一般財団法人環境イノベーション情報機構
エコチャレンジャー 環境問題にチャレンジするトップリーダーの方々との、ホットな話題についてのインタビューコーナーです。

No.032

Issued: 2014.08.08

第32回 NPO法人海辺つくり研究会理事(事務局長)の木村尚さんに聞く、豊かで美しい海をめざした取り組み

木村 尚(きむら たかし)さん

実施日時:平成26年7月23日(水)15:30〜
聞き手:一般財団法人環境イノベーション情報機構 理事長 大塚柳太郎
ゲスト:木村 尚(きむら たかし)さん

  • 昭和31年神奈川県横浜市生まれ57歳
  • NPO法人海辺つくり研究会理事(事務局長)・東京湾の環境をよくするために行動する会幹事、(株)MACS取締役、(株)森里川海生業研究所取締役、(株)joyF取締役、NPO法人共存の森ネットワーク理事、東京湾再生官民連携フォーラム委員他多数の市民活動団体に参加協力している。
  • 主な著書として「森里川海をつなぐ自然再生」(共著)「ハマの海づくり」(共著)「海辺の達人になりたい」(共著)「江戸前の魚喰いねえ 豊饒の海 東京湾」(共著)がある。
  • 現在、日本テレビ系「ザ!鉄腕!ダッシュ!!:ダッシュ海岸をつくりたい」にレギュラー出演中。
目次
海が好きだというのが原点
日本の社会では2つのものの隙間に問題が生じていると感じたことも背景にあった
自分たちでモニタリングをしながら、維持する方法として考えたのがワカメの育成とアマモの移植
横浜港のワカメを採って食べてみませんかと新聞に広告を出したら、意外と多くの人が集まった
多くの人間が少しずつ、言い換えると、効率的なことはあえてやめ、皆の手作業ですることに
キーワードは、「続ける」「繋ぐ」「紡ぐ」
お台場のコミュニティつくりと環境活動として、かつて行われていたノリの養殖を皆ですることを提案
海という場は、皆が助け合う文化を育み、だからこそ子どもたちが明るく成長していける

海が好きだというのが原点

大塚理事長(以下、大塚)― 今日はお忙しい中、EICネットの「エコチャレンジャー」にお出ましいただき、ありがとうございます。木村さんは、NPO法人海辺つくり研究会の活動をはじめ、海の環境を護る市民活動を長年にわたってリードされておられます。海に親しむシーズンともなりましたので、環境面から見た海の状況や人びとの海とのふれあいをめぐり、経験談や今後の展望などについてお伺いしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 早速ですが、木村さんは海にかかわる幅広い活動をエネルギッシュになされておられますが、その原点になるところからお話しいただけますか。

木村さん― 基本的には、海が好きだということでしょうね。
 私は昭和31年生まれで、母親の実家は石川県の能登半島です。父親が仕事の関係で出張に出ると1、2年帰ってこないこともあり、母親の実家で長く過ごすことが多かったのです。

大塚―  漁村だったのですか。

木村さん―  母の実家は農家でしたが、海も近く、伯父は定置網の仕事をしていました。海では漁師のおじさんたちによく遊んでもらい、魚の獲り方、潜り方など、いろいろなことを教わっているうちに海が好きになったのです。
 私が物心つく前、幼稚園にあがる前から、夏になると1人で上野駅から夜行列車に乗せられ、能登では駅に祖父が迎えに来てくれ、母の実家で過ごしていました。小学校に入ってからも、学校に理解があったのか、夏休みより長い期間を能登で過ごし、海で遊んでいました。

