一般財団法人 環境イノベーション情報機構

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No.082

Issued: 2005.10.13

スローシティ Citta Slow

目次
ラテンにならって
ローカルアジェンダをスローシティで加速
お互いに学びあう
市民によるイベント
生活の質を考えることから出発
カフェテラスがあるバルトキルヒ市の中心広場の風景

カフェテラスがあるバルトキルヒ市の中心広場の風景

 数人の友人と北イタリアの小さなスキー場に行ったときのことだ。自炊のできる宿に泊まっていたので、食事はほとんど近くの店で買ってきて、自分たちで作って食べた。通りの肉屋に入ると、ソーセージやハムが並んだ売り台の前で地元のおばさんがゆっくりと品定めをしている。
 「これ200グラム、それは500グラムかな、でもこっちはやめてこれにしよう。このハムは知らないね、味見できるかい?」といった具合だ。売り子はニコニコしながらの応対。ようやくやり取りが終わって、さて次は私の番かな、と思うと、清算の途中でおばさんと店員が世間話を始める。2人とも、後ろで待っている客を気にする様子はまったくない。最初はちょっとイライラしたが、2〜3回同じような場面に出くわしていると、慣れてきて、こっちもなんだか楽しくなる。
 これが私の住むドイツだったら、大抵愛想のない売り子が出てきて、「何がほしいんだい?」「豚のひき肉」「何グラム?」「...」と簡潔でスピーディーなやり取りで済んでしまう。「あれかこれか、どっちにしよう...」などと迷っていると、売り手はイラつくし、後ろに並んでいる客からも無言の圧力を感じる。まして日本では、スーパーなどでのパック売りが主体で、そんな応対すらない。

 スペイン・マジョリカ島の下町にある友人宅を訪問したときも、ラテンの国の“人間らしさ”に触れることができた。
 マンションの階段の踊り場や路地で、近所のおばさんたちに出くわす。
 「アントニオ! いつ帰ってきたんだい。ドイツはどうだい」「寒いドイツがいやになって、ちょっとこっちに帰ってきたよ。そうそう、こいつは日本人の友だちで...」と立ち話が始まると、大抵は5分か10分は費やしてしまう。映画がもうすぐ始まるとか、バスの時間に遅れそうだ、と急いでいるときでも同じだ。彼と一緒に下町を歩いていると、こんな“アクシデント”に何回も遭う。計画した時間通りに事が進むことはまずない。
 「ここはスペイン。ドイツ人のように、時間がないからといって途中で話を切り上げることはできないんだよ。そんなこと、ここでは無礼にあたる」。あとで友人が誇らしげに語ってくれた。

ラテンにならって

バルトキルヒ市 位置図

バルトキルヒ市 位置図

 数年前にイタリアで始まった「スローシティ(Slow City またはCitta Slow)」という小都市による小都市のための運動がある。ラテンの国の“豊かさ”を見習おうと、この運動に参加申請し、2002年に仲間入りを果たしたのが、今回紹介する南西ドイツ、バーデン・ヴュルテンベルク州のバルトキルヒ市である。シュバルツバルト(黒い森)の西端にたたずみ、環境首都として有名なフライブルク市から北東約20キロに位置する、人口約2万人の小都市。保養地であるが、製造業も盛んで、歴史的にはオルゴールの生産、宝石磨きで有名だった。現在は、包装・梱包材を生産する工場や、遊園地の遊具製造で有名な国際企業がある。
 「スローシティ」は、同じくイタリア発祥の「スローフード」を拡張した運動といえる。1986年、イタリアのローマで発表されたファーストフードチェーン店の開店計画。観光地であり、市民の憩いの場として愛されるスペイン坂への進出に対して、何千万人ものローマ市民が、“スパゲッティーを食べ”て、抗議デモを行ったのがきっかけとなり、スローフード運動が始まった。現在世界35カ国以上に約7万人の会員を持つ組織へと成長。文字通り「ファーストフード(=味のグローバル化+食べるプロセスの簡略化)」に対抗する運動で、地域で取れた物を地域に昔からある料理方法で調理し、ゆっくりと味わって食べることを人々に呼びかけている。食材と料理の多様性、食べることの楽しみ、食に対する敏感さを取り戻し、大事にすることが目的である。


