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No.066

Issued: 2005.02.17

中国発:春、黄砂との戦い

目次
春の主役
2人の日本人研究者
地を這う西川流
「砂取物語」
天空を撃つ杉本ライダー
朱鎔基総理の大号令
高まる国際的関心と協調
砂塵嵐との戦いの行方

北京を襲った砂塵嵐

 日本では春の風物詩と受け流すことができる黄砂も、発生源の中国大陸では大きな問題となっています。嵐の如く砂が吹き荒れる中国では、黄砂現象は一般的に「砂塵嵐」と呼ばれています。ひとたび大きな砂塵嵐が吹き荒れると、視界はほとんど利かなくなります。飛行場は閉鎖され、陸上の交通機関も乱れ、時には郊外で放牧されている家畜も畜舎に戻れなくなります。もちろん家の中は砂だらけ。とても“春の風物詩”と呑気に構えていられるものではありません。
 中国における黄砂との奮闘と、黄砂対策に協力する日本人科学者を紹介します。

春の主役

 日本では2月も半ばを過ぎると、街中がマスクで顔を覆った人で溢れます。そう、花粉の到来です。昔は中国大陸から飛来する黄砂が春の訪れを告げていましたが、最近では花粉の飛来が多くの日本人の身体に有無を言わせず春の到来を思い知らせるようになっています。
 中国の北部地域でも、同じように春になるとマスクで顔を覆ったり、スカーフで顔を隠したりしている人が街中に溢れかえります。しかし、その理由は花粉ではありません。乾燥した強風や、黄砂から身を守るための防備です。
 中国気象局の統計によると、1970年代以降の中国国内における砂塵嵐の発生頻度は減少傾向にありましたが、1997年を底に、再び増加傾向に転じています。2002年3月20日には、この十数年来でもっともひどい砂塵嵐が首都北京を襲いました。

晴天時の様子

2002.3.20.に発生した砂塵嵐


(日中友好環境保全センター屋上から撮影)

砂塵嵐の発生頻度の変化

2人の日本人研究者

 このような砂塵嵐の増加をまるで予知するように、十数年来、こつこつと研究開発と調査を重ねてきた2人の日本人研究者がいます。国立環境研究所の西川雅高博士と杉本伸夫博士です。
 西川博士は地表から攻め、杉本博士は空へ向かって攻めます。ひょんなことから、私はこの2人の研究・調査を手伝うとともに、日中間の環境協力に利用させてもらうことになりました。


地を這う西川流

甘粛省の荒地で黄土の状態を観察する西川博士

 西川博士は、元々化学分析が専門です。博士によると、黄砂や黄土はその地域特有の化学成分を持ち、飛来した砂や黄土を化学分析すれば、その成分から、おおよそどの地域から飛んできたものか推察できるといいます。つまり、砂には“指紋”があり、“指紋照合”すれば発生地域を当てることができるというのです。
 しかし、“指紋照合”するには、照合に必要な基礎データを集めておかなくてはなりません。つまり、中国各地の砂漠や黄土高原などの砂や黄土の成分をあらかじめ把握しておかなければならないのです。さらにいえば、中国だけでは不十分で、中国の北側に接するモンゴルのゴビ砂漠などの砂のデータも必要となってきます。


「砂取物語」

 かくして1997年に、西川博士の“砂取物語”が幕を開けました。各地での砂のサンプリングは、車での走行延長距離約1万km(地球の4分の1周)にも及ぶ気の遠くなるようなものでした。古典の名前をもじってつけたこの「砂取物語」は、西川チームによる黄砂サンプリングプロジェクトの愛称です。
 砂取物語の舞台となったのは、タクラマカン砂漠横断1,600km、河西回廊(シルクロードの一部)縦断2,000km、モンゴル・ゴビ砂漠周回1,000kmの他、アラシャン砂漠、バダインジャラン砂漠、トングリ砂漠、フンシャンダーク砂漠など。主だった中国、モンゴルの砂漠や黄土地帯でのサンプリングはほぼ終了し、“指紋照合”に必要なデータは揃いました。

