一般財団法人環境イノベーション情報機構

環境用語 足尾銅山鉱毒事件

作成日 | 2003.09.12  更新日 | 2009.10.14

足尾銅山鉱毒事件

アシオドウザンコウドクジケン   【英】Ashio Copper Mine Mineral Pollution Incident  

解説

明治時代に起こった、足尾銅山(栃木県)による公害事件。

足尾銅山は、1610年(慶長15年)の発見から昭和48年まで400年近く続いた銅山である。明治10年に古河市兵衛に経営が移ってから、富鉱脈の発見や生産技術の近代化によって銅の生産量が急速に伸び日本最大の銅山となった。その反面、明治23年頃から鉱滓が洪水で渡良瀬川にたびたび流出して農地を汚染し、農業などに大きな被害を及ぼすようになった。精錬所からの亜硫酸ガスが、周辺の山林を枯らし、洪水の原因にもなったともいわれる。これに対し、被害を受けた農民らは政府や帝国議会に対して鉱毒反対の請願を行う大衆行動「押出し」を行った。

地元選出の代議士であった田中正造は、帝国議会でこの問題を取り上げるとともに鉱毒被害の救済に奔走したが、明治34年には議員を辞職して明治天皇に直訴未遂事件を起こすなどした。その後も、田中らは被害者とともに、政府の計画によって廃村の危機にあった谷中村に住みながら反対運動を続けた。

政府の弾圧の元で、結局谷中村は廃村になり、跡地は渡良瀬遊水池になった。こうしたことから、足尾鉱毒事件は公害問題の原点ともいわれる。

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