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目次
ドンさんインタビュー
政府職員としての心構え
国際的な野生生物取引きに関する問題
絶滅危惧種法
組織を良くするために(メンタリング)
【1】抑制と均衡(checks and balances)
 政治権力が特定部門に集中するのを防ぐために、権力相互間で抑制と均衡を保たせること。また、その原理。
【2】メンタリング
 日本でも「メンター」という言葉がようやく理解されつつある。企業の中には早くからメンター制度を導入し、職員教育に生かしているところもある。役所でも人事院がメンター研修を実施したり、メンター制度を試行的に導入したりする官庁もでてきているが、制度としてはまだまだ検討途上といえる。

No.220

アメリカ横断ボランティア紀行(第36話)
ドンさんインタビュー(2回目)

Issued: 2013.06.10

ドンさんインタビュー(2回目)[1]

ドンさんに招かれて
ドンさんに招かれて。

 私たちがいつものように魚類野生生物局の国際課で作業をしていると、国際課幹部のテイコさんが遊びに来てくれた。
 「今度ドンがクラブケーキをご馳走したいって言っているんだけど、うちに来ない?」
 クラブケーキ(Crab cake)とは、カニのほぐした肉にパン粉や牛乳、卵などをつなぎにして焼くか揚げるかして作るアメリカの伝統料理のこと。またまた魅力的なお誘いだ。
 テイコさんのご主人は、クリントン政権時代の政府高官、元内務次官補のドン・ベイリー氏。当時、国立公園局と魚類野生生物局の両方を監督する立場にあった。前回お招きいただいた際には、内務省からみた両組織の特徴などについてお話を伺った(第33話参照)。今回はどんなお話を伺うことができるだろうか。

ドンさんインタビュー

チェサピーク湾を横断するベイブリッジ。
チェサピーク湾を横断するベイブリッジ。

ドンさんとテイコさん。
ドンさんとテイコさん。

 ドンさんとテイコさんご夫妻は、ワシントンDCの東にあるチェサピーク湾の対岸に別荘を持っている。インターステートの495号線で約1時間と近いが、ワシントンDC近郊とは思えないほど静かでいいところだ。チェサピーク湾はカニをはじめとする海産物で有名で、今回はドンさんお手製のクラブケーキを振舞ってくれるらしい。

 以前チンカティーグ国立野生生物保護区を訪問(第34話)した際にも通った道だ。チェサピーク湾周辺はかなり開発が進んでいるとはいえ、まだまだ広大な森林や農地が残っている。何度来てもアメリカの自然の底力を感じさせられる風景だ。
 「ようこそ。道はすぐにわかったかい?」
 平屋の別荘はそれほど大きくはないが、チェサピーク湾に面して建てられており、景色がいい。広々としたリビングルームからもチェサピーク湾が一望できる。水面までも近く、部屋からもすぐ手が届くようだ。
 まず、別荘の中を案内していただいた。この別荘は中古で、購入してから友人と改修し、様々な工夫を凝らしたという。写真には楽しそうな作業風景が写っている。
 「このキッチンテーブルの石材はかなりしっかりしているだろう? 気に入ったものをいろいろ探したんだ。重くて載せるのも一苦労だったよ」
 壁材なども吟味されている。キッチンには大きな冷蔵庫がある。冷蔵庫にはデカンタに移された赤ワインなどが入っている。大きく新しいが全く生活感のない冷蔵庫は、まさに別荘ならではのものだろう。小型だがワインセラーもある。
 「オードブルをどうぞ」
 以前と同様、手の込んだお手製のオードブルだ。冷えた白ワインはシーフードによく合う。ボランティアハウスでの持ち寄りパーティーとは全く違う本格的なおもてなしだ。妻は、窓から見える夕日に感激した様子で、湾に面した窓辺でテイコさんと楽しそうに談笑している。

