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環境Q&AQ&Aへの疑問・質問

掲示板(環境Q&Aへの疑問・質問)

登録日: 2010年04月06日 最終回答日:2010年04月17日
カテゴリ:環境一般 >> その他(環境一般)

理科教育について 

No.34508 2010-04-06 12:57:10 ZWla85f アスベスト分析屋

 皆様に考えてもらいたいことが…

 4月1日から4件連続で質問された方の質問文と回答に対するお礼・補足を読むと、「この人にいったいどういう理科教育をしたのか」と考えさせられました(質問者に対して失礼になっているかも知れません。ご容赦下さい)。別にこの人に限ったことではないのですが。

 かくいう私も偉そうなことを言えるほどの人間ではないのですが、少なくとも仕事をする上での必要な理科の知識は身につけているつもりです。

 どう思われますか。

 

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No.34569 【A-12.】

Re:理科教育について

2010-04-14 14:29:03
ZWl8a13 みっちゃん >「錬金術」なんて現在では「否定」されていますが

貴方程度の教育があってもこれほど大きな間違いをする。今の科学では肯定されています。証明もされています。ただし、実施できるかは別ですが。(現在では技術力が伴っていません)

簡単に言えば、核融合が現在の錬金術です。
鐵より軽いものは結構簡単な過程(理論的に)で融合(合成)できるようです。実際いくらかの原子が融合(合成)されています。
確かに鉛から作るのは面倒でしょうが、科学としては合成が不可能と言い切れるのか。それよりも原子が不変でなく他の種類に変わることを持って(現代)錬金術が証明されたと考えるほうが科学的な態度でしょう。

>現在「科学である」もののうちどれぐらい「科学である」と言えるものがあるのでしょうか

ですからそこをきちんと区別して話さねばいけない。
科学の装いをして科学でないものを同等に扱うことは大変危険なんです。人権などの問題と同様で、本来違うもの(区別すべきもの)を同じ扱いをする弊害は社会に多大な害を与えています。同じものを間違って区別した場合も無害ではありませんが、前に挙げた同じ扱いをする弊害よりは桁違いに害が少ない。
科学と、学説。現在科学として証明されている範囲。
現実も、真実も実際一つでないこと(之を認識できない人が多い)この部分の基本教育がない人が発言するのは、社会にとって害を垂れ流すばかりで利益など一つもない。それが理解できない幼稚園児の我が儘発言を許すことを自由教育と称している限り、日本にはまともな政治も人間本質に対する自覚も出来る訳がない。
知恵のある人は自身への正当な批判を判断できますが、教育のない人は自分の我が儘が押し通せないことに対する反発意識以外は感じません。
またまともな教育を受けた人は、人格がナイーブですから、自身の判断が100%完全なことはないと自覚していますが、逆に(此処の参加者の多くのように)夜郎自大意識で肥大した自我を持つ方達は100%完全で自分が間違うとは考えません。

科学では無いものは証明不可能ですから、基本原理は信仰と同じで、ただ信ずるしかないのです。
結果は、証明も討論(話合)も当然批判も不能です。
過激に純粋化すれば・・・殺し合うしか有りません。
だって、行動原理は自分が信じているだけですから。

回答に対するお礼・補足

 ありがとうございます。用語の使い方を間違えました。申し訳ありません。私が言った錬金術は中世行われた「鉛から金を合成する」という意味で書きました。核融合については承知しています。

 浅学の私としては「科学とは何ぞや?」という疑問にぶちあたりました。今まで「科学」と思っていたのは「宗教」なのか?「科学」として証明されているものも「宗教」となってしまうのか?どうしたものなのでしょうか。

