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目次
橋渡し技術としての原子力エネルギー
福島原発事故後の脱原発を巡る議論
福島原発事故からの教訓
【1】
日経新聞2011年5月30日夕刊
【2】
1980年を境に分けたのは、異なる技術基準で運転されていたためである。
【3】
朝日新聞2011年5月13日
【4】
ドイツ連邦議会は2院制であるが、州政府の代表で構成される連邦参議院は2010年10月以来野党が多数を占め、ねじれ国会となっていたが、2011年3月の地方選挙の結果、与野党逆転はさらに拡大した。
【5】
東京新聞2011年4月17日朝刊
【6】
短期的には既存原発の運転停止により、ドイツは電力輸出国から輸入国になってしまったことも報じられている(毎日新聞2011年5月9日)。ただしドイツ環境省は、「ドイツは国内需要を自力で供給することはできるが、安い隣国の電力を輸入しているだけであり、欧州の電力自由化市場ではよくあること」と述べている。
【7】
ワールドウォッチ研究所、「地球白書2009-10」、ワールドウォッチジャパン、2009年、111頁

No.193

Issued: 2011.06.03

加速するドイツの脱原発

―ドイツの環境・エネルギー戦略から21世紀型電力供給を考える

ドイツの国会議事堂(ベルリン市)
ドイツの国会議事堂(ベルリン市)

 ドイツ連立政府与党は、5月29日、国内の原子力発電所17基を順次停止し、遅くとも2022年までにすべて廃止する計画で合意しました【1】。ドイツは、日本の福島原発事故を受け止め、化石燃料への依存度を高めることなく原発廃止を早める方向に確実に動き出したのです。今後エネルギー転換のための費用負担など解決すべき多くの課題はあるものの、基本的にはエネルギー効率の改善と、再生可能エネルギーへの投資を増やすことによって、原子力と気候変動のリスクに立ち向かう戦略といえます。
 本稿ではドイツの脱原発の背景となった気候・環境戦略の最近の動向を紹介します。とりわけ地球温暖化防止の長期目標達成のための戦略と、脱原発政策の動きを検討し、その上で、福島原発事故後のエネルギー・環境政策への示唆を考察します。

記事:松下和夫(京都大学大学院地球環境学堂教授 国連大学高等研究所客員 教授)

橋渡し技術としての原子力エネルギー

大学生協の屋上に学生たちが設置した太陽光パネル(ハノーバー
市)
大学生協の屋上に学生たちが設置した太陽光パネル
(ハノーバー市)

 ドイツにおける脱原発の動きのきっかけは、2000年の社会民主党(SPD)および緑の党の連立政権により、脱原発に向けた合意がなされたことです。その後2002年に原子力法が改定され、原発の平均稼働期間が32年と定められ、各原子力発電所に許容発電量が振り分けられました。それによると、すべての原子力発電所は、2022年頃には使用停止となる予定でした。その後のドイツにおける原発を巡る議論では、原発の段階的廃止については主要政党を含め国民的合意が成立しており、問題は段階的廃止のスピードでした。
 こうした状況の下で、メルケル政権は2010年9月に新エネルギー戦略を閣議決定し、原子力発電所の稼働期間を平均12年間延長することを提案しました(新エネルギー戦略については次章で紹介します)。
 具体的には、国内17箇所の原子力発電所のうち、1980年以前に稼働開始した施設(7基、7419MWe)は約8年間(通算の運転期間は平均40年)、それ以降の稼働開始施設(10基、14003MWe)は約14年間延長(通算の運転期間は平均46年)するというものでした【2】。あわせて原子力発電所安全規制は原子力法改正の枠組みの中で強化し、最高水準に変更するというものです。予定では2036年までにすべて停止することになっていました。
 この政策のもう一つの大きな狙いは、稼働期間延長により、再生可能エネルギー及び省エネ関連投資促進予算を確保することでした。
 すなわち2016年までの時限措置である核燃料税に加え、稼働期間延長による追加的利益への課徴金を定める取り決めを原子力発電所運営事業者との間で行うこととしていました。この取り決めによると、原子力発電所の稼働期間延長への対価として、原子力発電事業者に2011年〜2016年の間において年間23億ユーロの核燃料税及び、2011年、2012年はそれぞれ年間3億ユーロ、2013年〜16年は年間2億ユーロの追加的な課徴金が課せられることになります。
 新規の核燃料税及び追加的な課徴金は、原子力発電事業者の追加的利益の大半の支払いを強いるとともに、稼働期間延長により原子力発電事業者が経済的に優位な立場に置かれることを防止することも意図していました。連邦経済技術省は、稼働期間延長を考慮し、エネルギー部門における競争環境の定期的調査を行い、適切な措置を提案します。
 新エネルギー戦略による既存原発の稼働期間の延長提案は、野党や市民団体から強力な反対運動を呼び起こすこととなりました。2010年9月18日にはベルリンで10万人規模の原発反対デモが行われるなど、脱原発加速への世論の高まりが続きました。こうした根強い反原発の世論に、2011年3月11日の福島原発の事故が追い打ちをかけたのです。

