一般財団法人 環境イノベーション情報機構

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No.093

Issued: 2006.04.06

モミの木ホール─在来樹種で地域の文化を守る─

目次
モミの木の特性と、黒い森地方のモミ林
モミを使ってモミを増やそう
伝統的な大工の技術
馬の飼育は酪農家を助け、景観を守る
広がりのある事業
サンクト・メルゲン村

サンクト・メルゲン村

 ドイツ南西部のシュバルツバルト(黒い森)地方にサンクト・メルゲンという人口1,900人あまりの小さな村がある。標高900mの台地の上にあり、足腰の強い農耕馬の生産で有名だ。この地域で飼われているのはシュバルツベルダー・フックス(黒い森の狐)といい、ドイツはもとより、隣の国スイスやオーストリアでも知られている名馬である。遠くアメリカ大陸にも輸出されている。
 2005年、地域農耕馬の品評会などを行うことを主要な目的に、「モミの木ホール」という縦幅47m、横幅27m、高さ16mの木造の建物がつくられた。地域の人々が、地域の文化や資源を活かす事業を自ら考える、という原則に基づいたEUの地域振興政策「LEADER+」の一環として行われた事業である。
 今回は、このホールづくりの背景や経緯を紹介しながら、「多面的な」地域おこしについて紹介する。

モミの木の特性と、黒い森地方のモミ林

 「モミの木ホール」という名前は、躯体(骨格)部分にモミの木を使っているからである。モミの木は黒い森地方に昔からあった在来の針葉樹で、クリスマスツリーに良く使われる。樹齢300年以上と思われる大木も、数は少ないが一部に残っている。18世紀の産業革命当時に乱伐が行われる以前には、黒い森の大部分は、モミとブナの混交林で覆われていた。全体の比率でいえば、ブナが約60%、モミが20%ほどあった。産業革命で燃料や建設土木に使われる木材の需要が急激に増え、南北に約170km、東西に約70kmの広大な黒い森の80%ほどが禿山になった。その後、将来の木材需要を確保するため、植林令が出されたが、そのときに積極的に植えられたのは、黒い森に自然の状態で3%ほどしかなかった針葉樹のトウヒであった。トウヒの植林は戦後まで続き、現在、全体の約60%を占めるに至っている。これに対してモミは以前の半分、全体の10%にまで減少した。
 ではなぜ自然の状態で優勢だったモミでなく、トウヒが植林されたのか? それにはいくつかの理由がある。
 まず、トウヒはモミにくらべて種(たね)が集めやすい。トウヒの球果(ボックリ)は枝からぶら下がっており、地面に落ちてきた球果を採取すればよい。これに対して、モミは球果が上向きにつき、成熟して球果が開くと風に吹かれて種が飛ぶ。種を集めるためには、球果が開く前に大木に登って採らなければならない。
 またモミの幼樹は、トウヒに比べて鹿が好んで食べる。特に餌が少ない冬場など、たんぱく質が豊富で栄養価が高いモミの葉っぱは格好の餌となる。幼いときに先端の部分を食べられてしまうと、その木はまっすぐに生長できなくなり、用材として使えない。
 モミの幼樹は春先の冷害に弱いという欠点もある。モミは、自然の状態では大木の陰で守られながら更新してきた樹種で、苗木を、雪や寒さから守ってくれるものがない更地に植林すると、ダメージを受けやすい。これに対して、トウヒの幼樹は比較的冷害に強く、一面皆伐して土をならして植林するというやり方に向いている。
 以上のような理由から、産業革命当時、禿山になってしまった黒い森にトウヒが植林されるようになった。しかし、トウヒの単一樹林は様々な問題をはらむ。
 根の張り方が浅いこの樹種は、風害に弱い。1990年と1999年、黒い森を2度の大嵐が襲った。地面にしっかりと根を張らないトウヒがかなりの被害を受けた。また、トウヒの針葉は、地面に落ちてもなかなか腐らず、土壌の栄養価を下げてきた。これに対してモミの木は、根を深く張り、地面を固める効果がある。落葉した針葉もトウヒより腐るスピードが速い。またモミは既に述べた通り更地での植林にはあまり向いていないため、天然更新で育てることになり、場所によってはブナやカエデなどの広葉樹も混ざった林が形成され、森の耐性をさらに高めている。


モミを使ってモミを増やそう

サンクト・メルゲン村のモミ林

サンクト・メルゲン村のモミ林

 ここ20年ほど、ドイツで積極的に推進されているのが近自然的な林業だ。土地に適した樹種を育てる、天然更新で世代交代を図る、樹種の構成を豊かにする、といったもので、自然の力を最大限利用して、物理的にも化学的にも耐性の強い森を作っていこうというものである。近自然的林業の考えに基づき、黒い森地方では、土地に合ったモミの木を増やそうという運動がある。過去200年の間にトウヒに地位を奪われてしまったモミのルネッサンスである。サンクト・メルゲン村のホールにモミの木が使用されたのも、地域の固有樹種に社会の注目を集め、復活を促そうという意図からである。
 しかし、「モミの木を切ってしまったら、逆に減ってしまうのではないだろうか」と疑問を抱く人もいる。総ボリュームとしては、一時的に減ることになる。しかし、抜き取り伐採方式で、母樹となる大木を何本か残しておけば、伐採木が占めていた空間に光が射し込み、母樹が落とした種が芽吹いてくる。また、大きな木の陰で成長が抑えられていた若い木は、光とスペースを得て元気になる。自然の状態であれば、老樹が寿命や自然災害、病気などにより枯れ、倒れて、世代交代が進むが、この過程を人間の手によって少し加速させるわけである。モミの木ホールには約250m3の木材が使用されたが、そのために村にある州有林から、直径60センチ前後のモミの大木が、約200本切り出された。面積にして約2,000m2くらいのスペースが将来の世代のために与えられたことになる。伐ることによって森の更新が促された。


