アメリカの国立公園にとって、ANILCA法の成立する1980年までを含む1970年代は、国立公園システムに膨大な区域が追加された「拡充の時代」といえる。
連邦議会は、1970年に一般権限法(General Authorities Act)【3】を制定した。同法により、「国立公園局が管理する公園は、ひとつの『国立公園システム』を構成する同等の国立公園ユニットであること」、そして、「それぞれのユニットの管理は、『1916年の組織法』【4】の規定に整合する管理が行われなければならない」とされた。つまり、伝統的な大規模で原生的な国立公園だけでなく、都市部にある小さな歴史公園でも法律上は同じような保護と管理が必要となったのである。
2年後の1972年、ニューヨークとサンフランシスコという2つの大都市に、国立レクリエーション地域が設立された【5】。
これにより、都市域の国立公園ユニットが大幅に充実し、国立公園システムは都市域から原生地域までをカバーするものとなった。ここに、現在の「国立公園システム【6】」の基礎がつくられたといえる。
一方、伝統的な自然地域の国立公園の管理についても大きな動きがあった。1960年代後半、アメリカで起こった「生態学的な革命」は、70年代になって国立公園管理にも大きな影響を及ぼすことになった。
1972年、保全基金(Conservation Foundation)という財団は、「国立公園の価値の保護」【7】というレポートを発表した。このレポートでは、「国立公園に関する政策決定は、残されているウィルダネスの保護にもっとも高いプライオリティーを置くべきであり、社会的な国立公園の価値を測定するためには、利用者数以外の指標を用いるべきである」などの提言を行った。その他、このレポートでは「それぞれの国立公園ユニットに関する物理的、生態学的、心理学的な環境容量(carrying capacity)の決定」「quota system(入場定員制)の導入」「国立公園内からの、ホテルタイプの宿泊施設、自家用車、オートキャンプの締め出し」などについても提言している。レポートの内容はかなり先鋭的であるが、当時の国立公園局の原生的な国立公園管理の問題点を鋭く指摘している。また、当時の国立公園に関する「自然保護への回帰」の雰囲気が読み取れ、興味深い。
個別の国立公園としては、1968年に公園に指定されたレッドウッド国立公園の拡張問題が持ち上がっていた。周辺の大規模な伐採活動が、国立公園内の生態系に深刻な影響を与えていたため、1978年に連邦議会は公園の拡張を承認し、生態系保全を目的として隣接する二次林が公園区域へと編入されることになった。
この公園拡張に際しては、連邦政府が直接用地と立木を有償で購入するとともに、職を失う伐採労働者に対する収入補償が支払われたが、これは前例のないことであり、国立公園政策の大きな転換点といわれている。
また、この公園区域拡張のための法律には、前述の国立公園局の組織法の一部改正が盛り込まれていた。この法律改正では、レッドウッド国立公園の拡張が遅れたことにより、国民共通の遺産である貴重な公園の資源が損なわれたという反省に立ち、「国立公園システムにおいては、連邦政府議会が決定しない限り、国立公園の価値を損なうようないかなる行為も行ってはならない」ことを定めた。これは、単に開発行為を認めないということではなく、それぞれの公園の「価値」を把握して、それが損なわれていないか常に監視することを公園管理者に求めることを意味しており、その後の国立公園管理に大きな変化をもたらすことになった。
レッドウッド国立公園が拡張された同年、カーター大統領は、アラスカ州において進みつつあった搾取的利用から貴重な生態系を守るため、遺物保存法に基づいて、多くの国立記念物公園を設立した。
2年後の1980年、アラスカ重要国有地保全法(ANILCA)が制定され、1978年に設立された国立記念物公園を足がかりとして、多くの国立公園、国有林、野生生物保護区、そして原生及び景観河川が設立され、これにより国立公園システムの面積は一気に倍増した【8】。
環境法規としては、1972年に連邦水質汚染規制法(Federal Water Pollution Control Act)及び海岸地域管理法(Coastal Zone Management Act)が制定された。後者は、五大湖の湖岸を含む海岸線の保全のために、連邦政府と州政府との間で調整をとらなければならないという内容を盛り込んでいる。これは、州政府が高い独立性をもつアメリカにおいては、大変大きな意味を持っていた。
1973年に制定された絶滅危惧種法(Endangered Species Act of 1973)により、連邦政府機関は、絶滅危惧種に指定されている動植物の保護を図るために、自らの活動を制限もしくは変更することが義務付けられた。国立公園の多くは、絶滅危惧種の避難地として多くの種の生息地を提供していることから、この制度は、公園内における建設事業に著しい影響を与えた。また、それまで野生生物の保護と狩猟は主に州政府の専管事項であったが、絶滅が危惧されている種については連邦政府が管轄することになったことも意味深い。
このように、1970年代は環境保全運動の大きな盛り上がりを背景に、国立公園をはじめとする保護区の面積が拡大し、生態系や種の保存といった新たな命題が国立公園に課されはじめた、大きな時代の転換点でもあった。アラスカにおける国立公園の大幅な拡充は、その象徴的なできごとだったといえる。