一般財団法人 環境イノベーション情報機構

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No.068

Issued: 2017.08.21

認定NPO法人富士山測候所を活用する会の土器屋由紀子理事が語る、富士山で大気観測をする意義

土器屋 由紀子(どきや ゆきこ)さん

実施日時:平成29年7月26日(水)15:15〜
ゲスト:土器屋 由紀子(どきや ゆきこ)さん
聞き手:一般財団法人環境イノベーション情報機構 理事長 大塚柳太郎

  • 1962年東京大学農学部農芸化学科卒業。現在、江戸川大学名誉教授、NPO法人富士山測候所を活用する会・理事。
  • 東京大学農学部(肥料・作物栄養、分析化学)、米国商務省標準局(NIST)、気象研究所(地球化学)、気象大学校、東京農工大学農学部、江戸川大学社会学部など、研究・教育に関する多くの職場を変わりながら、学生と現場へ通いサンプルを採る仕事をつづけた。
  • 著書に、『よみがえる富士山測候所2005-2011』(成山堂、2012)、NHKカルチャーラジオ、科学と人間『水と大気の科学』(NHK出版、2014)など。
目次
登る山じゃないと思っていた富士山で大気観測を始めることになったきっかけは、気象大学校の学生や植物学者・丸田恵美子さんとの登山だった
1964年に設置された富士山レーダーは最大で800キロメートル先までカバーでき、当時としては世界一の性能を誇った
1980年代後半に気象衛星が打ち上げられ、レーダーが撤去された後には、大気観測のため多くの測定装置が設置されるようになった
2006年の法律改正で国の庁舎の民間への貸出しが可能になり、富士山測候所も対象になった
経費だけでなく、安全面での問題もあって、夏期の2カ月間しか観測できない
通年観測の測定結果は、マウナ・ロアと比較できる良質なデータ
科学的な視点をもち安全が確保されてさえいれば、富士山を活用するどのような提案も歓迎

登る山じゃないと思っていた富士山で大気観測を始めることになったきっかけは、気象大学校の学生や植物学者・丸田恵美子さんとの登山だった

馬の背下から望む富士山頂剣ヶ峰の富士山測候所(2017年7月15日)

馬の背下から望む富士山頂剣ヶ峰の富士山測候所(2017年7月15日)

大塚理事長(以下、大塚)― 本日は、認定NPO法人富士山測候所を活用する会理事で、長年にわたり富士山測候所で大気観測に携わってこられた土器屋さんにお出ましいただきました。富士山で大気観測をする意義とともに、測候所の歴史、現在の状況、将来の展望などについて語っていただこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
土器屋さんが富士山で大気観測を始められたのは1990年と伺っていますが、その頃、土器屋さんにとって富士山はどのような存在だったのでしょうか。

土器屋さん― 富士山には、1990年に初めて登りました。私は山が好きでしたが、富士山は登る山じゃないなどと生意気なこと言って登るのを避けていたのです。その頃、私は気象大学校で化学を教える教官でした。気象大学校はご存知の通り、気象庁の幹部候補の養成を目的とする給費制の学校です。1学年15人だけのエリート学校で、生徒さんはきわめて優秀です。学校の目的は気象予報のための教育で、化学は予報に直接関わらない分野として、卒論も希望者がいれば採れるのですが、文学や哲学と一緒に一般(教養)科目とされていました。

大塚― 土器屋さんは、気象学を専攻されていたわけではないのですね。

土器屋さん― 気象大学校に転職する前に、短い期間でしたが、気象研究所の地球化学研究部に勤めておりましたが、その前に長く勤めていたのが東京大学農学部で、分析化学の研究室におりました。気象研究所が筑波研究学園都市にあったので転職を希望したのですが、私の専門は分析化学です。
その頃、気象大学校には富士山登山実習がありましたが、直接のきっかけは、かつて気象庁に勤められ、慶応大学に転出しておられた生物学者の丸田恵美子【1】さんから誘われたことでした。丸田さんは、富士山での研究に戻っておられ、この時は酸性雨の影響に関する調査を計画されていたのです。
丸田さんは、私に富士登山のきっかけをつくってくれただけでなく、富士山で研究するためのノウハウ、たとえば富士山での運搬の中心であるブルドーザの使い方や地元の方々との付きあい方を教えてくれました。