福島原発事故後の脱原発を巡る議論

風力発電
風力発電

 メルケル政権は福島原発の事故を受け、2011年3月に予定されていた2つの州議会選挙(バーデン・ビュルテンベルク州、ラインラント・プファルツ州)の前に、原発の稼働期間延長政策の転換(稼働中の原子炉17基の延長を3か月間停止し、1980年以前から稼働している7基は運転停止する)を明らかにしました。しかしながら、3月27日に行われた州議会選挙では大敗し、特にドイツ南西部バーデン・ビュルテンベルク州では、ドイツ政治史上初の緑の党の州首相が誕生しました【3】。西部ラインラント・プファルツ州議会選でも緑の党が15.4%と得票率を3倍強に伸ばし、社民党と連立を組む可能性が出ています。一方、連立与党の自由民主党(FDP)は選挙後、脱原発に急転換しました【4】
 こうしたことを背景とし、メルケル首相は2011年4月15日、「脱原発」の見直しを進めてきた政策を転換し、国内の原子炉全廃を早期に実現する方針を決めました【5】。これは野党社会民主党(SPD)を含む国内十六州の州首相らと協議したうえで、これまで連立与党が推進してきた既存原子炉の稼働延長を短縮することで合意したものです。この合意を受け、メルケル政権は2010年9月に平均12年間の延長を決めた原子炉の稼働期間を短縮するため、6月上旬には原発全廃までの期間などを示す改正原子力法等関連法案を改正する意向です。脱原発を石炭火力に頼らずに、エネルギー効率のさらなる向上と再生可能エネルギー拡大の加速化により達成しようとするのが基本的な方向です。
 現在検討されているエネルギー転換政策の包括的な措置の内容としては、第一に、再生可能エネルギー普及拡大を従来以上に加速すること、とりわけ洋上風力発電の拡大・強化があります。第二に、エネルギー・ロスの少ない高圧電力網の整備、とりわけ現在原子力発電に依存している南部地域に対して、北部の風力発電の電力を送るための送電線網整備です。第三に、住宅やオフィスビルなどの建物のエネルギー効率化への設備投資、第四に、核廃棄物処理場の点検や廃炉処理の検討などが主要な中身となると予想されます。いずれの事業にも膨大な費用が掛かります。したがってその財源を、電気料金の改定を含め、どこに求めるかが最大の課題になっています【6】
 昨年9月に新エネルギー戦略で原子力の稼働期間延長を決めた際には、原子力発電所事業者に対する税金ないし賦課金をかけ、その収入を活用して再生可能エネルギーへの転換を図ることが想定されていました。原子力発電所の早期の廃止を進めると、こうした財源も期待できないことになります。新たな財源と費用負担についてのより厳しい議論が必要となっているのです。

福島原発事故からの教訓

ゼロエミッション住宅(ハノーバー市)
ゼロエミッション住宅(ハノーバー市)

 ドイツは、日本の福島原発事故を受け止め、化石燃料への依存度を高めることなく原発廃止を早める方向に動き出しました。費用負担など解決すべき多くの課題はありますが、基本的にはエネルギー効率の改善と、再生可能エネルギーへの投資を増やすことによって、原子力と気候変動のリスクに立ち向かう戦略といえます。
 このことをやや長期的な文脈で考えてみましょう。ドイツでは1990年代初めまでは、再生可能エネルギー産業がまったく存在しないも同然であり、しかも日本を含む他の多くの国に比べて再生可能エネルギー資源の物理的賦存量(風量、日照など)は必ずしも豊かといえませんでした。しかしそれから10年もたたないうちに再生可能エネルギーのトップランナーになったのです。2000年にはドイツの電力のうち、再生可能エネルギーの占める割合は6.3%強でしたが、2010年には17%となり、2020年までには35%、2040年には65%にしようとしています。ドイツの経験から、「明確に方向性を打ち出して、効果的な政策を施行すれば、急速な変化が可能であること」がわかります【7】。ただしこれらの変革のきっかけとなったのは、地域からのボトムアップの消費者運動や市民運動があったことも明記しておく必要があります。たとえば再生可能エネルギー普及のきっかけとなった固定価格買取制度もアーヘン市が導入した制度がモデルとなって全国的な制度となったのです。
 ドイツで脱原発と再生可能エネルギーの拡大、そして気候変動政策の推進が可能となった背景を次の章でみてみましょう。

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