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No. アメリカ横断ボランティア紀行(第21話) アラスカへ(その3)
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Issued: 2009.06.11
アラスカへ(その3)[4]
 目次
利用規制(アクセスコントロール)の考え方
70年代という時代(アメリカ国立公園拡充の時代)
利用規制(アクセスコントロール)の考え方
 デナリ国立公園の車道のように、利用規制(アクセスコントロール)を円滑に行うポイントをジョーさんに伺ってみることにした。これは、私の研修課題の中でもっとも重要でかつ難しい点だった。これまでも、いろいろな公園で同様の質問を繰り返してきた。
 「簡単に言えば、アクセスコントロールとは『あなた方は行けるけど、あなた方は行けませんよ』という選別をすることです」
 国立公園におけるアクセスコントロールは、歩道からの踏み出しを防止する柵や木道の設置といった簡単なものから、パークアンドライドによる自家用車乗り入れ抑制、キャンプ場など公園施設の事前申し込み制、ゲートの設置による利用者数の制限など、様々な手法や段階がある。アメリカの国立公園においても施設による利用誘導が主だ。
 デナリ国立公園のように、乗用車を締め出し、利用手段をツアーバスに限定しているケースは稀だ。デナリの場合も事前の利用申し込み制を導入しており、ゲートで職員が直接規制や選別を行っていることはない。それでも、利用者にとっては大きなストレスとなる。
 「大切なことは、国立公園が人々の期待を裏切らないことです。つまり、『制限があって今は行けなくても、いつか行くことができる』、『国立公園は、そのゲートを閉ざしてしまうことはない』という信頼を得ているということです」
 確かに、デナリ国立公園の車道ですら定期的にツアーバスが運行され、相当数の利用者が核心地域に到達することができる。バックパックを背負って、ちょっとした手続きをすれば、国立公園内を自由に、どこまでも歩いていくことができる。
 「規制する以前に、まず社会全体が、『国立公園』というものに誇りを感じ、それが貴重なものであると理解してもらうことが大切です。アメリカでは、国立公園や原生的な自然の重要性に対する基本的な理解があると思います。また、それを育んでいくことこそが国立公園の役割でもあるのです」

 日本で利用規制を考えようとすると、まずその理由や区域に関する議論が先行してしまう。規制の導入以前にまず、国立公園自体が十分な社会的支持を受けていること、そして、その規制が規制のためにあるのではなく、自然を守り、持続可能な利用のためにどうしても必要なことであるという理解を得ることが必要だということを示唆するものだった。
 「そのような理解を得るためには、公園の有する価値の判断(value judgment)を的確に行うことが必要です。その上で、20〜30年後の公園のあるべき姿を見定め、望ましい利用レベルを設定する必要があるのです」
 利用制限を導入するためには、国立公園が将来のビジョンを描き、公園がそれに足る価値をもっていることを示して人々を説得しなければならないということだろうか。ビジョンを描くための素材集めとして自然環境の調査・モニタリングを国立公園管理の基本に据え、それを利用者にわかりやすく伝えるためのインタープリテーションが徐々に社会的な合意が形成していく。
 「私たち資源管理部門の仕事は、現地に出て、公園内にどのような資源があるかを記録することが基本です。私たちが収集・整理したデータを、自然解説(インタープリテーション)部門がわかりやすく人々に伝えていくという地道な積み重ねが、人々の信頼を得るためには必要なことなんです」
 ジョーさんのインタビューの中で印象的だった一言がある。
 「People believe in parks as a society」。──「人々は、社会的な合意として、国立公園を信頼してくれている」、そんな意味だろうか。
 まったく予想していなかったことだっただけに、とても新鮮だった。「規制」と「信頼」は表裏一体なのだ。
 今回のインタビューは、この地の果てとも言えるデナリ国立公園の、それも小さな作業室で行われた。地図や様々な資料が積み重ねられた静かな部屋で、資源管理部門一筋のベテラン職員がとつとつと語ってくれた話は、アラスカにとどまらず、アメリカの国立公園行政全体を俯瞰したものであった。国立公園局職員の質の高さを改めて実感するとともに、国立公園行政は、中央官庁ではなく、こうした現場業務により支えられていることをあらためて実感した。同時に、そんな理想的な公園管理を行うためには、公園ごとにしっかりとした調査・モニタリングを行うための資源管理部門が不可欠だということが理解できた。国立公園が市民の理解と信頼を得るための努力が、アメリカではごく当然のこととして行われている。
70年代という時代(アメリカ国立公園拡充の時代)

 アメリカの国立公園にとって、ANILCA法の成立する1980年までを含む1970年代は、国立公園システムに膨大な区域が追加された「拡充の時代」といえる。
 連邦議会は、1970年に一般権限法(General Authorities Act)【3】を制定した。同法により、「国立公園局が管理する公園は、ひとつの『国立公園システム』を構成する同等の国立公園ユニットであること」、そして、「それぞれのユニットの管理は、『1916年の組織法』【4】の規定に整合する管理が行われなければならない」とされた。つまり、伝統的な大規模で原生的な国立公園だけでなく、都市部にある小さな歴史公園でも法律上は同じような保護と管理が必要となったのである。
 2年後の1972年、ニューヨークとサンフランシスコという2つの大都市に、国立レクリエーション地域が設立された【5】。  これにより、都市域の国立公園ユニットが大幅に充実し、国立公園システムは都市域から原生地域までをカバーするものとなった。ここに、現在の「国立公園システム【6】」の基礎がつくられたといえる。