大塚― 土器屋さんの富士山での研究が始まったのですね。

土器屋さん― 1990年には、1回登ればいいと考えていたと思います。それが、今に至るまで25年もの付き合いになり驚いています。とはいっても、私は丸田さんのような本格的な登山家ではなく夏に登るだけです。冬期のサンプルは、ずっと丸田さんが集めてくださいました。


1964年に設置された富士山レーダーは最大で800キロメートル先までカバーでき、当時としては世界一の性能を誇った

大塚― ところで、土器屋さんが著作などで指摘されているように、富士山での観測には長い歴史があります。これだけは伝えたい、ということをご紹介いただけますか。

土器屋さん― 本当に長い歴史があり短く話すのは難しいのですが、いくつか紹介します。富士山は元々信仰の山で、それ以外の目的、とくに科学研究のために活用されるようになったのは19世紀からです。1880年に、アメリカ人で東京帝国大学(現・東京大学)の物理学教師だったトマス・メンデンホール【2】さんが中心となり、山頂近くで気象観測をしたのが最初です。
その後、何と言っても画期的だったのが、NHKドラマ「芙蓉の人」【3】で広く知られるようになった、野中至【4】・千代子夫妻が1895年の冬期に、山頂の剣ヶ峰で観測を行ったことです。この頃は日本の国力は不十分で、中央気象台にも本格的な観測体制ができていませんでした。野中さんは、それなら自分でやると、田舎の家を売り払った資金で山頂に小屋を建てたのです。
千代子夫人もすごい方で、夏に小屋を建てるのを手伝っただけでなく、至さんが1人で冬期の観測をするのは無理と判断し、独学で観測技術を身につけ手伝うことにしたのです。至さんが、9月末に食料などの備蓄財の調達のために一旦下山し10月に再登頂したのですが、この時、千代子さんは乳飲み子を親に預け、弟の清さんを連れて合流しました。しかし、夫妻ともビタミンなどの栄養不足もあって体調を崩してしまい、12月に慰問に訪れた清さんらの報告を受けて救援に向かった中央気象台の技師らに担がれて瀕死の状態で下山したのです。

大塚― 本当にすさまじかったのですね。

土器屋さん― その後もいくつかの試みがありましたが、つぎの大きな出来事は、国際極年【5】にあたる1932年に、佐藤順一【6】さんが山頂(東安河原)に佐藤小屋と通称される小屋を建て観測に成功したことです。実は、この観測のために用意された国の予算は1932年の1年分だけだったのですが、観測が終わった後、中央気象台の技術者たちが自ら食料を担ぎ上げ、気象台長が資金集めに走り回り、継続に漕ぎつけたということです。その後、富士山頂で有人観測が続きました。

大塚― 2回目の国際極年にあたる1932年の頃、日本の気象研究はどのようなレベルだったのでしょうか。

土器屋さん― 日本の気象研究は、当時の国力を考えると頑張っていたといえます。その証拠に、オゾンの測定がこの時になされていたという報告があります。
その後戦争が起き、研究は全体として停滞するのですが、申し上げておきたいのは、終戦の1年前に陸軍が佐藤小屋に3300ボルトの送電線を敷設したことです。そのおかげで、1964年に富士山レーダーの設置が可能になったと思われます。富士山レーダーは、最大で800キロメートル先までカバーでき、当時としては世界一の性能でした。レーダー観測は当時の最先端の技術だったわけで、庁舎の建設技術者も含めて一種の誇りをもっていました。

