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エコチャレンジャー

環境問題にチャレンジするトップリーダーの方々との、ホットな話題についてのインタビューコーナーです。

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エコチャレンジャー

環境問題にチャレンジするトップリーダーの方々との、ホットな話題についてのインタビューコーナーです。

目次
海が好きだというのが原点
日本の社会では2つのものの隙間に問題が生じていると感じたことも背景にあった
自分たちでモニタリングをしながら、維持する方法として考えたのがワカメの育成とアマモの移植
横浜港のワカメを採って食べてみませんかと新聞に広告を出したら、意外と多くの人が集まった
【1】シーブルー事業
 国土交通省港湾局が進める海域環境創造事業の通称。閉鎖性海域の水環境を改善するためのさまざまな取り組み。
【2】磯部雅彦先生
 公益財団法人土木学会会長、高知工科大学副学長。
【3】汽水域セミナー
 東京湾の環境復元を目指すセミナーで、第1回が1999年10月に横浜で開催された。
【4】アマモ(甘藻、Zostera marina
 海中で生育する多年生の種子植物。日本各地の浅海に群生し、水をきれいにするとともに、魚類の産卵や稚魚の成育の場になる。
【5】全国豊かな海づくり大会
 水産資源の維持と海の環境保全の意識の高揚と、水産業に対する認識を深めるための国民的行事。1981年にはじまり、各都道府県で開催される大会式典には天皇・皇后が臨席される。

No.032

Issued: 2014.08.08

第32回 NPO法人海辺つくり研究会理事(事務局長)の木村尚さんに聞く、豊かで美しい海をめざした取り組み[1]

平成26年7月23日(水)15:30〜
聞き手:一般財団法人環境イノベーション情報機構 理事長 大塚柳太郎

海が好きだというのが原点

田部井 淳子(たべいじゅんこ)さん
木村 尚(きむら たかし)さん
 昭和31年神奈川県横浜市生まれ57歳
 NPO法人海辺つくり研究会理事(事務局長)・東京湾の環境をよくするために行動する会幹事、(株)MACS取締役、(株)森里川海生業研究所取締役、(株)joyF取締役、NPO法人共存の森ネットワーク理事、東京湾再生官民連携フォーラム委員他多数の市民活動団体に参加協力している。
 主な著書として「森里川海をつなぐ自然再生」(共著)「ハマの海づくり」(共著)「海辺の達人になりたい」(共著)「江戸前の魚喰いねえ 豊饒の海 東京湾」(共著)がある。
 現在、日本テレビ系「ザ!鉄腕!ダッシュ!!:ダッシュ海岸をつくりたい」にレギュラー出演中。

大塚理事長(以下、大塚)― 今日はお忙しい中、EICネットの「エコチャレンジャー」にお出ましいただき、ありがとうございます。木村さんは、NPO法人海辺つくり研究会の活動をはじめ、海の環境を護る市民活動を長年にわたってリードされておられます。海に親しむシーズンともなりましたので、環境面から見た海の状況や人びとの海とのふれあいをめぐり、経験談や今後の展望などについてお伺いしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 早速ですが、木村さんは海にかかわる幅広い活動をエネルギッシュになされておられますが、その原点になるところからお話しいただけますか。

木村さん― 基本的には、海が好きだということでしょうね。
 私は昭和31年生まれで、母親の実家は石川県の能登半島です。父親が仕事の関係で出張に出ると1、2年帰ってこないこともあり、母親の実家で長く過ごすことが多かったのです。

大塚―  漁村だったのですか。

木村さん―  母の実家は農家でしたが、海も近く、伯父は定置網の仕事をしていました。海では漁師のおじさんたちによく遊んでもらい、魚の獲り方、潜り方など、いろいろなことを教わっているうちに海が好きになったのです。
 私が物心つく前、幼稚園にあがる前から、夏になると1人で上野駅から夜行列車に乗せられ、能登では駅に祖父が迎えに来てくれ、母の実家で過ごしていました。小学校に入ってからも、学校に理解があったのか、夏休みより長い期間を能登で過ごし、海で遊んでいました。

大塚―  小さいころから、ずっと海に親しんでいたのですね。

木村さん―  中学生のころも休みには能登の海に行きました。それでも運動部に入っていましたので、海から離れた時間が多かったと思います。大学は東海大学の海洋学部で海にかかわる勉強をしました。卒業のころはオイルショックで就職難だったのですが、サルベージ会社に何とか就職でき、海洋学部を卒業していたので調査コンサルタントの仕事をしました。その後、調査コンサルタント部門を独立させて会社を興したのです。最初は3人でスタートし、辞めるころは100人を超える会社になっていました。
 それはそれでよかったのですが、当時は環境関係の仕事というと開発にかかわる公共事業がほとんどで、環境の仕事をすればするほど環境が悪くなっていくわけで、何とかならないかと感じていました。1990年代初頭は、人間活動によって生じる環境への影響を緩和あるいは補償する「ミティゲーション」が注目されはじめた時です。東京湾などの港湾で、シーブルー事業【1】がはじまったのもこの頃でした。横浜港でも、そのモデル事業が1994年から1998年まで行われました。

日本の社会では2つのものの隙間に問題が生じていると感じたことも背景にあった

大塚―  その頃、海辺つくり研究会あるいはその前段階のものがあったのですか。

木村さん―  前段階といえば前段階になるのかもしれませんが、1994年に、現在土木学会会長をされている磯部雅彦先生【2】を座長に、ミティゲーション研究会をはじめました。その関係でアメリカに行く機会がありましたが、アメリカではミティゲーションよりも、積極的に環境修復あるいは環境再生を目指す「リストレーション」への志向が強くなっていました。私も、日本でももう少し積極的にできないかと考えはじめました。

