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環境さんぽ道

様々な分野でご活躍されている方々の環境にまつわるエッセイコーナーです。
4人のエッセイスト(枝廣淳子、小林和男、古今亭志ん彌、三村伸絵ん)が1年間、毎月交替して登場します。

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環境さんぽ道

様々な分野でご活躍されている方々の環境にまつわるエッセイをご紹介するコーナーです。

No.032

Issued: 2014.08.08

山小屋トイレが結んだ友情

小林 和男(こばやし かずお)さん

小林 和男(こばやし かずお)さん
 1940年長野県生まれ。NHKモスクワ支局長、ウィーン特派員など海外駐在14年。
 92年ソ連崩壊の報道で菊池寛賞。ロシア文化への貢献でロシア政府プーシキン勲章。現在ジャーナリスト、サイトウ・キネン財団評議員。
 著書に「エルミタージュの緞帳」(日本エッセイストクラブ賞)「1プードの塩〜ロシアで出会った人々〜」「白兎で知るロシア」など。

手つかずの自然の中の水洗トイレ

 70年をはるかに越えて生きて来たが、一つだけ本当に良いことをしたなと誇りに思っていることがある。NHKの特派員として14年間の海外で勤務を終えて帰国したとき不思議な仕事の依頼を受けた。乗鞍の西斜面に広がる丹生川村(にゅうかわむら)の相談に乗って欲しいという。当時は村だったが今は高山市丹生川地区となっているところだ。
 依頼の主旨はこうだ。丹生川村には乗鞍の西斜面に一般の人の入山が許されない三千ヘクタールの森林原野「五色が原」がある。手つかずの自然が残り、さまざまな滝があり、池がある貴重な村の財産を、一般の人々にも開放しようということになり、どうやったら自然を守りながら一般の人々に利用してもらえるか思案中だという。はてな?私のやって来たことはロシアを中心にドロドロした政治の争いや、国際間の対立などで、自然をどう利用するかなどということには全く関係ない。依頼の仲介をした友人は「世界を知っている小林こそ最適」と言う。こういうおだてに乗り易いのが我ながら私の弱点だ。すっかり乗せられて生まれて初めて丹生川村に赴いた。

五色が原から望む乗鞍
五色が原から望む乗鞍

布引の滝
布引の滝


トイレを見に行こう!

 村の人たちの自然を愛する気持ちにのっけっから圧倒された。発案者の村長以下村のリーダーたちに加えて、森林保護で有名な大学の先生も参加して、自然を破壊せずに人々に楽しんでもらう方法をあれこれと熱心に議論していた。
 樹木や植物の保護については専門家の先生の提案で入山は許可制にして一日の入山者を300名に制限し、有料としてガイドと一緒に行動することで議論はまとまった。問題は人間の生理的な問題である。自然保護の先生は一日300人だけだから汲取式のトイレで良いのではないかと言う。私が役に立ったのはそのときだ。
 私は仕事も好きだが、同じくらい遊ぶことも好きだ。中でもアルペンスキーは家族で楽しむ趣味だ、時間を見つけては色々な所に出かけたがヨーロッパアルプス、とりわけモンブランの麓のシャモニーは好きだ。気に入ったのは快適なのはスキー場が広く変化に富んでダイナミックだというだけではない。山奥のスキー場の小さな山小屋でも美味しい料理が食べられ、くつろぎながら飲むワインも素晴らしい。その快適さのだめ押しをしてくれるのがトイレだ。3000メートルの山小屋でも悪臭には悩まされない。
 私はその体験を情熱を込めて話した。素晴らしい自然の中をヴァキュームカーが走るのか!と、随分嫌みなことも言った。会議の大勢は汲取で良いのではという方向に動いていた。そこで私は論より証拠、現地に視察に行こうと提案した。村長は緊縮財政で村会議員の海外視察旅行など憚られると言う。私は食い下がった。村の貴重な財産を将来の長きにわったって人のために使おうというときだ。旅行業者に競争させてエコノミーの安い視察旅行が実現した。

トイレを決めた出会い

 シャモニーでは長年私たち家族のスキーガイドをしてくれている山岳ガイドが迎えてくれた。彼はフランスのマウンテンガイド協会の副会長も務めるベテランだ。彼と夕食を共にし、翌日はいよいよモンブラン近辺のトイレ視察だ。二手に分かれ、一つのグループはエギューユ・デュ・ミディへ。時計の正午の針という名前の通り3842メートルの切り立った岩山。長いケーブルカーで山頂へ。もう一つのグループは村を挟んで反対側のブレバンへ。こちらは2550メートル、垂直に切り立った岩山の山頂にレストランがある。この岩山の上でも水洗トイレだ。ここで実に不思議な出会いがあった。同じレストランに日本からの年配の男女10人ほどのグループと一緒になった。一行はトレッキングの仲間で、スイスから歩いてシャモニーにやって来ていた。こちらがトイレ視察の皆さんとは知らずに話していたことが決定的な役割を果たすことになった。
 トレッキングの皆さんは日本の山はほとんど歩いていると言う。「でももう日本の山は登れませんね」と女性が言い出した。「日本の山小屋は臭くて!こちらの清潔なトイレを使って山歩きを体験すると、もう日本の山小屋には泊まれませんね!」神様が仕組んでくれた出会いとしか言いようがないだろう。この視察旅行で丹生川五色が原のトイレは水洗になることが決まった。
 電気もないところでどうやって水洗トイレにするのか、流した水はどう処理するのか。そこは知恵者の村長が業者のコンペをやり、知恵を出させ、電気は滝で起こし、下水は地中から自然に蒸発させるというような方法で解決し、どっぷりと自然の中に丸太作りの水洗トイレ付き休憩小屋三つが出来上がった。
 開山から10年の昨年10月私は親しい仲間を連れて丹生川を再訪して大歓迎を受けた。でも水洗トイレが本当に機能しているだろうか?心配は無用だった。ひんやりとした山の空気の中で清潔な丸太小屋の温かい便座に座り、本当に良いことをしたと、しばし感慨にふけったことだった。私は村から感謝の印しに贈られたイチイの見事な般若の木彫を玄関にデンと置いている。

ウォシュレット付き丸太小屋
ウォシュレット付き丸太小屋

送られた感謝の木彫
送られた感謝の木彫



(記事・写真:小林和男)