スローシティー(CittaSlow)のロゴはカタツムリ

スローシティー(CittaSlow)のロゴはカタツムリ

 「スローシティ」は、イタリアの小都市、オルヴィエト市、キアンティ市、ブラ市、ポスティアノ市など、スローフードに力を入れる街が、「質」「多様性」「感性」「楽しみ」といったスローフードの理念をまちづくりにまで広げようと1999年に結成した小都市が発信する率先運動である。グローバリゼーションがもたらす標準化、効率化によって失われている街の個性や固有の文化、生活のリズムを守る、または再び呼び起こす、という考えがこの運動の根本にある。参加できるのは、人口5万人以下の街で、登録後に「スローシティ憲章」に則ったまちづくりを自らに義務付ける。スローシティの度合いを測るための評価基準も設置され、環境保全のほか、市民の意識や観光、景観など多岐にわたる。現在イタリアをはじめ、スイス、クロアチア、ドイツなどから約100の自治体が会に加盟しており、他のヨーロッパの国々、アメリカ合衆国、日本などからも参加の問い合わせがあるという。

スローシティの評価基準:

  • 環境保全
  • 市民に便利な街のインフラ
  • 都市計画
  • 地域産物の利用流通促進
  • 観光・保養客へのもてなし
  • 市民の意識
  • 景観の質 など

ローカルアジェンダをスローシティで加速

 バルトキルヒ市は、フランケン地方のヘルスブルック市(Hersbruck)に次いで、ドイツで2番目にスローシティとして登録された都市である。エコショップを経営しながら、ボランティアでバルトキルヒ市のスローシティ委員会代表を務めるシュタインハルト氏(Steinhart)は、「ここ数年、市が行ってきた市民参加型のまち興しのプロセス、そこでできあがったまちづくりの理念がスローシティの理念やコンセプトと合致する部分が多かった」と、同市がスローシティ参加を決めた理由について説明してくれた。
 バルトキルヒ市は、1995年にバーデン・ヴュルテンベルク州のエコモデル都市に選ばれている。1997年には連邦政府の「環境にやさしいツーリズム」コンテストの2つの部門で賞を受けるなど、環境に配慮したまちづくりで定評がある。さらなる発展を遂げるために、1998年、市長ライブリンガー氏(Leiblinger)の呼びかけのもと、市民参加による「バルトキルヒの将来の理想像(ビジョン)づくり」の作業が開始された。参加した市民は、「住居」「仕事」「交通」「環境」「社会福祉」など7つのワーキンググループに分かれて、バルトキルヒ市の将来像について語り合った。
 行政はなぜ、このような時間がかかる面倒なプロセスを実行したのか? 都市計画局長のクルセ氏(Kulse)は、2つの理由を挙げている。一つは、まちづくりは市民の幸福のためにあり、それは市民自らが積極的に関わることによって達成されるということ。もう一つは、将来のビジョンは「灯台」のようなもので、市民に進むべき方向を示す。みんながこれを共有して初めて個別のまちづくりの議論が実りあるものとなる、ということである。
 市民参加のプロセスは、「自分たちはどこから来たのか」という問いかけから始まった。将来のビジョンを描くため、まずは自分たちの過去の歴史、文化を見つめる必要があるとの認識に基づくものだ。7つのワーキンググループに分かれて2年間行われた議論によって、歴史的、文化的土台にしっかりと立ったバルトキルヒ市の将来像が描かれた。グローバル社会という海の上に浮かぶバルトキルヒという船が、灯台の明かりを見つけたのだ。
 今度は、目標めがけて進むための舵取りが必要になる。理想像に近づくための街づくりの各プロジェクトである。これも次の2年間で市民がさまざまなアイデアを出し合った。イスラムやユダヤの文化を学ぶイベント、学校からごみをなくす運動、市民が担う公共交通の広報などが挙げられる。
 このプロセスの最中に、ある市議会議員が「イタリアでスローシティという運動がある」と提案した。これまでバルトキルヒが行ってきたことと重なる部分が多い。自分たちの文化や歴史、地域の独自性に焦点をあててまちづくりを行うという点がよく似ている。すぐに参加が決まった。バルトキルヒ市スローシティ委員会代表のシュタインハルト氏は、「盛り上がってきたローカルアジェンダをさらに加速させるために適していたのがスローシティだった。加盟してから新しい市民グループも登場し、様々な団体がいろんなところで街のために活発に活動するようになった」とその効果に満足している。

