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アメリカ横断ボランティア紀行

Issued: 2006.01.31

導入編

目次
はじめに
アメリカでのボランティア
ボランティアという名の公園スタッフ
国立公園での仕事
アメリカでのボランティア生活を体験して
マンモスケイブ国立公園の入り口看板にて

マンモスケイブ国立公園の入り口看板にて

 日本の“レンジャー”が体験したアメリカの国立公園での長期滞在ボランティア。それは、日本の“ボランティア”観を覆す衝撃的な体験だった──。
 アメリカ合衆国(以下「アメリカ」)におけるボランティアへの社会的な認知度は高く、またボランティア自身もプライドを持って、明るく楽しく活動している。豊かなアメリカとはいえ、ボランティアの貢献なしでは連邦政府の現地業務は回りません。ボランティアは無給のスタッフとして行政組織の重要な一翼を担っているのです。主体的で明るく楽しく、いわば、直接民主主義の発露として社会に関わっているボランティア。アメリカ国民の誇りともいえる国立公園で働くパーク・ボランティアは、その典型といえます。
 本シリーズでは、アメリカの国立公園で長期滞在のパーク・ボランティアとして公園管理の表裏を実際に体験してきた環境省職員の鈴木さんに、さまざまなエピソードをご紹介していただきます。併せて、アメリカ各地の国立公園の魅力とそれぞれの公園の抱える問題などについても言及いただく予定。本編は、その導入としてお送りするものです。


はじめに

 はじめまして。環境省に勤めております鈴木と申します。2003年3月末より2年間、アメリカに滞在し、国立公園局と魚類野生生物局で研修してまいりました。
 当初は、アメリカの大学院に留学→論文を執筆→修士取得、さらに少しは英語もうまくなって「凱旋帰国!」という予定でしたが、仕事の都合で大学院入学のタイミングを逸してしまい、結果として、ある小さな国立公園のボランティアとして研修を開始することとなったわけです。その上、ボランティア用宿舎(ボランティア・ハウス)に滞在することになったため、妻もボランティアとして働くことになりました。妻は数学科出身で大の虫嫌い。そのため、フィールドワーク中心の仕事にはあまり向いていなかったのですが、この「夫婦でのボランティア活動」が思わぬ効果をもたらすことになりました。


【米国内研修地 位置図】

【米国内研修地 位置図】


(参考)2年間の研修スケジュール(地図参照)

  • 2003年3月29日:日本発
  • 2003年3月31日:マンモスケイブ国立公園(ケンタッキー州)において実務研修開始
  • 2003年12月29日(〜翌年1月18日):ケンタッキー州からカリフォルニア州へ移動
  • 2004年1月19日:レッドウッド国立州立公園(カリフォルニア州)において実務研修開始
  • 2004年10月13日(〜11月8日)カリフォルニア州からワシントンDCへ移動
  • 2004年11月12日より、魚類野生生物局国際課(ワシントンDC)において実務研修開始
  • 2005年3月28日:帰国

アメリカでのボランティア

 2003年3月31日、マンモスケイブ国立公園に到着し、簡単な契約書にサインして、帽子を1つずつもらいました。これが、私たちのボランティア生活の始まりでした。契約書は2枚用意してあって、私ばかりでなく妻もボランティアをすることになっていたことを、その時になって初めて知りました。

 国立公園のボランティアは「VIP」(Volunteer-in Parksの略)と呼ばれていて、何だかカッコイイ感じがします。たまたま入手した古い国立公園局の資料でも、「ボランティアは質の高い公園のサポーター。コスト削減にも大きな効果」などと大々的にボランティア・プログラムを持ち上げていました。
 また、公園職員に連れられて中古車屋に行ったときのことでした。車社会のアメリカでは中古車の人気も高く、中古車屋といえば、法外な値段をふっかけてくることで有名です。私たちを連れて行ってくれた国立公園の職員が、「彼らはわざわざ日本から国立公園のボランティアに来てくれたんだ」と説明すると、売り場の隅に置かれていたお手頃な中古車を売ってくれました。もちろん、人気の高い日本車ではなくて、故障の多いことで有名なアメ車ではありましたが、とにかくこの車は、2年の間、私たちをアメリカの各地に運んでくれたのです。
 その他にも、折に触れてボランティアに対する一般市民からの高い評価を感じる機会がありました。今後、具体的なエピソードをご紹介していきたいと思います。