黄砂発生源の地表データ収集には、人が入り込まない砂漠の奥地まで出かける。

調査中砂に車が埋もれた時には、地元の人がいつの間にか集まってきて、助けてくれた。


天空を撃つ杉本ライダー

日中友好環境保全センター屋上に設置されたライダー

 一方、杉本博士の研究では、独自に開発したレーザーレーダー(略称ライダー)という装置を用いて、上空を通過する黄砂を観測します。レーザー光線を空に向かって飛ばし、上空の粒子状物質や砂などに当たって反射してくる光線を解析して、上空に何が存在するのかを推定するわけです。この装置を用いると、何時何分に上空何メートルの高さに黄砂が飛来し始め、その厚さ(高さ)はどのくらいかなど、目視等では観測できないデータを収集することができます。
 この装置を、中国やモンゴルの全国各地に配置して観測網を張ることができれば、砂塵嵐の移動の状況を3次元的、4次元的に把握することができます。2000年、博士はまず手始めに、この装置を北京の日中友好環境保全センターに設置しました。


朱鎔基総理の大号令

 2000年は正月から砂塵嵐が吹き荒れました。事態を重視した中国の朱鎔基総理(当時)は、「砂塵嵐から北京を死守せよ!」との大号令をかけ、国家環境保護総局(環境庁に相当)の重点プロジェクトとして「砂塵嵐と黄砂研究プロジェクト」を日中友好環境保全センターに設置し、観測と研究が開始されました。もちろん、西川、杉本両博士も、当時、日中友好環境保全センターに派遣されていたJICAの専門家とともに、このプロジェクトを全面的に支援することになりました。


高まる国際的関心と協調

 2002年4月、日中韓3カ国環境大臣会合において、1)研究協力の推進、2)モニタリング能力の強化、3)国際機関との連携強化の必要性が合意され、地球環境ファシリティ(GEF)やアジア開発銀行(ADB)の資金を利用した、国際機関による砂塵嵐の発生メカニズムや対策の研究もスタートしました。また、2004年12月には、黄砂問題に関する日中韓蒙4カ国大臣会合が初めて開催され、4カ国が協調して、今後とも黄砂問題に積極的に取り組んでいくことが確認されました。
 モンゴルと中国は日本に対して、ライダーを中心とした砂塵嵐観測網整備のためのODAによる協力を要請しました。


砂塵嵐との戦いの行方

防砂ベルト地帯の建設

 今、中国各地で砂塵嵐の発生を軽減するための取組みが展開されています。その奮闘は、台風の発生を防ごうとするのと同様、極めて困難な任務です。田畑を森林や草原に戻し、新たに植林ベルトを設け、あるいは生態移民と呼ばれる人口の移動政策が検討され、いくつかの地域では実際に着手されました。
 しかし、自然現象でもある砂塵嵐を根絶することはできません。当面の対策としては、その発生を早めに予知し、被害を軽減するため、モニタリングシステムや早期警報システムを構築して対応していくしか術はないのでしょうか。
 今年も間もなく本格的な砂塵嵐の季節がやってきます。春の風物詩と笑って迎えられる日は、いつになることでしょう。


参考図書

  • 1999.6. 小柳秀明
    シルクロード−砂取物語−1999.4.20.〜4.27.タクラマカン砂漠1,600km砂取縦断の記録− (未発表)
  • 2002.1.25. 中国国家環境保護総局発表資料
    「砂塵嵐と黄砂が北京地区の大気粒子状物質に与える影響の研究」(中国語)
  • 2002.3.20. 人民網(新華社北京2002.3.20.電)
    「研究の結果、北京の最も主要な砂塵暴発生源地区は内蒙古と河北北部と判明」(中国語)
  • 2002.4.12. 光明日報
    「北京の砂塵天気はどうして増えたのか」(中国語)
  • 2002.11.27. 小柳秀明
    「黄砂問題から考える東アジア」シンポジウム資料
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記事:中国・日中友好環境保全センター 首席顧問 小柳秀明(JICA専門家)

小柳秀明 財団法人地球環境戦略研究機関(IGES)北京事務所長
1977年
環境庁(当時)入庁、以来約20年間にわたり環境行政全般に従事
1997年
JICA専門家(シニアアドバイザー)として日中友好環境保全センターに派遣される。
2000年
中国政府から外国人専門家に贈られる最高の賞である国家友誼奨を授与される。
2001年
日本へ帰国、環境省で地下水・地盤環境室長、環境情報室長等歴任
2003年
JICA専門家(環境モデル都市構想推進個別派遣専門家)として再び中国に派遣される。
2004年
JICA日中友好環境保全センタープロジェクトフェーズIIIチーフアドバイザーに異動。
2006年
3月 JICA専門家任期満了に伴い帰国
2006年
4月 財団法人地球環境戦略研究機関(IGES)北京事務所開設準備室長 7月から現職
2010年
3月 中国環境投資連盟等から2009年環境国際協力貢献人物大賞(International Environmental Cooperation-2009 Person of the Year Award) を受賞。

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