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アメリカ横断ボランティア紀行(第30話)
ハーパースフェリーセンター訪問
Issued: 2011.07.26
ユニガイド・プログラム(UniGuide program)は、ハーパースフェリーセンターが主導する国立公園内の標識類をはじめとした国立公園に関するデザインの体系化に関する取組である。1990年代に開始され、2003年にようやく「ユニガイド・サイン基準」(以下、新サイン基準)が策定されて完成した。この新サイン基準では、サインの目的、設置場所、車道、歩道、利用のタイプ(通過型、散策型など)、記述内容などについて、細かくかつ具体的なデザインが示されている。ページ数は全体で600ページを超える。
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このサイン基準の特徴のひとつは、前述のユニグリッド・システムで採用されている「ブラックバンド」が標識にも導入されたことである。色は黒色ではなく濃緑色だが、表示面の上端に、設置者である国立公園局の名称とマークの入った帯(オーバー・バー)がデザインされている。これにより、標識についても印刷物同様に「国立公園局の管理する公園地」(=「ナショナルパークシステム」)の統一的なアイデンティティーを演出するための基礎が整ったといえる。
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国立公園局が管理する公園地には歴史公園、戦跡など、小規模な国立公園も少なくない。また、大規模な公園として国立レクリエーション地域などがあるが、これらは利用に重点が置れており、自然保護を目的とした国立公園とは異なる。これまで、こうした公園地もカバーできるような基準が十分ではなかったことから、このサイン基準は、これらの園地の標識類にも統一的な基準を示したという意味で、画期的だったといえる。
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新サイン基準のもうひとつの特徴は、木材や石材などの天然素材の使用にこだわっていないという点にある。これまで使われてきた基準(1988年マニュアル)が、木材や石材などその公園らしい自然素材の使用を求めてきたことを考えれば、大きな方針転換といえる。
標識の構造については、かなり詳細に仕様が示されている。内容に変更の多い表示面は取替えが可能になっている一方で、台座は長期間の使用に耐えうる材質と構造が選択されている。例えば、材質はアルミニウムのような腐食しにくい金属やコンクリートを用い、木材もレッドウッドなど耐久性の高いものが指定されている。表示面は塗装するか、もしくはシートを貼り付ける仕様が採用されている。
このような構造や部品の共通化は、設計や維持管理コストの縮減・合理化にも大きく貢献するだろう。また、それは近年進められている設計やメンテナンスのアウトソーシングの流れに沿うもののようにも思われる。
このハーパースフェリーセンターによる取組は、これまでの国立公園のデザインに関わってきた蓄積のなせるわざといえるだろう。一方で、これまでの個性的で歴史的な国立公園の標識については、取り扱いが難しい面もある。それぞれの国立公園がもつ固有の特色を残しながら、システム全体が大きなブランド力を発揮するしくみ。この両者を統合していくための壮大な実験が今も積み重ねられているようだ。
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ハーパースフェリー歴史公園は、古い町並みがそのまま保存されている公園です。幹線道路から町中に入っていくと、両側に昔ながらの石造りの家が多くなってきます。みやげ屋さんや民宿のような建物が並んでいて、どこからが公園なのかはっきりとした境界がありません。展示は、そういった昔の建物の内部をうまく改修して作られています。
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おもしろかったのは、昔のままに復元された雑貨屋さんでした。実際に店の中に入れるのですが、商品一つ一つが忠実に再現されています。店の棚に並んだ缶詰はそれぞれ真新しいのですが、貼られているラベルはまったく当時のままなのです。ガラスビンやいろいろな生活雑貨もそのまま並べられています。洋服店やバーなども復元されていました。
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そうかと思えば、建物がまだ「修復途中」のものもあります。わざと内部の壁などを取り除き、材木を切り出した時ののこぎりの跡が残っていたり、基礎の部分が見えるようになっていたりしています。時計屋さんにもいろいろな時計が並んでいますが、時計は修理中で、今にも時計職人が戻ってきそうな雰囲気です。
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大きな建物の内部は展示スペースになっていて、自然環境に関する展示や、ミニシアターなどもあります。もちろん、南北戦争に関する展示や、当時の黒人奴隷の様子、奴隷解放のためにハーパースフェリーで武装蜂起したジョンブラウンという人物について、相当詳しく解説されていました。当時の奴隷の値段がどのくらいだったのか、奴隷の生活や悲惨な人生などについても克明に解説されています。かわいらしい家の建ち並ぶ町並みだけからは想像できない、激戦地としての横顔や、南北戦争が果たした奴隷解放の偉業といったものを学ぶことができます。
武器の工場、鉄道、川にかかる大きな橋、そして運河の跡など、この小さな公園は、アメリカの人たちにとって、今でも重要で特別な場所なのでしょう。
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記事・写真:鈴木渉(→プロフィール)