大塚―  どのようなことをされたのですか。

木村さん―  私も40歳になっていて、人生80年とすると残り半分しかないので、自分でやろうと決意し、会社を辞め海辺つくり研究会を立ち上げたのです。設立は2001年でした。当時は、河川法や港湾法が改正され、2001年には水産基本法が制定され、市民活動もようやく認知されてきたころでした。とはいえ、海の開発に対する反対運動はあっても、行政ときちんと議論しながら進める活動はほとんどありませんでした。私たちの年代は、成田空港建設反対運動の最末期にあたり、反対運動が開発を止めることはあっても何も生みださないという忸怩たる思いもありました。行政側も、市民活動というと反対運動という見方しかしていませんでした。私は、市民と行政をとりもつ役割を果たしながら、具体的な活動をしたいと考えたのです。

大塚―  研究会発足の経緯やご苦労をもう少しお伺いできればと思います。

木村さん―  1995年に参加したアメリカ土木学会主催のシンポジウムでは、ありとあらゆる市民の方が参加し、皆が均等に発表し議論していました。日本でもそのような場が必要と考え、最初に企画したのが汽水域セミナー【3】です。「汽水域」に込めたのは、川と海の境目、河川行政と港湾行政の境目、土木学会と建築学会の境目など、日本の社会では2つのものの隙間に問題が生じていると感じたことも背景にあったのです。

大塚―  行政と研究者の対応はいかがでしたか。

木村さん―  研究者はそのような会合に出てきても、行政の方は最初の頃は出てきてくれなかったですね。発言に責任がもてないと言うのですよ。だから、あえてセミナーのルールを決めて、ここでの発言はあくまでその場限りの発言で、行政の公的な見解とはしませんと。

自分たちでモニタリングをしながら、維持する方法として考えたのがワカメの育成とアマモの移植

横浜湾のワカメ育成
横浜湾のワカメ育成。

大塚―  汽水域セミナーもそうですが、海辺つくり研究会が一番力を入れてこられた東京湾は、一昔前には考えられなかったほど素晴らしい状況になっています。木村さんたちの活動について、具体的にお伺いできればと思います。

木村さん―  最初の機会は、横浜港内のシーブルー事業です。ヘドロを浚渫し、覆砂し、きれいな海底をつくる事業ですね。その結果、あっという間に結構良い状態に戻りました。しかし、メンテナンスをしないと元の木阿弥になっていくのですよ。行政の事業は、1回経費を投入すると終わりです。どうしてもメンテナンスの予算がつかず、しかたなく自分たちでモニタリングをしながら、維持する方法として考えたのがワカメの育成とアマモ【4】の移植です。2001年のことでした。
 海の中の栄養塩はある程度ワカメが吸収します。人間の生活排水から栄養塩がいっぱい海に流れ込む結果、プランクトンが増殖して富栄養化して、海を汚す原因にもなっていました。その栄養塩をワカメで回収し、陸上に戻して“皆さんの胃袋で東京湾をきれいにできます”と、新聞に広告を出しました。最初は、公的水面なので行政からワカメ養殖の許可が下りませんでした。環境活動なのに、水域の平方メートルあたりいくら払ってくださいと、お金を要求されたのですよ。ずいぶん戦いました。行政の中にはダメという人もいましたが、認めるべきという人たちががんばってくれて実現したと思っています。

横浜港のワカメを採って食べてみませんかと新聞に広告を出したら、意外と多くの人が集まった

大塚―  ワカメに着目されたのはどのような理由だったのですか。

木村さん―  東京湾は護岸に囲まれ、誰も海に出られないじゃないですか。それで、誰でも触れることができ、親しみをもてるものを探したのです。ワカメ好きって結構多いじゃないですか。それで、横浜港のワカメを採って食べてみませんかと新聞に広告を出したら、意外と多くの人が集まったので、この人たちにワカメの種付けからしてもらうのがいいと考えました。最初は、縦2 メートル・横5メートルの10平方メートルの区画でしていました。たったの10平方メートルですが、横浜港内のいろいろなところを転々としながらつづけていました。ある時、天皇陛下が横浜に来られるイベントがあり、陛下のいらっしゃるイベントで養殖を行いました。それからですね、変わったのは。

大塚―  それは何年のことですか。

木村さん―  2005年です。「全国豊かな海づくり大会」【5】が横浜で開かれた時です。それから、行政の方々からもサポートされるようになり、今では、縦5メートル・横20メートルの区画になり、参加者数も250人を超えています。毎年10月1日に募集を開始するのですが、午前0時から午前5時までの間に250人の枠が埋まってしまうのですよ。

大塚―  具体的な作業についても教えてください。

木村さん―  マイワカメといって、プラスチック板の名札をつくってもらい、自分で種糸をロープに挟み込み名札をつけてもらいます。それを我々が海に運び筏に付けて浮かべ、2ヵ月も経つと2メートルくらいになります。2月の早い頃に回収し、皆さんにマイワカメ分をお配りします。1人5キロくらいになります。一方で総重量も計り、窒素、リン、炭素の回収量を計算し、東京湾をきれいにした数値を皆さんと共有しています。
 最近は、すぐ近くにあるインターコンチネンタルホテルの総料理長がそのワカメを気に入ってくれて、料理教室でつかったり、季節限定の定番メニューで出したりと、広がりが出てきており、ありがたいと思っています。

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