「ところで、カウンターに座っていたあの青年、実は所長の息子さんなのです」
所長官舎と取締官の宿舎は保護区内にある。人手が足りない時は所長さんの息子さんがカウンター業務を手伝ってくれるそうだ。ビジターセンターのスペースと執務室が同じ建物にあるのは、カウンターに座るボランティアがいなくても、すぐに職員が対応できるためだという。また、建物の棟数を減らせば光熱費が抑えられるというメリットもある。国立野生生物保護区では職員数や利用者数によってだいたいの施設の規模が決まっているそうだ。なお、職員が少ないので、草刈りなどのメンテナンスは、所長以下、全員総出となる。なんとなく日本の
自然保護官事務所の状況にも似ている。
総面積約3,840万ヘクタールの国立野生生物保護区システム(日本の国土面積約3,780万ヘクタールより若干広い)では、約3千人(メンテナンス職員を除く)が働く。これは、総面積約3,400万ヘクタールと若干面積の小さい国立公園システムで働く職員数約2万人に比べて、圧倒的に少ない。にもかかわらず、保護区の候補地はまだまだ多く、今後も面積は拡大される見込みだ。既存の保護区に対する人員の補充はあまり期待できない。ただ、ビジター向けの情報スペースを事務所内に設置するなど、業務の合理化を見越した施設整備を行ってきたことが功を奏して、人件費、維持費の負担の低減に成功しているそうだ。その点では、施設が大きく、職員数も多い国立公園局の機関とは対照的である。
ちなみに、職員1人あたりの管理面積は、日本の国立公園では約8,200ヘクタールであるのに対し、アメリカの国立公園では約1,650ヘクタールと約5分の1だ。一方、国立野生生物保護区は職員1人あたり約13,000ヘクタールとなる。この国立野生生物局の職員数は同局の予算書から引用したものだが、その職員数にはメンテナンス職員数が含まれていないため、おそらく実態的に両者はほぼ同程度と考えられる。こうしてみると、アメリカの国立公園よりは国立野生生物保護区の管理手法や施設計画などの方が、むしろ日本としては参考になるのではないだろうか。
今回はアポなしの訪問にもかかわらず、スティーブさんのご好意で無事インタビューを終えることができた。少しホッとしてホテルにチェックインする。明日はミシシッピー川を越える。約200年前にアメリカ合衆国の一部となった大西部へといよいよ歩を進めることになる。
フランスからルイジアナ(当時の呼称;ミシシッピー川以西の当時のフランス領)が割譲された後ルイスとクラークの西部地帯の遠征が行われた。これは、広大な西部の原生地域を調査する探検の旅だった。1804年5月から1806年9月まで行われた遠征は、誕生して間もないアメリカ合衆国が、広大な西部地域に目を向ける契機となった。探検隊は、イリノイ州を出発し、太平洋(現在のオレゴン州ポートランド付近)に達した後、ほぼ同じルートを通って無事帰還した。2004年は探検が開始されてからちょうど200周年でもあり、各地でイベントが開催されていた。
(ルイス&クラーク遠征200周年記念イベントURL)
また、この探検隊を記念した国立長距離トレイル、「ルイス・アンド・クラーク歴史トレイル」も指定されている。