政府職員としての心構え

 一対一でお話してみると、ドンさんには独特の迫力がある。温厚で静かな語り口ではあるが、確かな経験に基づく信念のようなものが感じられる。
 今回のお話も予想外の展開となった。研修レポートにそのまま反映するというよりは、レポートそのもののスタンスに影響するようなものになった。今まで越えられなかった多くの壁が実は自分の思い込みからくるものであり、視点を変えるだけで驚くほどシンプルに多くのことがつながってくることを思い知らされた。
 最初の話題は政府職員の心構えともいうべきものだった。
 「政府職員に一般的に当てはまる問題点は『現地に一度も行ったことがなくとも政策を決めることができる』という点にある。当事者にとっては死活問題であっても、実際に会って説明する責任はありません。つまり、事務所に隠れながら自分の持つ権力によって物事を決めることができるわけです。この、政府の有する「匿名性」や「無責任体質」に大きな問題があると考えています」
 日本でも役所にいる限り、自分の名前を出さずに部署名や課長名だけでコミュニケーションをとることができる。また、法律に基づく書面決裁だけで行政的な決定を下すことができる。それによって何が起きるか、どのような不利益が起こるか、個別の事案について把握することは容易ではない。
 「政府職員は人々の生命や生活を預かっているのだから、重要な説明責任を負っているはずです。何か問題が起こったら、実際に会って説明する勇気を持つべきです」
 これは正直なところかなり厳しい話だ。ドンさんももともとは政府職員であり、政府の状況は重々わかっているはずだ。それでもそういうことがいえるところにドンさんの強さと信念が伺われる。
 「特に、政府の要職につく人間の行動が執務室の中だけでものごとを決めるような態度をとり続けると大きな間違いにつながるおそれが高い。日ごろから部下や一般の人々からの声に耳を傾け、率直な議論ができる雰囲気をつくる努力をしなければなりません。私は、公衆の前で恥をかくよりは、内部で部下から反対されることを選びます。そのためには、職員が自分の考えを自由に述べることのできる公平な機会を与えることが重要だと考えています。ブッシュがイラク戦争という大きな過ちを犯したのも、このような態度を持ち合わせていなかったためではないでしょうか? 執務室にこもってしまうことは簡単です。ですが、時には人々が発言するように働きかけることも大切ではないでしょうか」
 ドンさんが内務省にいた時代は、クリントン政権下でいろいろな問題が噴出していた。イエローストーン国立公園におけるスノーモービル規制導入問題もそのひとつだ(第18話参照)。
 「私が内務次官補時代に導入したスノーモービル全面規制は、国立公園のゲートシティーのひとつであるウェストイエローストーンという小さな集落に大きな経済的打撃を与えるものでした。その集落ではスノーモービルのレンタル業が盛んだったため、規制導入に真っ向から反対していました」
 野生生物の越冬環境の改善のための画期的な規制を導入するのか、それとも地元の経済活動を優先するか、この議論は中央政界を巻き込み大きな議論に発展した。
 「私は、地元のスノーモービル関係者に面会を申し入れました。そして時間を4時間とってもらいました。当時、相手方とはかなり緊張が高まっていたため、国立公園局では拳銃を隠し持ったレンジャーを同行させたほどでした。会議の席上、私は何の譲歩もしませんでしたが、とにかくフェアに相手の話を聞き、その問題について、特に、経済的な損失をいかに相殺できるかということを話し合いました」
 ところが、ドンさんはその話し合いから一ヵ月後、職を離れることになってしまう。
 「辞任の前日に、相手のとりまとめ役の人物から次回会合の日程調整のための電話があったのです。辞任することを伝えるととても残念がっていました。相手方は私が彼らの主張を理解してくれるという印象を持ってくれたのでしょう。このような信頼関係が重要だと思います」

 このイエローストーンのスノーモービル問題と同様、問題化していたのが、フロリダ州南部にあるビッグサイプレス国立保護区における四輪駆動車規制問題だ。この保護区では狩猟ができるため、ハンターが移動のために使用する四輪バギー車が植生に大きな影響を与えていた。相手は個人のハンターではない。この問題の背後には、ライフル協会などの巨大な政治力を持つ団体が控えている。民主党政権でなければ手をつけられない難物だった。
 「大きな車輪のついた四輪駆動車が走り回り、植生がめちゃくちゃになっていました。こんなひどい国立公園ユニットをそれまで見たことがありませんでした。ところが国立公園局は公園がそんなひどい状態になるまでなんの対策も講じてこなかったのです。もしくはできなかった。そこで私が乗り入れを規制しようと決断したのです」
 ビッグサイプレスの区域内には私有地が残っており、それがさらに問題を複雑なものにしていた。
 「ハンターグループとは保護区に残る私有地内で面会しました。そこに狩猟キャンプがあったのです。こちらからの条件は、ヘリコプターに乗って一緒に上空から保護区の状況を見ることだけでした。相手は体も大きくライフルも持っていたから、身の危険を感じたのも確かです」
 当初4時間の予定で開始された面会は、結局6時間にも及ぶことになった。
 「相手方は、『こうして直接キャンプまで足を運んでくれた政府職員はあなたが初めてだ』と言ってくれた。会談が始まってみると、地図を持ち出したり、いろいろな資料を準備してくれていたり、こちらに伝えたい情報が山のようにあることがわかりました。その時改めて、こうした面会のために十分時間をとっておくことが重要だと実感させられました」
 自分がこの問題を担当していたら、ドンさんのような行動が取れただろうか。もしくは、上司がこういうことを言い出したら、それを前向きに支えることができるだろうか。
 「関係者や自分の部下の話を聞くことは、信頼関係を構築するための唯一の方法です。時間や手間はかかりますが、組織や責任が大きくなればなるほど、このような努力が必要になると思います」

