつか質問してみたが、通り一遍の答えしか返ってこなかった。

【2】 パブリックランドビジターセンター(Alaska Public Lands Information Center)は、このアンカレッジのセンターの他、フェアバンクス、ケチカン(Ketchikan)、そしてトク(Tok)の3箇所にも設置されている。
写真5:ANILCA法のファイル

 この法律の関式な名称は、「アラスカ重要国有地保全法(Alaska National Interest Land Conservation Act of 1980)」。その頭文字をとって「ANILCA」(アニルカ)と呼ばれている。公有地管理局が管理していたアラスカの国有地には、国立公園や野生生物保護区としても遜色ないような、すばらしい自然景観地や貴重な野生生物の生息地が存在していた。ところが、アラスカには石油など豊富な資源が埋蔵されていることが知られており、保全と開発の利害が競合していた。国有地は用途や管理主体が決められておらず、事実上、開発も保護区の指定も棚上げされていた。これが、アラスカに残された「最後のフロンティア」だった。
 この法律は、こうした利害を調整し、土地の所有や管理主体を定めるものだ。結果として、合計1億430万エーカー(約4,220万ヘクタール)にも上る国立公園や保護区が誕生した。アラスカの自然環境の保全上、もっとも画期的な法律のひとつといわれている。
 当然ながら、この法律の制定には、地元や企業の利益を代表する開発派と、全国的な自然保護団体などを代表する保全派の対立があったはずだ。またアメリカ全体における国立公園の管理に少なからず影響を与えたはずである。その背景について調べることができれば、今回のアラスカ研修の成果のひとつとなるだろう。
 ところが、不思議なことに、アラスカに来てみてもこれらの経緯に関する説明をほとんど目にしない。豊かな自然や水産物に関する展示はあちこちで見かけるものの、それを守っている仕組みや歴史に関する資料や展示はほとんどなかった。
アンカレッジ歴史芸術博物館
 アンカレッジ歴史芸術博物館(Anchorage Museum of History and Art)は、近代的な鉄筋コンクリート2階建ての大きな建物だ。アンカレッジに来てからインタビュー続きだったので、息抜きもかねて博物館でも覗いてみることにした。場所は、ちょうど午前中のインタビューで訪問した、国立公園局アラスカ地域事務所の裏手の方にあった。

 建物を入ると、まず正面に大きなトーテムポールが立っている。それも、小学校の校庭にあるような杉丸太の細いものとは大違いだ。アラスカにもこんな太い材木があったのかと思うほど巨大で、吹き抜けのホールの真ん中に聳え立っている。ポールの頂きには大きな鷲のような鳥が彫り出されている。
 1階の芸術作品の展示もよかったが、2階のアラスカの歴史に関する展示は圧巻だった。ヨーロッパ人のアラスカ探検、アリュート人の家や生活、石油開発の歴史などが、豊富な実物展示によって解説されていた。また、アラスカの歴史、文化、産業などに関する具体的なデータが展示されていた。正直なところ、ちょっとした国立公園のビジターセンターなどとは比べ物にならないほどの収穫があった。日本語で書かれたアラスカの歴史資料も配布されていて、これも大変貴重な資料になった(文末の参考3)。

 「これ金の塊じゃない?」
 「ナゲット」と書かれた金色の塊は、おそらく本物だろう。こんなこぶし大の金が出てきたら、やっぱり「金の虜」になってしまうだろう。アラスカのゴールドラッシュが急に身近に感じられてしまう。隣には、石油、石炭、銅の塊なども展示されている。
 意外だったのは、1920年代のアンカレッジの生活の様子に関する展示だ。木造の家には、小さな部屋が2間しかない。ダイニングキッチンではご婦人が編み物をしている。日本の1DKアパートより狭く、天井も低い。家の中の家財からもごくごく質素な暮らしがうかがわれる。アメリカ人も、つい100年ほど前はこの程度の生活レベルだったわけだ。それでも、幸せそうな雰囲気が伝わってくる。

 アラスカは日本との関係も深い。北海道からの距離が近いこともあり、第2次世界大戦では、アリューシャン列島が日米の戦場になっていた。戦闘のためにアラスカに配属されたアメリカ軍兵士の展示もある。
 また、展示によれば、アラスカ州の経済活動は、連邦政府及び第一次産業が生産額のほとんどを占める(表1)。特にANILCA法制定後、石油生産が軌道に乗り始めると、経済規模が4倍に急増し、活動の約半分は石油・ガス関連が占めることとなる。意外だったのは、観光産業の占める割合が1〜2%程度と低いこと。これだけ豊かな自然があっても、地域の人々にとって経済的な恩恵はほとんどないということだ。
 「石油開発か、自然保護か」という選択を迫られた場合、アラスカ州が下す判断は目に見えているように思える。
 そのような状況下でANILCA法が制定され、多くの保護区が新設されたことはとても意味深いことなのではないだろうか。
【表1】アラスカの経済活動(博物館の展示から転載)
  1963
(大規模油田発見前)
1981
(ANILCA制定後)
1996
総額 56億ドル 233億ドル 259億ドル
連邦政府 25% 9% 7%
州・地方自治体 9% 8% 7%
石油・ガス 2% 47% 36%
漁業・林業 17% 5% 7%
観光業 1% 1% 2%
その他(金融業など) 48% 30% 38%

 土地所有に関する展示もあった。現在のアラスカ州における土地所有は、ほぼ6割が連邦政府所有地だ(表2)。その約半分強を、国立公園局と魚類野生生物局が管理している。

【表2】アラスカの土地所有(博物館の展示から転載)
連邦政府 59.9%(魚類野生生物局と国立公園局が半分強を管理)
州政府 27.7%
私有地 12.4%

 この博物館での収穫は、何と言っても石油開発の歴史に関する展示だった。石油開発と保護区設立との関係が、この博物館で見つけた数枚の展示パネルによってようやく結びついた。

写真6:パイプラインに関する展示パネル
写真6:パイプラインに関する展示パネル
写真7:アラスカの石油開発と自然保護区設立に関する展示パネル
写真7:アラスカの石油開発と自然保護区設立に関する展示パネル
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