スローシティ委員会代表のシュタインハルト氏

スローシティ委員会代表のシュタインハルト氏

バルトキルヒ市がスローシティ協会から登録証を授与されたときの風景。一番左がシュタインハルト氏、左から2番目が市長のライブリンガー氏(バルトキルヒ市提供)

バルトキルヒ市がスローシティ協会から登録証を授与されたときの風景。一番左がシュタインハルト氏、左から2番目が市長のライブリンガー氏(バルトキルヒ市提供)


お互いに学びあう

自家製リキュールを売る地元の農家の屋台

自家製リキュールを売る地元の農家の屋台

 バルトキルヒ市がスローシティに加盟したことで、イタリアから新しく学んだものは何だろう? シュタインハルト氏は、「街の商店やレストランなどの密な協力関係ができたこと」と明快に答える。
 イタリアでは、街の中で商売する各店舗が、店に並べる商品や客に提供する料理のメニューを前もって話し合うことで互いに「棲み分け」たり、地域産の食材や商品を共同で仕入れたり、またイベントを開催するなど、活発な活動がある。これにより、各店舗が生き残ることができ、街の中心部に活気が生まれる。
 一方、ドイツでは独立独歩の気風が強く、協力関係を結ぶところまでなかなかいかないという。ただ、店舗ごとの営業努力や顧客呼び込みの取り組みでは、郊外のディスカウントスーパーや大型デパートなどには太刀打ちできない。結果、都市中心部の商店街は寂れていく。
 ここ10数年の間、特に田舎の小都市で起こっているこうした現象と同じ途をたどりつつあったバルトキルヒ市で、エコショップを経営するシュタインハルト氏が立ち上がった。約30年前からあった「広報共同体」という商店街の組織の仲間を中心に、イタリアに見習った広報戦略に力を注いだ。消費者に対して市内の各商店が共同で宣伝を行い、子ども祭りや芸術祭などのイベントを支援する。個々の商店でなく、中心街そのものを売り出してイメージアップを図り、お互いの利益を上げようという、長期的な視点に立ったマーケティング戦略である。現在、商店、職人、飲食業者など約80の会社がこの組織で一緒に活動している。
 食に対するこだわり、地産地消に関しても、ドイツはイタリアに学ぶことが多い。バルトキルヒの広報共同体は、レストランでの地元食材の利用も促進している。メニューには食材の生産地(生産者)を表示することも検討中だ。
 「ただ環境保護に関して言えば、特にごみの分別など、逆にイタリアがドイツからたくさん学べることも少なくない」とシュタインハルト氏は言う。スローシティ運動は、グローバル化を批判し拒否しているようにも見れるが、その一方で、グローバル社会のいい面を利用して、様々な街がお互いに学びあうこと、外に対して大きく目を開き、他の街と意見や情報、経験を交換しながら、それを自分のまちづくりに取り入れていくことも促進している。地域特性や独自の文化、伝統的なライフスタイルと、一方でグローバル社会がもたらすスピード、効率、標準化をいかにバランスよく融合させたまちづくりを行うかが、スローシティ運動の求めるところである。