伝統的な大工の技術

大きな屋根が建物をすっぽり覆う古い農家の家

大きな屋根が建物をすっぽり覆う古い農家の家

 モミの木ホールの建設は、黒い森地方で約500年の歴史がある伝統的な木造建築の技術を継承する地元の工務店が請け負った。この地方は比較的雪が多く、標高の高いサンクト・メルゲン村は毎年1m以上の積雪がある。
 昔建てられた周辺の農家の家を見ると、急な角度の大きな屋根が一階の上の部分まですっぽり覆っている。まるで大きなヘルメットをかぶっているようである。もちろんこれは雪が滑り落ちやすくするためである。しかしそれでも屋根の上に50cm以上の雪がかぶさることもある。建物は1m2あたり約400kgの雪の重みに耐える構造でなければならない。昔の大工は、ノコとカンナと金槌だけで、この過酷な気象条件に耐える家を作った。その強度や耐久性は、まだあちらこちらに残っている築200年、300年の古い農家の家が実証している。現代の建築家は、「技術的にまるで奇跡のような家だ」という。


 「モミの木ホール」は、この奇跡のような伝統工法を模範に作られた。雪の重みに耐えられるように、屋根の梁は二重構造になっており、その間に何本もの筋かい(補強材)が斜めに入っている。躯体部分(骨格)は専門の大工が作ったが、壁の貼りつけや内装など簡単な部分は村民のボランティア作業で取り付けた。村長のバルトフォーゲル氏の呼びかけのもと、休みの土日にいくつかの地元のサークルが集まり、和気あいあいと作業が行われた。やはり素人なので、いろんなところで粗が出てしまう。
 村長は、「あの部分は、消防団のグループがやったのですが、内装職人がいて指揮を執ったから板がきれいに並んでいます。でもこちらをやったグループは、みんな素人でしたので板の並びが不規則で隙間が空いています」と苦笑する。なんとも人間くさい。

モミの木ホールの躯体部分

モミの木ホールの躯体部分

ホール建設に活躍する地元の大工

ホール建設に活躍する地元の大工


馬の飼育は酪農家を助け、景観を守る

地域の名馬「黒い森の狐」。屋外の品評会にて

地域の名馬「黒い森の狐」。屋外の品評会にて

 モミの木ホールは、今年の6月にオープンする予定で、スポーツ競技や家畜の販売市場など多目的な利用が考えられている。しかしメインは、地域産の農耕馬「黒い森の狐」の品評会を定期的に開催することだ。品評会はこれまで野外で行われていた。
 「雨や雪が多く、風も強いこの村では、野外のイベントは天候に左右されやすいのです。このような大きな屋内の会場があれば、その問題が解決できます」と村長は言う。「我々の馬を外にアピールするためには、新聞やメディアを使った宣伝だけでなく、たくさんの人を呼び込める大きな施設が必要です」。モミの木ホールは、村にとっての一つのマーケッティング戦略でもある。
 骨太の農耕馬「黒い森の狐」は、現在は農業にはほとんど使われていない。購入していくのは、まったくの趣味で馬を飼っている人か、この馬を観光用の馬車に使う人たち。餌の乏しい寒冷地に適応した品種で、たんぱく質をそれほど必要としない。自動車風に言えば燃費のいい馬なので、買い手に喜ばれる。飼育するのは村の農家であるが、気候条件が厳しく畑作はできないため、ほとんどが乳牛を飼う酪農家である。現在、このあたりの農家は、条件不利地や環境に配慮した農業への補助金など、平均して全収入の半分くらいに相当する助成金を受けているが、それでも農業を維持していくのは厳しい。特に酪農家は、ここ数年牛乳の価格が下がって苦しんでいる。このような状況にあって、馬を飼育して販売することは、農家の貴重な副収入になっている。酪農家を守るということは、この地域の美しい景観を作っている牧草地を維持することにつながる。サンクト・メルゲン村では観光業が重要な経済基盤となっており、観光客は、ホテルや農家民宿に泊まり、牧草地と森が織り成す美しいモザイク景観の中でハイキングやサイクリングにいそしむ。観光業にとってこの景観は重要な資源で、それを維持しているのが農家なのだ。


広がりのある事業

 ホールの建設には総額33万ユーロ(約4千万円)が掛かった。そのうち23万ユーロがEUの地域政策「LEADER+」による助成で、残りの10万ユーロは村が出資した。比較的少ない負担であるといえるが、近年財政状況が厳しいドイツの小さな自治体にとっては大きな決断だったようだ。
 「私を始め多くの地域住民が長い間待ち望んだプロジェクトでした。議会で反対意見もありましたが、なんとか建設に漕ぎ着けられました」と村長のバルトフォーゲル氏は言う。
 実現できたのは、この建物が、地域の名馬のためだけでなく、自然に即した林業を促し、厳しい気候条件の中で培われた地域大工の伝統技術をアピールし、間接的には農耕景観が維持され、それを利用する観光業も支えることになるからで、いろいろな方向に広がりのある事業だからである。EUの「LEADER+」プログラムは、「モミの木ホール」のように地域の人たちが自ら考えた、地域に多面的な効果をもたらすアイデアを優先的に助成している。


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(記事・写真:池田憲昭)

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