国際的な野生生物取引きに関する問題

 ドンさんは、ワシントン条約の関係で、国際的な野生生物取引に関する交渉などにも携わってきた。
 「ワシントン条約の外交団の代表を2回務めました。これは大変貴重な経験になりました。アメリカでは、国際交渉に向かう前に、交渉の方針を官報(federal register)に掲載し、関係者からのコメントを募集し反映させます。会議場では、毎日報道陣やNGO、オブザーバーなどに対しブリーフィングを行います。そこでは、アメリカ政府代表団が会議で発言したことを報告します」
 報告に対しては、参加するNGOや報道機関からいろいろな質問や批判がおこなわれるという。
 「私は政府の代表団長として、そうした批判や質問に責任を持って答え、代表団が発言したことの正当性を証明しなければなりません。このような『生きた民主主義(realtime democracy)』が私は好きです。自らが関係者の前で説明責任を果たす、それは古代ギリシャの直接民主主義に通じるものがあるのではないかと思います」
 アメリカとジンバブエの間では、象牙取引の規制について意見が対立していた。
 「アメリカ側はホワイトハウスから『絶対に譲歩するな』という指示を受けていました。こちらが譲歩しなければ相手から譲歩を引き出すことは至難の業です。私は、アフリカゾウの保護を進めるためには、何らかの譲歩をするのもやむを得ない。それよりも具体的な対策を進めるべきだ、という考えを持っていました」
 会議の終盤になっても事態は硬直したままで、交渉が進まない。ドンさんは辞職も覚悟した上で、具体的な譲歩案を用意したという。
 「その案について相手側の信頼できるカウンターパートに内々に打診したのです。その提案は先方がのめるような内容になっていました」
 ところが、カウンターパートはその案を受け入れなかったという。
 「私の打診に対して、『今、その案を受け入れればこの問題は解決できるかもしれません。その代わり、あなたは責任をとって政府を去ることになるでしょう。だとすれば、私は信頼できる交渉官がアメリカ政府内にとどまることを望みます』という答えが返ってきました。これは、私の国際交渉経験の中でも最も印象的だったことの一つでした」
 これもドンさんが築いてきた信頼関係のひとつの例といえるだろう。

 「ご存知のとおり、日米には捕鯨問題について大きな対立があります。私たちにはほとんど妥協点がありませんでした」
 そのような条件下で、粘り強く交渉が重ねられた。
 「交渉はまとまらなかったのですが、日本の交渉官はなかなかの人物でしたよ。仕事を離れればよい友人同士になれると感じました」
 ただ、クジラ問題に関する交渉については問題があるという。
 「ワシントン条約の会議は基本的には公開なのに、クジラに関する会議はなぜか非公開で、かつ匿名投票になっています。このような秘密主義は情報の公開に逆行するばかりか、公平な議論の妨げとなります」