市民によるイベント

路上に縦一列に並べられた机

路上に縦一列に並べられた机

 9月25日、日曜日にバルトキルヒの中心街で食に関するイベントが催された。主催したのは「生活の質を身近で(Lebensqualität durch Nähe)」という市民団体。バルトキルヒ市のスローシティ加盟をきっかけに、数名の有志市民が市のバックアップを得て結成したチームである。いろいろな市民グループから湧き上がってきた様々なプロジェクトをコーディネートする組織で、行政と市民の間に立って調整役を担っている。
 市の中心部の約300メートルの道路を歩行者天国にし、その道の真ん中に、縦一列に机が並べられ、赤いテーブルクロスが掛けられている。ドイツの祭りではなかなか見られないそのセンスのよさは、イタリアにも負けず劣らすである。机の両脇は一般客の通路になっており、その外側に、仮設テントが建てられ、地元のレストランが料理を出している。ドイツの祭りで一般的なのは、ソーセージとビールの屋台だが、本格的なレストランによるきちんとした料理である。中心広場では、地元の農家や農業団体が屋台を出し、訪れる市民や観光客に地元農産物をアピールしている。秋晴れの天気も幸いして、お昼時には400席ほどのテーブルはほぼ満杯。地元のミュージシャンの路上演奏なども入り、雰囲気を盛り上げた。
 イベントの中心メンバーとして、朝の6時から準備を行ったというシュタインハルト氏も、客の入りに満足そうだった。「生活の質を身近で」グループのメンバーとその友人や仲間が、イベントのアイデア出しからプランづくり、実行まですべてを無償で担い(総計約1800時間)、市は設備費用として5000ユーロ(約70万円)を捻出してバックアップした。経費で足りない部分はレストラン業者などが一部負担したという。
 数日後、シュタインハルト氏に「大変だったでしょう。疲れは取れましたか」とメールを出すと、「イベントは大成功だったし、疲れなんてないよ。夜の10時からみんなでワインを飲みながら、次のイベントの企画打合せもしたくらいさ」と返事が返ってきた。


お祭りで演奏するじもとミュージシャン

お祭りで演奏するじもとミュージシャン

1日だけの路上レストランの入り口では2人のコックが出迎

1日だけの路上レストランの入り口では2人のコックが出迎


生活の質を考えることから出発

かぼちゃを売る地元農家の屋台

かぼちゃを売る地元農家の屋台

 スローシティ運動は、特別に新しいものではない。ローカルアジェンダの名称を変えたものとも言える。世界各国で行われている持続可能な地域づくりという枠のなかの一運動と捉えてもいい。ただ特筆すべきものが一つある。それは、この運動が、一人一人の生活の豊かさを考えることから始まっている、という点である。
 豊かであるために必要なもの──。まず家の近く、歩いていける場所に生活必需品を手に入れることのできる店があること。車を持たない人やお年寄りの生活を支えてくれる。路地や広場、カフェテラスがあれば、近所の人や友人と街中で会話できる。街の近くにきれいな水が流れる川やたくさんの植物が生える野原があれば、散歩するのに気持ちがよい。老人たちが集える場所、若者が集まれる場所、子どもが遊べる場所も重要だ。農家の直売市場があれば、地域でとれた新鮮な野菜や果物が手に入る。小さな肉屋があって顔見知りになれば、肉の種類、生産者のこと、いろいろなことが聞ける。楽しくて、安心して買い物のできる生活だ。コンサート、劇、工芸市など、文化イベントがたくさんあれば、余暇の楽しみも増える。特に地域の文化に市民が触れる機会が多ければ、地域に対するアイデンティティが芽生える。
 こう考えていくと、おのずと環境、農業、中心市街地、福祉、文化などの施策に行き着く。このプロセスを市民のイニシアチブでやって、足りない部分を行政が手助けするのが、スローシティ運動だ。結果だけみると、他で行われているローカルアジェンダと同じかもしれないが、スタートがシンプルでわかりやすいところが目新しい。
 議論好きな人が多いドイツでは特に、市民参加による事業では、問題解決にターゲットを設定することが多い。代表的なものとして、原子力発電反対運動、車による大気汚染に抗議する運動などが挙げられる。問題を見つけて分析し、議論をしながらその解決策を探っていく。よく行われるプロセスだ。言い換えれば、ネガティブなものから出発している。その結果、参加者は、よほどその問題に関心を寄せる人か、根気強い人に限られる。
 これに対してスローシティは、「生活の豊かさ」という、ポジティブでみんなが共感できるものから出発する。よりたくさんの市民をまちづくり事業に取り込んでいくのに最適な「道具」だといえる。シュタインハルト氏が「盛り上がってきたローカルアジェンダをさらに加速させるために適していたのがスローシティだった」と言っているのはこの意味においてである。この点でスローシティは大きな可能性を含んでいる。
 「スロー」とは、ここでは、「注意深い」「心地よい」「豊か」という言葉に訳すのが適切だ。グローバリゼーションのもとで効率化され、スタンダード化されている私たちの生活や身の回りの環境を注意深く観察し、見直し、そして地域の文化や伝統的なライフスタイルのなかに隠れている「心地よさ」「豊かさ」をみんなで探し出そう。スローシティ運動は、私たちに貴重なメッセージを投げかけている。


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(記事:池田憲昭)

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