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エコチャレンジャー

環境問題にチャレンジするトップリーダーの方々との、ホットな話題についてのインタビューコーナーです。

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エコチャレンジャー

環境問題にチャレンジするトップリーダーの方々との、ホットな話題についてのインタビューコーナーです。

目次
女性だけでヒマラヤに行こうと、女子登攀クラブを結成したのが1969年
かつては特殊な世界の特殊な人でないと行かなかった山が自分たちの身近に、生活の中に入ってきた
避難生活をしているシニア世代の方たちとのハイキングから始まり、被災した東北の高校生を日本一の富士山へ
【1】深田久弥
 小説家及び登山家。山岳随筆「日本百名山」をはじめ、多くの作品を残している。
【2】キャラバン
 隊商を意味するペルシャ語が転じて、登山隊にも用いられる。
【3】アンナプルナIII峰
 アンナプルナ(Annapurna)は、ネパール・ヒマラヤの中央を東西約50 kmにわたって連なるヒマラヤ山脈に属する山群の総称。サンスクリット語で「豊穣の女神」を意味する。I峰(8,091m)、II峰(7,937m)、III峰(7,555m)、IV峰(7,525m)からなり、I峰は標高が世界第10位。
【4】浜通り
 福島県東部で太平洋に面する沿岸部。西部の会津、中部の中通りとともに、福島県を構成する。

No.031

Issued: 2014.07.10

第31回 登山家・田部井淳子さん曰く、自分で見て納得できるところが山の魅力[1]

平成26年6月24日(火)13:00〜
聞き手:一般財団法人環境イノベーション情報機構 理事長 大塚柳太郎

女性だけでヒマラヤに行こうと、女子登攀クラブを結成したのが1969年

田部井 淳子(たべいじゅんこ)さん
田部井 淳子(たべいじゅんこ)さん
1939年福島県三春町生まれ。登山家。
1969年『女子だけで海外遠征を』を合言葉に女子登攀クラブを設立。1975年世界最高峰エベレスト8848mに女性として世界で初めて登頂。1992年七大陸最高峰登頂者となる(女性世界初)。年数回海外登山に出かけ、現在までに60か国以上の最高峰に登頂。
20〜40代女性のための山の会MJリンク呼びかけ人。メディアへの出演や執筆、健康山登り教室の講師、講演などを通じて山登りの楽しさを多くの人に伝えている。
最近の出版物に『それでもわたしは山に登る』(文藝春秋)、『山の単語帳』(世界文化社)などがある。

1970年アンナプルナIII峰7555m頂上にて(日本人初、女性初)。『女子だけで海外遠征を』を合言葉に参集した女子登攀クラブで、初めての海外遠征。
1970年アンナプルナIII峰7555m頂上にて(日本人初、女性初)。
『女子だけで海外遠征を』を合言葉に参集した女子登攀クラブで、初めての海外遠征。

大塚理事長(以下、大塚)― 本日はEICネットのエコチャレンジャーにお出ましいただき、ありがとうございます。田部井さんは、女性として世界初のエベレスト登頂、世界初の7大陸最高峰登頂などを成し遂げられ、その後は、多くの人びとが登山をはじめ自然に親しむ機会を広げる活動に取組んでおられます。本日は、夏山シーズンを前にして、登山の魅力や心構え、あるいは自然との接し方などについてお伺いしたいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。
 まずお伺いしたのは、1975年に、女性として初のエベレスト登頂に成功されたとき、あるいはその前後に、田部井さんご自身はどのようなお気持ちをもたれたのでしょうか。当時ご苦労されたことの紹介も兼ね、お話しください。

田部井さん― 女性だけでヒマラヤに行こうと、女子登攀クラブを結成したのが1969年でした。当時は、組織に属していないと海外の山に登る許可が取れなかったからです。1970年にネパール・ヒマラヤが解禁になることが分かったので、女子登攀クラブとして、まず1970年に7000m級の山、その次に8000m級の山を目標としたわけです。私たちはヒマラヤの知識もほとんどなく、深田久弥さん【1】のお宅にお伺いし、初歩的な質問をさせてもらいました。深田さんはとても親切に教えて下さいました。たとえば、女性だけで行くのならキャラバン【2】は短い方がいいといわれました。1970年に最初の目標としてアンナプルナIII峰【3】を選んだのは、深田さんのご意見によるところが大きかったのです。

大塚― アンナプルナは写真でしか見たことがありませんが、きれいな山ですね。

田部井さん― Ⅰ峰、Ⅱ峰、Ⅲ峰、Ⅳ峰があって、Ⅰ峰が最も高く8000m級で、私たちが目指したⅢ峰はあまり登られておらず、日本人はもちろんですが、登っていたのはインド隊だけでした。私たちは本当に初めてで心配もありましたが、何とか女性9人で登頂に成功しました。
 次に目標とした8000m級の山は、全部で14あります。女性だけでも登れる山を選ぼうと、消去法で考えました。「この山はキャラバンがむずかしい」「この山は壁がある」などなどです。そうして、「エベレストは日本人も登っていたし」「身近に資料もあるし」「経験者もいる」「8000mを超えてからはそんなにむずかしくはない」という理由で決めたのです。
 あの頃は、1シーズンに1チームしか登山が許可されない時代でした。1971年に許可を申請したのですが、1972年も1973年もエベレストは予約済みでした。「1974年は?」と聞いたところ、世界の7か国が競合しているとのことで、「あなたたちに許可を与えられるのは1975年です」と。