 上記の疑問の解答は私自身が見出さなければならないのですが、果たして解答が見つかるかどうか。

No.34577 【A-13.】

Re:理科教育について

2010-04-14 22:08:53
ZWl8a13 みっちゃん >「鉛から金を合成する」という意味で書きました。核融合については承知しています。

ですから、鉛を母体としてなにかと融合(合成)すれば金を作れることになるんです。
もちろん理屈ですが。

>上記の疑問の解答は私自身が見出さなければならないのですが、果たして解答が見つかるかどうか。

こんなことは既に回答が出ています。
問題は
1.科学で証明された部分は全て科学第一に生きるかという判断。
2.科学で証明されていない部分の選択は何を基準にするか。
3.科学で否定された部分を全て切り捨てるのか。
です。

確かに現在時点の科学が将来永遠不変かと言えば問題はありますが、それを言い出したらなにもできません。あくまで前提にしたフレームがあり、その中での証明及び再現性をもって科学と扱うしか選択の方法はありません。

私が良く使用する比喩に予防注射の選択の方法があります。疫学や公衆衛生学では多くの人に対する疾病の損失と副作用及び費用などを比較して実施の選択利益を計算します。この様な方法論は若干科学性は弱いですが政策選択の手法としては一定の説得力を持ちます。しかし、個人にとっては当てはまらないことが多くあります。例えば副作用は個人に何千分の一で降り懸かるのではありません。当人には降り懸かるか降り懸からないかの二つに一つ。副作用の当人には100%起きるのです。

それから、六曜みたいな風俗習慣、おみくじや占いのたぐい。確かに全て遠ざけて生活することも出来ます。また宗教(之は難しいです)ない方がよいのか、いないという証明が出るまでは、天気予報の雨の時に傘を用意するように、取り敢ず神がいるとして振る舞ったほうが安心できるのか。

だからこそ、自らが正しいと信ずる選択の根拠を考えるためにも、正しい教育、知識、選択の根拠が必要なんです。

今の若い人には面倒らしくて・・・考えることを放棄しているようですが。

回答に対するお礼・補足

 ありがとうございます。仰るとおりのことが「理科教育」に必要です。ただし、「私自身が疑問に思った解答は私自身が見出さなければならない」と書いたのは、既に回答が出ていようがいまいが、自分自身で見出さなければならない問題です(私が納得しません)。私自身の見出した解答が既に出ている回答と一致することが必要ですが。

 将来を担う子供達(よく「我儘な幼稚園児のような」と比喩しますが、幼稚園児は教えたことはちゃんとします。私は「我儘な『ガキ』のような」と思いますがね)にちゃんとした「理科教育」を求めます。でないと「頭でっかち」な大人ばかりになってしまいます(自戒をこめて)。

No.34590 【A-14.】

Re:理科教育について

2010-04-17 12:18:52
ZWl8329 火鼠 まず、謝ります。ティコブラーエを地動説と言いましたが、天動説でした。
どうも、この辺の区分よく間違えます。(かなり、いい加減ですね)

あと、錬金術云々ですが、原子炉の中だけかもしれませんが、(とっても短い時間ですが、特殊な金属ができる)のは事実では?と・・・いうことは??鉛が、金になる事って、なんでありえないんだろ?ベーターかいへん?あるふぁーふぉーかい。ほーそうかい?

科学って、科があって、学ぶもんでなんでもありでは?
医学と、漢方学。理学と数学。
一瞬できる金属を、固定できたら、それはそれで科学では?
『あり得ない。』いうのは。エバンゲリオンの中の赤城博士だけに言わせておけばどうでしょうか?

回答に対するお礼・補足

 ありがとうございます。まあ、「過去の科学の常識は現在の常識ではないこともある。現在の科学の常識は未来の常識ではないこともある」といったところでしょうか。何がともあれ、将来を担う子供達に「正しい理科教育」を行うことです(とは言っても、今の政権では期待しません。何が『理系内閣』だ、ふざけるなと言いたいです)。それによって「有り得るか有り得ないかが証明されていない」学説が証明されるでしょう。

 「理科教育について」というタイトルで質問(というかご意見募集)を募りましたが、皆様、ありがとうございました。この辺で締め切らせていただきます。

 

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