絶滅危惧種法

 「米国には、現在の絶滅危惧種法の前に2つの法律が成立しています。最初の絶滅危惧種保全のための法律は1966年に制定されました(絶滅危惧種保護法(Endangered Species Preservation Act))。ところが、この法律には規制的な条項がなく、かつ対象も国外の種に限られていました」
 (文末資料「アメリカの絶滅危惧種法の制定経緯」を参照
 アメリカでは一般に、国内で規制を行うことは難しいが、国外での規制に関する対策は連邦議会を通りやすいといわれる。
 「海外の規制には、国内の利害関係がほとんど及ばないことがその主な理由になります。そのため、産業界や有権者との不要な摩擦を起こさないですみます」
 つまり、海外に生息する種の保全は、議員が『保全派』であることをアピールすることのできる安心で有効なツールなのだ。
 「また、米国の統治制度の基本は『疑うこと(suspicious)』にあります。抑制と均衡(checks and balances)【1】により、おおむねすべての人にとって『まあまあいいようにみえる(good enough to be)』ような政策決定が行われるようになっています。そのため、議会の仕組みは法律を作ることよりも、提案された法律をとめたりつぶしたりする方がはるかに簡単なようにできているのです」
 その意味でも、多くのロビイストを抱える産業界や他の政府機関に影響するような規制的な法律をつくることはたやすいことではない。
 このような状況の中で2番目の絶滅危惧種法として絶滅危惧種保全法(Endangered Species Conservation Act)が制定されたのは1969年だった。
 「この法律にも規制的な条項はありませんでしたが、土地を管理する連邦政府機関に対する努力規定が盛り込まれました。国立公園局、魚類野生生物局、森林局、国防総省などがその対象となりました。これは、連邦政府議会も、ようやく国内種の保護に問題があり、何らかの対策が必要であるという認識に至ったことを示しています。また、現在の絶滅危惧種法制定に向けた大きな布石となりました」
 対象となった政府機関の多くは管理方針などを変更しなかったため、この法律自体にはそれほど実効性はなかったといわれている。法律の対象も国有地のみに限られていたという点も一因といえる。
 「1973年に現在の絶滅危惧種法が制定されました。この法律は現在の議会では到底成立しないような強力な規定を含んでいます。この法律には、これまでの法律が規定できなかった、連邦政府機関に対する絶滅危惧種の保全義務が盛り込まれました」
 この時期、レイチェルカーソンの著書「沈黙の春」をきっかけとして環境保全運動が大きな盛り上がりを見せていた。ただ、それだけではこうした思い切った規定を盛り込むことは難しい。その成功の鍵とは何だったのだろうか。
 (レイチェルカーソンの功績と1970年代の保全活動について 第31話参照)
 「ミシガン州選出の環境派議員が法律の書き方を工夫したのです。本来の意味がわからないように、規定を『interagency cooperation(政府機関どうしの協力)』という条項にもぐりこませたのです。ほとんどの議員は内容を読みもせずに採択したので、誰もそれに気がつかなかったわけです。その結果、賛成が470票、反対が1票という圧倒的多数で可決されました」
 この法律により、森林局は木材伐採より絶滅危惧種の保護を優先しなければならなくなり、魚類野生生物局は狩猟対象のガンカモ類ばかりでなく、絶滅危惧種の保全にも力を入れなくてはならなくなった。
 「ちなみにこの法律に署名したのは共和党のニクソン大統領でした。ニクソン自身はそれほど環境に関心はなかったのですが、それが人々に大変人気があるということは理解していました。この大統領は、他にも国家環境政策法、大気浄化法などの一連の環境関連法を成立させました。これは共和党出身大統領としてはきわめて異例なことでした」

組織を良くするために(メンタリング)

  「よい組織をつくるには、部下のメンタリングが重要です。上司を変えようとしても難しい。ですが、若い人たちは違います。早い時期に人材を見出して、そして育てること、ここに組織の将来がかかっている。若手を育てることは役職者の役割といえます」
 次の話題は意外にも保護区や国立公園の話題ではなかった。「メンタリング」【2】という単語の意味がわからなかった私は、ドンさんの話題から必死に意味をつかもうとしていた。話を聞くうち、徐々に「(若い人の)育成」というような意味らしいということがわかってきた。
 「後継者を養成するには、まず有能な人物を探し出すことです。そして、その人に『考えること』と『議論すること』を促すことです。自分のアイデアが一見よさそうに見えるのに、なぜうまくいかないのか、それを自分で気づかせることが大切なのです」
 ドンさんは多くの若手職員の教育役を担ってきたという。
 「日常業務は多忙でしたが、それに優る効果がありました。正直で勤勉な人材を見つけ出し、面倒を見て手助けする。そして、成長したところで適切な機会を与えてあげることです。例えば、魚類野生生物局で2人目の女性局長となった職員は、そのいい例だと思います」
 最初の出会いは、その女性職員が絶滅危惧種課の課長だった頃だという。
 「当時の局長は、女性として初めて局長に就任した職員でしたが、残念ながら任期半ばで癌を患い、死亡してしまいます。その女性局長が、当時課長だった彼女に目をかけていて、ガンで職を辞する間際に内務長官へ直訴したのです」
 もともと、魚類野生生物局は女性が出世することが難しいといわれていたが、この女性局長2人はクリントン政権下で大きな役割を果たすことになったという。
 「組織では、どうしても先に採用された職員の方が有利な立場にあります。そのままにしておくと、若手職員はその壁を越えることができません。組織が活発で適切な政策決定をする能力を持つには若手の教育が大前提です。若手を育て、実力のある人物を責任あるポストに抜擢することはなかなか難しいことですが、結果として組織の政策達成能力を向上させることにつながるのです」

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