大塚―  小さいころから、ずっと海に親しんでいたのですね。

木村さん―  中学生のころも休みには能登の海に行きました。それでも運動部に入っていましたので、海から離れた時間が多かったと思います。大学は東海大学の海洋学部で海にかかわる勉強をしました。卒業のころはオイルショックで就職難だったのですが、サルベージ会社に何とか就職でき、海洋学部を卒業していたので調査コンサルタントの仕事をしました。その後、調査コンサルタント部門を独立させて会社を興したのです。最初は3人でスタートし、辞めるころは100人を超える会社になっていました。
 それはそれでよかったのですが、当時は環境関係の仕事というと開発にかかわる公共事業がほとんどで、環境の仕事をすればするほど環境が悪くなっていくわけで、何とかならないかと感じていました。1990年代初頭は、人間活動によって生じる環境への影響を緩和あるいは補償する「ミティゲーション」が注目されはじめた時です。東京湾などの港湾で、シーブルー事業【1】がはじまったのもこの頃でした。横浜港でも、そのモデル事業が1994年から1998年まで行われました。

日本の社会では2つのものの隙間に問題が生じていると感じたことも背景にあった

大塚―  その頃、海辺つくり研究会あるいはその前段階のものがあったのですか。

木村さん―  前段階といえば前段階になるのかもしれませんが、1994年に、現在土木学会会長をされている磯部雅彦先生【2】を座長に、ミティゲーション研究会をはじめました。その関係でアメリカに行く機会がありましたが、アメリカではミティゲーションよりも、積極的に環境修復あるいは環境再生を目指す「リストレーション」への志向が強くなっていました。私も、日本でももう少し積極的にできないかと考えはじめました。

大塚―  どのようなことをされたのですか。

木村さん―  私も40歳になっていて、人生80年とすると残り半分しかないので、自分でやろうと決意し、会社を辞め海辺つくり研究会を立ち上げたのです。設立は2001年でした。当時は、河川法や港湾法が改正され、2001年には水産基本法が制定され、市民活動もようやく認知されてきたころでした。とはいえ、海の開発に対する反対運動はあっても、行政ときちんと議論しながら進める活動はほとんどありませんでした。私たちの年代は、成田空港建設反対運動の最末期にあたり、反対運動が開発を止めることはあっても何も生みださないという忸怩たる思いもありました。行政側も、市民活動というと反対運動という見方しかしていませんでした。私は、市民と行政をとりもつ役割を果たしながら、具体的な活動をしたいと考えたのです。

大塚―  研究会発足の経緯やご苦労をもう少しお伺いできればと思います。

木村さん―  1995年に参加したアメリカ土木学会主催のシンポジウムでは、ありとあらゆる市民の方が参加し、皆が均等に発表し議論していました。日本でもそのような場が必要と考え、最初に企画したのが汽水域セミナー【3】です。「汽水域」に込めたのは、川と海の境目、河川行政と港湾行政の境目、土木学会と建築学会の境目など、日本の社会では2つのものの隙間に問題が生じていると感じたことも背景にあったのです。

大塚―  行政と研究者の対応はいかがでしたか。

木村さん―  研究者はそのような会合に出てきても、行政の方は最初の頃は出てきてくれなかったですね。発言に責任がもてないと言うのですよ。だから、あえてセミナーのルールを決めて、ここでの発言はあくまでその場限りの発言で、行政の公的な見解とはしませんと。

自分たちでモニタリングをしながら、維持する方法として考えたのがワカメの育成とアマモの移植

横浜湾のワカメ育成

横浜湾のワカメ育成。

大塚―  汽水域セミナーもそうですが、海辺つくり研究会が一番力を入れてこられた東京湾は、一昔前には考えられなかったほど素晴らしい状況になっています。木村さんたちの活動について、具体的にお伺いできればと思います。