ボランティアに提供されるユニフォームと身分証明

ボランティアに提供されるユニフォームと身分証明

 アメリカの国立公園では、長期ボランティアに対して無償の宿舎とユニフォームが貸与されます。ボランティアに対する表彰や食事会もありますし、業務中の怪我などに対する国の保険も適用されます。ボランティアは公園のスタッフであるとともに、国立公園のいわば「ファミリー」としても認知され、他の公園を訪問した際などにも暖かく迎えられることも多い。各地の公園でインタビューを行った際にも、国立公園でボランティアをしていると伝えると、途端にすっかりうち解けた雰囲気になることも珍しくはありませんでした。


ボランティアという名の公園スタッフ

ボランティア学生の送別会(ボランティア・ハウスにて)。張り紙は1人ずつ習字で書いてもらったものです。とび入りが3人いたため、おかしな日本語になってしまいました。

ボランティア学生の送別会(ボランティア・ハウスにて)。張り紙は1人ずつ習字で書いてもらったものです。とび入りが3人いたため、おかしな日本語になってしまいました。

 渡米当初は、「ボランティアだから」という甘えがあったのも正直なところですが、ボランティアに求められる責任は予想以上に重いことがわかりました。無給とはいえ、勤務時間管理などもしっかりしており、ボランティアも公園側も真剣です。その意味で、長期のボランティアは「ボランティア」というより、むしろ「無給の公園職員」といった方が正確なニュアンスが伝わる感じがします。実際、無給の公園スタッフは、研修生であれ、共同研究の関係で働いている大学生であれ、国立公園の組織の中ではすべて同じ「Volunteer(ボランティア)」と呼ばれます。外国からの研修生もやはり、ボランティアとして扱われます【1】
 ボランティア・ハウスの同居人は通常2〜3人です。各地の公園でボランティアをしてまわっている人、同じ公園に毎年来ている人、大学の実務研修の一環で参加している大学生など、それぞれ個性豊かな人たちばかりです。大学生といっても、業務中のインタープリテーションなどは堂々としたもので驚かされます。反面、夜にはへべれけに酔っ払って、幼いところもある一介の学生という一面も見せます。いずれのボランティアもしっかりとした審査を通ってきている人ばかりなので、比較的まともな類の人たちであることは確かです(が、もちろん一部例外もあります)。


国立公園での仕事

レッドウッドの伐採跡地での二次林調査

レッドウッドの伐採跡地での二次林調査

 日本で国立公園のボランティアというと、ゴミ拾い、見回り、自然解説、ビジターセンターでの利用者応対などが多いようですが、アメリカの国立公園では、事務補助からメンテナンス、建設事業まで、職員がやる仕事なら、法執行(取締り)以外、たいがいの仕事がボランティアにも開放されています。
 その中でも、私が担当した「資源管理(resource management)」という仕事はとても面白い部署でした。公園内の文化遺産、もしくは自然の要素を公園のもつ「資源」としてとらえ、インベントリー(目録、または一覧表のようなもの)を作成し、モニタリングを行います。モニタリングの結果、移入種が確認されたり、その他の異常が確認された場合には対策を講じることになります。
 言葉がうまく話せない私たちには、自然解説(インタープリテーション)などできるはずもなく、かといって毎日毎日ゴミ拾いばかりでは研修になりません。高度なコミュニケーション能力が不要で、野外での調査や管理作業が中心のこの業務は、まさにうってつけの仕事でした。もともとこんな仕事を志望して役所に入った私としては、期せずしてアメリカでこの仕事に携わることができ、大変充実した毎日を送ることができました【2】
 さらに、「資源管理」という業務が、ボランティア制度を支える重要な役割を持っているということもわかりました。公園側としては、平日など一般の利用者が少ない時にはビジターサービス関係の仕事量は少なく、それだけでは長期のボランティアを有効に活用することができません。また、自然解説活動はパブリックスピーキングの技術を習得し、プログラムを担当できるようになるまでに、1〜3週間程度の研修が必要です。大勢の前で話すのが苦手だったり、参加期間の制約があったりすると、参加は困難です。その点、資源管理という仕事は、年齢、期間、人数などを問わず、また言葉を含め特別な技能は求められません。私のような外国人や高齢者を受け入れることも可能です。また、生物学、考古学などを専攻する学生には絶好の実務研修の機会となります。
 前述のビジターサービス要員の余剰定員を平日のみ受け入れるのはもちろん、2〜3日間の短期間の参加や、学校や企業から大人数が参加するケースなど、様々な形態のボランティアニーズに対応することもできます。
 さらに、近年のIT技術の発達によって、ボランティアが切れ切れに取得したデータや作業の進捗をGIS上に記録することができ、データの共有化、管理がかなり容易になってきています。公園の中には、そうしたボランティアのコーディネートや、GISデータの管理などにボランティアを活用しているところもあります。
 なお、資源管理業務では、米国人に比べて多少几帳面な日本人が、結構重宝してもらえることを強調しておきたいと思います。暗算ができる上、ビル・ゲイツ氏のおかげで(?)一通りパソコンも使えるので、言葉があまり話せない割りに、一人前の仕事ができるものです。