【表】富士山測候所を中心とする略年表
年月(または年)できごと
1880(明13)年メンデンホール・中村精男他、剣ヶ峯・奥宮・賽河原で観測
1895(明28)年10-12月野中至・千代子夫妻、剣ヶ峯で観測
1927(昭2)年佐藤順一、東安河原に18坪の観測所(佐藤小屋)完成
1930(昭5)年1月佐藤順一(強力・梶房吉に助けられ)30日間の冬季観測
1932(昭7)年第2回国際極年観測の国際共同極地事業実施(中央気象台)
1944(昭19)年逓信院、VHF無線中継所(旧佐藤小屋)に3300V送電線の敷設
1964(昭39)年富士山レーダー完成
1981(昭56)年7-10月東北大・中澤高清他、二酸化炭素濃度を測定
1990(平2)年気象大学校が酸性雨及びエアロゾルの観測開始(土器屋他)
1992(平4)年気象研究所がオゾン観測開始(堤、財前、他)
1999(平11)年富士山レーダー運用終了
2001(平13)年レーダードーム撤去
2004(平16)年8月富士山高所科学研究会設立(測候所の利用継続を求める)
2004(平16)年10月富士山測候所無人化、富士山自動気象観測装置運用開始
2005(平17)年11月上記研究会を基にNPO法人富士山測候所を活用する会設立
2006(平18)年1月測候所施設をNPO等の民間に貸し出す法律改正
2007(平19)年7月本NPO法人が気象庁と7-8月夏期観測の最初の借用契約締結
2016(平28)年1月本NPO法人富士山測候所を活用する会が認定NPO法人となる
2017(平29)年11月本NPO法人が国際シンポジウム(ACPM2017)を主催(予定)

1980年代後半に気象衛星が打ち上げられ、レーダーが撤去された後には、大気観測のため多くの測定装置が設置されるようになった

大塚― 富士山レーダーの運用についても、もう少しお話ください。

土器屋さん― 1932年から続いた有人観測では、概ね3週間交代でほぼ5人ずつが観測のために張りついていました。通勤は、雪山を登っていくので大変でした。そのために、4人もが殉職されています。

大塚― 殉職者が4人も出たなかで続けられたのですね。富士山レーダーのおかげで、多くの被害をもたらしていた台風を早期に察知できるようになったのですね。

土器屋さん― そうです。それ以前と比べ、台風の進路予測の精度が格段に良くなりました。レーダーがなかった時代の伊勢湾台風や狩野川台風の被害【7】と比べて多くの人命が救われたのです。
つぎの転機は、1980年代後半に気象衛星が打ち上げられたことです。気象衛星が運用されるようになり、気象庁は重厚長大なレーダーは不要と判断し、1997年に、レーダーの更新をしないことが決定されました。

大塚― 測候所では、どのような状況だったのでしょうか。

土器屋さん― 1999年にレーダー観測が終わり、2001年にレーダードームが撤去されました。実は、富士山測候所ではその頃、気象研究所の職員を含む多くの研究者たちが、雨、エアロゾル、大気中のガスなどを測定しており、研究の成果もあがりはじめていました。たとえば、2000年6月26日に三宅島が噴火した時、二酸化硫黄【8】を測定した研究者もいたのです。
レーダーが取り除かれた後を、多くの大気化学の測定装置が占めていました。

大塚― 気象観測を目的とした測候所で、大気化学あるいは環境科学の研究者が富士山の魅力を見出したということでしょうか。

土器屋さん― はい、その通りです。東北大学の中澤高清さんらは、1980年代初頭から大気中二酸化炭素濃度の測定をはじめられていましたが、多くの大気化学の観測が盛んに行われるようになったのは2000年頃でした。この頃には、産業技術総合研究所や国立や私立の大学の研究者たちも観測に加わるようになりました。なお、私自身は1997年に東京農工大学に移っていました。

大塚― 世界的に見ても、大気化学の観測のレベルアップが進んだ頃ですね。

土器屋さん― ご存知と思いますが、大気中の二酸化炭素濃度の測定でよく知られる、アメリカ・ハワイ島のマウナ・ロア【9】の観測所は、元は測候所だったのです。私どもも、富士山測候所を同じように活用することを望んだのですが、日本では省庁間の壁も高く、大気化学の観測センターへの転換はかないませんでした。