木村さん―  最初の機会は、横浜港内のシーブルー事業です。ヘドロを浚渫し、覆砂し、きれいな海底をつくる事業ですね。その結果、あっという間に結構良い状態に戻りました。しかし、メンテナンスをしないと元の木阿弥になっていくのですよ。行政の事業は、1回経費を投入すると終わりです。どうしてもメンテナンスの予算がつかず、しかたなく自分たちでモニタリングをしながら、維持する方法として考えたのがワカメの育成とアマモ【4】の移植です。2001年のことでした。
 海の中の栄養塩はある程度ワカメが吸収します。人間の生活排水から栄養塩がいっぱい海に流れ込む結果、プランクトンが増殖して富栄養化して、海を汚す原因にもなっていました。その栄養塩をワカメで回収し、陸上に戻して“皆さんの胃袋で東京湾をきれいにできます”と、新聞に広告を出しました。最初は、公的水面なので行政からワカメ養殖の許可が下りませんでした。環境活動なのに、水域の平方メートルあたりいくら払ってくださいと、お金を要求されたのですよ。ずいぶん戦いました。行政の中にはダメという人もいましたが、認めるべきという人たちががんばってくれて実現したと思っています。

横浜港のワカメを採って食べてみませんかと新聞に広告を出したら、意外と多くの人が集まった

大塚―  ワカメに着目されたのはどのような理由だったのですか。

木村さん―  東京湾は護岸に囲まれ、誰も海に出られないじゃないですか。それで、誰でも触れることができ、親しみをもてるものを探したのです。ワカメ好きって結構多いじゃないですか。それで、横浜港のワカメを採って食べてみませんかと新聞に広告を出したら、意外と多くの人が集まったので、この人たちにワカメの種付けからしてもらうのがいいと考えました。最初は、縦2 メートル・横5メートルの10平方メートルの区画でしていました。たったの10平方メートルですが、横浜港内のいろいろなところを転々としながらつづけていました。ある時、天皇陛下が横浜に来られるイベントがあり、陛下のいらっしゃるイベントで養殖を行いました。それからですね、変わったのは。

大塚―  それは何年のことですか。

木村さん―  2005年です。「全国豊かな海づくり大会」【5】が横浜で開かれた時です。それから、行政の方々からもサポートされるようになり、今では、縦5メートル・横20メートルの区画になり、参加者数も250人を超えています。毎年10月1日に募集を開始するのですが、午前0時から午前5時までの間に250人の枠が埋まってしまうのですよ。

大塚―  具体的な作業についても教えてください。

木村さん―  マイワカメといって、プラスチック板の名札をつくってもらい、自分で種糸をロープに挟み込み名札をつけてもらいます。それを我々が海に運び筏に付けて浮かべ、2ヵ月も経つと2メートルくらいになります。2月の早い頃に回収し、皆さんにマイワカメ分をお配りします。1人5キロくらいになります。一方で総重量も計り、窒素、リン、炭素の回収量を計算し、東京湾をきれいにした数値を皆さんと共有しています。
 最近は、すぐ近くにあるインターコンチネンタルホテルの総料理長がそのワカメを気に入ってくれて、料理教室でつかったり、季節限定の定番メニューで出したりと、広がりが出てきており、ありがたいと思っています。

多くの人間が少しずつ、言い換えると、効率的なことはあえてやめ、皆の手作業ですることに

アマモ場では魚類など多くの生き物が生息・産卵している。
アマモ場では魚類など多くの生き物が生息・産卵している。

アマモ場では魚類など多くの生き物が生息・産卵している。


木村さん―  もう1つはじめたのが、アマモ場の再生です。

大塚―  それも2001年にはじめられたのですか。

木村さん―  そうです。アマモの方は、我々が最初に手掛けた横浜港内ではむずかしく、南部の「野島」と「海の公園」【6】に移転して行っています。
 私は、東南アジアでのマングローブの植林や、沖縄の海の保全によく誘われたのですが、地元の横浜で成果をある程度出すのが先決と考えていました。よそに呼ばれても、「私がしたのはこうでした」「こういう視点でしたらご協力しますよ」「おもしろいかもしれないですよ」という話ができなければと思っていたからです。