アメリカでのボランティア生活を体験して

 つい2〜3日前まで霞ヶ関で働いていた役人が、いきなりボランティアとして働くことになったわけで、何となく気の抜けた、見放されたような気分になったというのが正直なところでした。ところが、働いているうちにアメリカのボランティアの待遇がなかなかいいということもわかってきました。何よりも、公園の管理の中で役に立っている、役割を期待されているという充実感がありました。
 帰国して約10ヶ月、毎日の仕事に忙殺されながら暮らしていると、アメリカにいたことすら信じられない気持ちになります。そのような中、幸運にもこの機会を得て、拙文を書かせていただくことになりました。役所の偉大なる先輩でいらっしゃるH教授の連載(H教授の環境行政時評【3】)が好評ということも理由の一つのようです。
 そのH教授のお話の中で、お伝えしたいと思っていたメッセージが取り上げられていました【4】


(該当部分:下線は筆者)

H教授

H教授─...アクティブ・レンジャー制度がスタートしたことだし、現地に配属されたアクティブ・レンジャーが取りまとめ役、つまり、NGOやボランティアのコーディネーターになって、スキルのあるパークボランティアやNGOと、スキルはないけど熱意だけはある学生ボランティアをうまく組み合わせて使ってほしいねえ。(中略)


Aさん

Aさん―ま、ワタシも一所懸命、海岸のごみ拾いやトイレ掃除をしたおかげで、自分のごみだけは確実に持ち帰るようになりました。

H教授―うん、それが一番の教育的効果だし、そういう体験をさせてもらった機関のシンパつくりにもなると思うよ。
阪神淡路大震災や昨年の水害・地震のときもそうだったけど、ボランティアのポテンシャルは随分あるんだ。日本の財政はもうどうしようもないところまで来ているんだけど、一方では行政ニーズは膨れあがるばかり。
その解決のキーになるのがNGOやボランティアとの連携だと思うなあ。


(→H教授の環境行政時評 第32講「経験的ボランティア考」より)

星条旗(レーガン元大統領の死去に弔意を示すため半旗となっていた)

星条旗(レーガン元大統領の死去に弔意を示すため半旗となっていた)

 豊かなアメリカ合衆国とはいえ、国立公園をはじめとする連邦政府の現場管理業務は、もはやボランティアなしではまわらないのが現状です。そのため連邦政府もボランティアの獲得に必死。一方、市民も自分の応援したい行政分野には積極的にボランティアとして貢献しているようです。
 日米とも予算、定員の削減の流れは止められません。その中で、国立公園に限らず、アメリカにおけるボランティアの活躍には目を見張るものがあります。国立公園局の広報パンフレットによると、年間のボランティアによる貢献はのべ400万時間以上、職員数に換算して2,000人以上ということです。国立公園局の職員は約20,000人強【5】ですので、その約1割にも相当するわけです。
 市民のボランティアとしての貢献が、連邦政府やその他の組織の活動に対する「賛成票」としての役割を持ち、ある種の「直接民主主義」のような側面を持っていると、私は勝手に考えています。こうした選挙以外の「民主主義」が、「自由の国アメリカ」を支えているのではないかと感じました。

 余談ですが、アメリカの大金持ちは、特定の組織に巨額の寄付をしたり、さらには自ら公益目的の基金を作ってしまうことも珍しいことではありません。これらが富豪のやり方だとすると、ボランティア活動はさながら“市民でもできる”もしくは“身体を張った”参加方法ではないかと思います。いずれにしても、税金を納めるかわりに、自分の気に入った組織や活動に直接貢献しようとする市民の姿勢こそが、アメリカの「自由」の基本といえるのではないかと思います。

アメリカンチェスナッツ(かつてアメリカ東部から南東部一帯に分布していたクリの木の一種)の再導入プロジェクトで。この日は国立公園局職員1名に対し、職業訓練校の学生4名、学生インターン1名、国際ボランティア研修生として私たちが2名参加。