 一方、伝統的な自然地域の国立公園の管理についても大きな動きがあった。1960年代後半、アメリカで起こった「生態学的な革命」は、70年代になって国立公園管理にも大きな影響を及ぼすことになった。
 1972年、保全基金(Conservation Foundation)という財団は、「国立公園の価値の保護」【7】というレポートを発表した。このレポートでは、「国立公園に関する政策決定は、残されているウィルダネスの保護にもっとも高いプライオリティーを置くべきであり、社会的な国立公園の価値を測定するためには、利用者数以外の指標を用いるべきである」などの提言を行った。その他、このレポートでは「それぞれの国立公園ユニットに関する物理的、生態学的、心理学的な環境容量(carrying capacity)の決定」「quota system(入場定員制)の導入」「国立公園内からの、ホテルタイプの宿泊施設、自家用車、オートキャンプの締め出し」などについても提言している。レポートの内容はかなり先鋭的であるが、当時の国立公園局の原生的な国立公園管理の問題点を鋭く指摘している。また、当時の国立公園に関する「自然保護への回帰」の雰囲気が読み取れ、興味深い。

 個別の国立公園としては、1968年に公園に指定されたレッドウッド国立公園の拡張問題が持ち上がっていた。周辺の大規模な伐採活動が、国立公園内の生態系に深刻な影響を与えていたため、1978年に連邦議会は公園の拡張を承認し、生態系保全を目的として隣接する二次林が公園区域へと編入されることになった。
 この公園拡張に際しては、連邦政府が直接用地と立木を有償で購入するとともに、職を失う伐採労働者に対する収入補償が支払われたが、これは前例のないことであり、国立公園政策の大きな転換点といわれている。
 また、この公園区域拡張のための法律には、前述の国立公園局の組織法の一部改正が盛り込まれていた。この法律改正では、レッドウッド国立公園の拡張が遅れたことにより、国民共通の遺産である貴重な公園の資源が損なわれたという反省に立ち、「国立公園システムにおいては、連邦政府議会が決定しない限り、国立公園の価値を損なうようないかなる行為も行ってはならない」ことを定めた。これは、単に開発行為を認めないということではなく、それぞれの公園の「価値」を把握して、それが損なわれていないか常に監視することを公園管理者に求めることを意味しており、その後の国立公園管理に大きな変化をもたらすことになった。
 レッドウッド国立公園が拡張された同年、カーター大統領は、アラスカ州において進みつつあった搾取的利用から貴重な生態系を守るため、遺物保存法に基づいて、多くの国立記念物公園を設立した。

 2年後の1980年、アラスカ重要国有地保全法(ANILCA)が制定され、1978年に設立された国立記念物公園を足がかりとして、多くの国立公園、国有林、野生生物保護区、そして原生及び景観河川が設立され、これにより国立公園システムの面積は一気に倍増した【8】

 環境法規としては、1972年に連邦水質汚染規制法(Federal Water Pollution Control Act)及び海岸地域管理法(Coastal Zone Management Act)が制定された。後者は、五大湖の湖岸を含む海岸線の保全のために、連邦政府と州政府との間で調整をとらなければならないという内容を盛り込んでいる。これは、州政府が高い独立性をもつアメリカにおいては、大変大きな意味を持っていた。
 1973年に制定された絶滅危惧種法(Endangered Species Act of 1973)により、連邦政府機関は、絶滅危惧種に指定されている動植物の保護を図るために、自らの活動を制限もしくは変更することが義務付けられた。国立公園の多くは、絶滅危惧種の避難地として多くの種の生息地を提供していることから、この制度は、公園内における建設事業に著しい影響を与えた。また、それまで野生生物の保護と狩猟は主に州政府の専管事項であったが、絶滅が危惧されている種については連邦政府が管轄することになったことも意味深い。
 このように、1970年代は環境保全運動の大きな盛り上がりを背景に、国立公園をはじめとする保護区の面積が拡大し、生態系や種の保存といった新たな命題が国立公園に課されはじめた、大きな時代の転換点でもあった。アラスカにおける国立公園の大幅な拡充は、その象徴的なできごとだったといえる。

【3】 一般権限法(General Authorities Act):正式名称は、「内務長官による国立公園システムの管理の改善のため、また、同局の国立公園システム、もしくはその他の目的に関する権限の確認に関する法律(An Act to improve the administration of the National Park System by the Secretary of the Interior, and to clarify the authorities applicable to the system, and for other purposes)」。
【4】 1916年の組織法(Organic Act of 1916):国立公園局の設置法。国立公園の恩恵を現在の世代が享受するとともに、その価値を損なわずに将来世代に引き継ぐという、「保護と利用の両立」「消費的な資源利用の禁止」を定めている。アメリカの国立公園にとって、いわば憲法ともいえる。
【5】 ニューヨーク大都市圏内のゲートウェイ国立レクリエーション地域とサンフランシスコに位置するゴールデンゲート国立レクリエーション地域
【6】 国立公園システム:米国内務省国立公園局の管理する公園地の総称。国立公園のような原生自然地域にある広大な公園から、小規模な歴史公園まで、様々な種類・規模の公園(国立公園ユニット)により構成されている。2009年現在で391の国立公園ユニットが存在する。
参考:国立公園ユニットの主な種別
【7】 
「国立公園の価値の保護」:PRESERVATION OF NATIONAL PARK VALUES, Report of a Task Force Assembled by the Conservation Foundation as Part of Its National Parks for the Future Project, 1972
(著者:Joseph W. Penfold, Chairman, Stanley A. Cain, Richard A. Estep, Brock Evans, Roderick Nash, Douglas Schwartz, Patricia Young)
【8】 公園の新設及び拡張面積は計4,700万エーカー(約1,900万ヘクタール)。現在の国立公園の総面積(8,400万エーカー、約3,300万ヘクタール)の半分強に相当する。
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