かつては特殊な世界の特殊な人でないと行かなかった山が自分たちの身近に、生活の中に入ってきた

1975年、ネパール側から見たエベレストと月。
ネパール側から見たエベレストと月。
※クリックで全景を拡大表示します

大塚― 年に1パーティーしか行けないのに、1975年には競合するチームがなかったのですか。

田部井さん― 私たちは押して、押して、押しました。1974年にエベレストは7か国が競合しているから無理ですが、ほかの山だったらすぐに許可するとも言われたのを、「いや、私たちはエベレストでないとダメ」とがんばったのです。最終的に、「1975年に許可します」と言っていただきました。

大塚― まさに初志貫徹ですね。

田部井さん― 4年間を準備に充てました。ところが、1972年と1973年は石油ショックで、トイレットペーパーもなくなるほどでしたから、ヒマラヤに行く資金を出していただくのを期待できる状況ではなくなりました。

大塚― どうされたのですか。

田部井さん― 当初は多くの会社を回ろうと、計画書をもって私もずいぶん歩きました。しかし、全然相手にされず、女性だけでヒマラヤ登山ができるはずはないとか、90%以上の可能性がなければ社として援助はできないとか、私の年齢などまで質問され、人からお金をもらうとはこのようなことなのだと理解しました。たまたま、テレビ局と新聞社が援助してくださることになり、そのおかげで実行でき本当に感謝しています。
 エベレストに登ってからは、スポンサーをつけることの制約もよく分かりましたので、スポンサーなしで山に行こうと決めました。今でも、スポンサーなしで行っています。

大塚― 田部井さんの原点ともいえることに触れていただきました。
 ところで、日本では近年、山への関心が高まっていると思います。「山ガール」という言葉に代表される登山の大衆化もありますし、一方では、富士山の「世界文化遺産登録」も大きな意味をもつ気がします。田部井さんは、現在の状況をどのように感じておられますか。

田部井さん― かつて私たちが若い時、20代、30代で山に行った時代は、山は特殊な世界で特殊な人でないと行かないと、世間で取られていたと思います。最近はアクセスもよくなり、山小屋の改善もあり、トイレもきれいになり、いろいろな条件が整ってきて、中高年の方たちにも親しまれ、山ガールたちにも親しまれるようになったと思います。山が自分たちの身近に、生活の中に入ってきたと感じられます。私は、日本の山がこんなにきれいなことを多くの方に知っていただきたいと考えています。

避難生活をしているシニア世代の方たちとのハイキングから始まり、被災した東北の高校生を日本一の富士山へ

2011年6月13日裏磐梯 五色沼ハイキングの様子
2011年6月13日裏磐梯 五色沼ハイキングの様子

大塚― 田部井さんは福島県のご出身で、3年前の東日本大震災以降、いろいろな活動をされておられます。

田部井さん― まず、最初は避難生活をしているシニア世代の方たちをお誘いし、ハイキングをしたのが2011年の6月でした。

大塚― その時はどちらに行かれたのですか。

田部井さん― 裏磐梯にある五色沼の散策路です。ハンドバック1つで避難された方たちは登山靴も何もないですから、普段の格好でも歩ける五色沼の散策路を選んだのです。皆さんにすごく喜んでいただきました。「緑の中を歩くとこんなに元気になるのね」「久しぶりにこういう気分になった」と。原発の被害にあったのは浜通り【4】の方々ですから、同じ福島県に住んでいても会津に来るチャンスのない方が多かったようで、「五色沼って、写真でしか見たことなかったけど、本当にこんな色なんだね」「磐梯山って表からみたら1つだと思っていたら、裏からみたら2つあるんだね」と、驚きや喜びの声とともに、「少し前向きになったよ」との声も聞かれました。こういうことで元気になってもらえるならと、毎月つづけて今では39回になりました。

大塚― すばらしい取組みですね。その上、田部井さんは東北地方の高校生を富士登山に招待されておられます。

田部井さん― シニア世代の方たちを最初にお誘いしていたのですが、何とか次世代にも元気になってほしいと考えました。日本一に登ることが元気づけになるかなという思いで、被災した東北の高校生を日本一の富士山へという計画を思いついたわけです。
 実行に移そうとすると、かなりお金がかかることが分かりました。お金を集めるのは大人の役目だと言ってくれる仲間もいたり、協賛してくれる会社もあったりで、実現にこぎつけることができました。

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