大塚―  木村さんのお考えの原点ともいえることを伺いました。ところで、アマモの再生は大変だったでしょう。

木村さん―  企業や研究者が瀬戸内海を中心に取組んでいた、アマモ再生の技術を学びつつ、横浜市民がどのようにするのがいいかを考えました。少数の人間が大規模にするのではなく多くの人間が少しずつ、言い換えると、効率的なことはあえてやめ、皆の手作業ですることにしました。その方が、一人ひとりの思い入れが大きくなるのですよ。種がついている花枝集めから、種の選別、種蒔き、一方でその種で苗づくりという1年間の作業があります。

海に入って、種がついている花枝を集める

海に入って、種がついている花枝を集める

養殖したワカメ

養殖したワカメ


大塚―  何人くらいの方がなさっておられるのでしょうか。

木村さん―  最初は10人にもなりませんでしたが、今は毎年のべ3,000人以上が参加しています。「海の公園」も「野島」も、もう植えるところがないくらい広がっています。漁師の方々が、イカが増えたと喜んでくれたのがうれしかったですね。
 アマモの活動では、天皇陛下の御手渡しの苗も植えましたし、アマモのおかげで天皇陛下と御懇談させていただく機会もいただきました。また、アマモが豊かだったころに藻刈りの神事が地元の神社で行われていたのが、アマモが増えたおかげで80年ぶりに復活しました。

キーワードは、「続ける」「繋ぐ」「紡ぐ」

砂浜の沖に再生したアマモ場

砂浜の沖に再生したアマモ場

大塚―  木村さんは、アマモを植えた皆さんとどのように行動されたのでしょう。

木村さん―  そのキーワードは、「続ける」「繋ぐ」「紡ぐ」だと思っています。組織づくりに関係するかもしれませんが、最初にはじめた人が上に座るような縦構造ではなく、逆三角形の組織というのでしょうか、最初にはじめた詳しい人が下にいて、新たにはいる人が新たなアイディアをもって参加できるよう心がけました。そうすることで、ありとあらゆるジャンルで才能をもった人たちが環境の活動に加われるようになったと思います。

大塚―  「続ける」「繋ぐ」「紡ぐ」は、すばらしいと思います。市民活動の活性化、あるいは広い意味での環境教育にもつながるように感じます。

木村さん―  私は教育を目的化するのは嫌いです。教える側と教えられる側に分かれるのも嫌です。環境の活動をしているうちに、何か学べることがあるという方が自然だと思っています。海から学ぶ、海だけでなく、森でも川でも里でもそうだと思います。もともと日本には「八百万の神」が自然の中にいて、持続可能な生活をつづけてきたわけですよ。そういう先人の知恵をきちんと見直し伝えていける活動の場をつくることが大切と感じています。

大塚―  コミュニティで学ぶ場をつくっていくということですね。

お台場のコミュニティつくりと環境活動として、かつて行われていたノリの養殖を皆ですることを提案

木村さん―  お台場は、もともとは埋立地の貯木場で、人が住みはじめて15年くらい経っていますが、なかなか故郷という感覚をもてないですよ。折角目の前に海があるマンションに住んでいながら、海が汚い、臭い、危ないから近寄ってはダメというのでは、コミュニティ形成も進まないですよ。港区から依頼され、お台場のコミュニティつくりと環境活動として、かつて行われていたノリの養殖を皆ですることを提案したのです。もちろん海の経験がない人たちの集まりですが、何年かすると皆慣れてきます。我々は裏方で必要なときにだけ手助けするというスタンスでしたが、学校のPTAや児童館を中心にコミュニティ形成が進んだのです。子どもたちが大人になって、「俺の故郷はお台場だけどノリをつくっているんだ」「自分たちが食べるノリがあるからもっときれいにしたい」となればベストでしょう。