 日本の役所やNGOも、こうしたボランティアの活用をもっと真剣に考えていくべきではないかと思います。それも、単なる業務支援という意味だけではなく、市民が自らの発意や意志により公園の運営に参画することを通じて、公園の直面している課題を共有し、現場の様子を知る機会を提供する。それが結果として国立公園のサポーターのすそ野を広げていくことにもつながります。そのためには、魅力あるプログラムの提供、ボランティア・ハウスやユニフォームの無償貸与、ボランティア・コーディネーターの設置など、参加者の負担を軽減するような受入態勢が必要であることはいうまでもありません。もちろん、参加者はそれなりの義務を受け入れる責任も生じます。
 日本でボランティアをする場合、特定のサークルやグループなどに所属して、会計管理や計画立案、メンバーへの連絡係なども持ち回りでやらなければならないことが多い。そんな雑務も楽しいものではありますが、たまにはそうした煩わしさを離れ、好きな時に好きな作業に没頭したいと思うこともあります。低成長、高齢化社会に入り、もっとゆったりと、自分のペースで社会貢献をする機会がほしい、という人も増えてきているのではないでしょうか。アメリカ型のボランティアは、そのよいお手本になるのではないかと思います。本シリーズでは、私たちの経験したボランティア生活をお伝えしていきたいと考えております。個人的な話題が多くなってしまうかも知れませんが、ご容赦の上おつきあいいただければ幸いです。


【1】国立公園における外国からの研修生
正確にはIVIP:International Volunteer-in-Parks(国際公園ボランティア)と呼ばれ、途上国のパークレンジャーなどが研修生として勤務しています。
【2】充実した毎日
プロフィール参照。なお、私にとっては充実した毎日だった反面、虫の苦手な妻にとっては苦労の絶えないボランティア作業でもあったようです。
【3】H教授の連載
H教授の環境行政時評
【4】H教授の環境行政時評
第32講「経験的ボランティア考」
【5】日米の国立公園の職員数の比較
アメリカの国立公園の職員数は約2万人。それに対し、日本のいわゆる国立公園レンジャーは約240人。日本の国立公園でレンジャーに出会うことがほとんどないということもご理解いただけるでしょう。

<妻の一言>

 はじめまして。鈴木の妻です。主人に同行して、約2年間、パーク・ボランティアを体験してきました。
 結婚当時、まだ学生だった私は、卒業と同時にアメリカへ渡り、みんなの羨むような海外新婚生活を送る予定でした。ところがフタを開けてみればボランティアとして力仕事の毎日。もともと虫を除けば自然も比較的好きなたちです。体育会系出身で体力にも自信がありました。それでも、年間300日近く、本格的な登山靴を履いて森の中を歩き回る業務は想像以上にハードでした。
 一方、ボランティア・ハウスでの快適生活をはじめ、家の前には野生の七面鳥やシカが現れ、ゴミを捨てるために外に出ればクマに遭遇、休日ともなればカヌーを浮かべての釣りと、アメリカ国立公園内での生活は日本では決して味わえない素晴らしいものでした。私は環境行政、自然科学などの知識もほとんどありませんので、専門的なことは主人に任せることにして、国立公園内での生活の面などをお伝えできればと思っております。


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(記事・写真:鈴木 渉)

※掲載記事の内容や意見等はすべて執筆者個人に属し、EICネットまたは一般財団法人環境イノベーション情報機構の公式見解を示すものではありません。

〜著者プロフィール〜

鈴木 渉
  • 1994年環境庁(当時)に採用され、中部山岳国立公園管理事務所(当時)に配属される。
  • 許認可申請書の山と格闘する毎日に、自分勝手に描いていた「野山を駆け回り、国立公園の自然を守る」レンジャー生活とのギャップを実感。
  • 事務所での勤務態度に問題があったためか以降なかなか現場に出してもらえない「おちこぼれレンジャー」。
  • 2年後地球環境関係部署へ異動し、森林保全、砂漠化対策を担当。
  • 1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約COP3(地球温暖化防止京都会議)に参加(ただし雑用係)。
  • 国際会議のダイナミックな雰囲気に圧倒され、これをきっかけに海外研修を志望。
  • 公園緑地業務(出向)、自然公園での公共事業、遺伝子組換え生物関係の業務などに従事した後、2003年3月より2年間、JICAの海外長期研修員制度によりアメリカ合衆国の国立公園局及び魚類野生生物局で実務研修
  • 帰国後は外来生物法の施行や、第3次生物多様性国家戦略の策定、生物多様性条約COP10の開催と生物多様性の広報、民間参画などに携わる。
  • その間、仙台にある東北地方環境事務所に異動し、久しぶりに国立公園の保全整備に従事するも1年間で本省に出戻り。
  • その後11か月間の生物多様性センター勤務を経て国連大学高等研究所に出向。
  • 現在は同研究所内にあるSATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ事務局に勤務。週末、埼玉県内の里山で畑作ボランティアに参加することが楽しみ。