大塚―  レジャーを含め、東京湾を利用する方々へのメッセージもお願いします。

木村さん―  海は、釣りや屋形船での遊覧など、いろいろな楽しみ方があるわけです。どのような楽しみ方でもいいのですが、環境が良くなることを1つでも2つでも付け加えてほしいと思っています。
 このこととも関連する、東京湾再生行動計画【7】の話をしたいと思います。昨年から第二期の10年にはいり、国の省庁と八都県市を含む推進委員会による行動計画の目標に、「江戸前の再生」という文言を入れてもらい、「食」に注目し、東京湾を良くする活動に賛同し参加してくれる人たちを増やしたいと考えています。
 もっと多くの方に参加してもらえるよう、東京湾大感謝祭を昨年からスタートさせました。今年は10月25-26日に行います。横浜の赤レンガパークで、江戸前の食べ物もいっぱい出す予定です。一番の見世物は、本年6月に国際自然保護連合から絶滅危惧種に指定されたニホンウナギの幼生です。人工養殖によって生まれた、シラスウナギになる前のレプトケファルスと呼ばれる透明な幼生を水槽展示します。是非遊びに来ていただきたいと思います。

海という場は、皆が助け合う文化を育み、だからこそ子どもたちが明るく成長していける

大塚―  最後になりますが、日本の身近な環境を護っていくことについて、木村さんはどのように感じておられますか。

木村さん―  私は大変期待しています。私の経験からも、たとえば、全国でアマモ再生活動をしている方々が一堂に会する全国アマモサミットが2008年から開かれており、今年は9月27日に青森で予定されています。昨年からこのサミットに合わせて「海辺の自然再生高校生サミット」も行われているのですが、高校生の話を聞いていると、中学生も小学生もそうなのですが、実に感動的な活動をしているからです。
 ところで、3年前の3.11の巨大津波で、三陸の多くの方々が亡くなられました。亡くなられた方が多かったのはもちろん大変残念ですけれども、海辺には皆が助け合いながら生きるという文化が育まれてきたのも事実なので、自然とのかかわりをなくすようなことがあってはならないとも感じています。私の妻は長崎県島原の出身で、三男の出産で実家に帰省中に雲仙普賢岳の噴火に遭遇した時も、また、私がフィリピン政府の依頼を受けマニラ湾の漁師にアマモの植栽の指導に行った時も、自然とのかかわりの中で皆が助け合う文化が根づいていることを強く実感しています。
 海という場は、皆が助け合う文化を育み、だからこそ子どもたちが明るく成長していけるのだろうと感じています。このことが、海の最も根本にある価値と考えています。そのような文化を絶やさないようにしながら、環境活動をつづけていく若い世代が育ってほしいと願っています。

大塚―  木村さんが長年苦労されたことが、着実に広がり根づいていることがわかりました。これからもますますご活躍ください。本日は、長時間にわたりありがとうございました。

海洋環境専門家の木村尚さん(左)と、一般財団法人環境イノベーション情報機構理事長の大塚柳太郎(右)。

海洋環境専門家の木村尚さん(左)と、一般財団法人環境イノベーション情報機構理事長の大塚柳太郎(右)。


注釈

【1】シーブルー事業
 国土交通省港湾局が進める海域環境創造事業の通称。閉鎖性海域の水環境を改善するためのさまざまな取り組み。
【2】磯部雅彦先生
 公益財団法人土木学会会長、高知工科大学副学長。
【3】汽水域セミナー
 東京湾の環境復元を目指すセミナーで、第1回が1999年10月に横浜で開催された。
【4】アマモ(甘藻、Zostera marina
 海中で生育する多年生の種子植物。日本各地の浅海に群生し、水をきれいにするとともに、魚類の産卵や稚魚の成育の場になる。
【5】全国豊かな海づくり大会
 水産資源の維持と海の環境保全の意識の高揚と、水産業に対する認識を深めるための国民的行事。1981年にはじまり、各都道府県で開催される大会式典には天皇・皇后が臨席される。
【6】「野島」と「海の公園」
 横浜市金沢区に隣り合って位置する、都市公園を含む臨海地域。
【7】東京湾再生行動計画
 政府の省庁や東京湾に近い都県市がつくる東京湾再生推進会議が進める行動計画で、2013年から第二期10年計画がはじまっている。