2006年の法律改正で国の庁舎の民間への貸出しが可能になり、富士山測候所も対象になった

大塚― 気象学はもちろん重要ですが、地球規模での環境問題の重要性が増すにつれ大気化学の重要性も増していますよね。
ところで、大気化学の立場から富士山が優れている点をご紹介ください。

土器屋さん― 富士山が日本の真ん中に位置し、かつ独立峰ということです。そのため、地球表面の影響を受ける大気境界層よりはるかに上で、人間活動の影響もほとんど受けない自由対流圏【10】に位置しているのです。おまけに、かなり離れたところに山小屋があるくらいで、人為的な物質の発生源もほとんどなく、これ以上はない優れた観測ポイントです。

大塚― レーダードームが2001年に撤去された後、どのようなことが起きたのですか。

土器屋さん― 測候所を所有する気象庁は、予算がつかない施設を維持することはできず、しかも過去に4人も殉職者を出していることもあり、2004年に無人化(非常駐化)を決定しました。富士山頂は雷が頻繁に起きるので。無人化すると人の手で切り替えられないため電源を完全に切ることになります。気象庁が、アメダス基地【11】としてバッテリーをつかって続けている気象観測を別にすれば、通常の観測はできません。
ところが、2006年に法律改正により国の庁舎の民間への貸出しが可能になり、富士山測候所もその対象になったことから、その借り受け団体になることを目指しました。私たちは、それまでの「富士山高所科学研究会」を「特定非営利活動法人(NPO法人)富士山測候所を活用する会」に組織替えしました。2005年11月のことでした。
NPO法人として研究(教育を含む)目的以外には使わない、一切の電源費用を支払うなどの条件で、最初の2回は3年契約、3回目から5年契約で借用し測定を続けています。

大塚― 大変なご苦労をされているわけですね。

経費だけでなく、安全面での問題もあって、夏期の2カ月間しか観測できない

NPO法人富士山測候所を活用する会の年間運営経費4000万円の内訳
[拡大図]

土器屋さん― 一番大変なのは、お金を集めることかもしれません。現在行っている夏の観測を行うだけでも、年間に約4000万円かかります。公的な資金援助はありませんので、会費と寄付、それから応募して採択された助成金で賄っています。最初の5年間は、海洋研究開発機構【12】との共同研究が大きな支えになりました。その後は、民間の三井物産の環境基金や新技術振興渡辺記念会に応募し、助成金をいただくことで維持しています。

大塚― 研究面で苦労されていることもご紹介ください。

土器屋さん― 最大の問題は、夏期の2カ月間しか観測できないことです。経費だけでなく、安全面での問題もあるからです。そのような中で、私たちと一緒に研究を続けてきた国立環境研究所の向井人史【13】さんたちのグループが、バッテリーで動く省エネ型の装置の開発に成功しました。2009年から、16キログラムのバッテリー100個を山頂に持ち上げ、その装置で通年観測をしています。

大塚― それほど重いものを人力で持ち上げているのですか。

土器屋さん― ブルドーザでギリギリのところまで運び、そこから先は人力で運び上げます。山男たちも随分頑張ってくれています。気圧の低い場所での重労働であり、夏でも気温が零下になり凍死者がでたこともあるほどなので、安全第一でやっています。ともかく、通年観測が可能になったのです。
2カ月間の夏期の観測を行うにも、いろいろな配慮が必要です。たとえば、研究者も皆が皆、高山環境に強いわけではなく、1/3くらいの方が高山病に罹ります。さまざまなことに対処するため、開所期間中は山男たち3名が常時駐在するようにしています。


通年観測の測定結果は、マウナ・ロアと比較できる良質なデータ

大塚― 通年観測の研究成果についてお願いします。

土器屋さん― 何と言っても、地球温暖化に深く関係する大気中の二酸化炭素濃度の通年観測ができるようになったことです。夏期には、2カ月という短い期間ですが多くの項目を測り、同時にバッテリーの充電をします。一方、冬期には1日に1回だけ測るようにしていますが、この測定結果は、ハワイのマウナ・ロアと比較できる良質なデータであり、とくに中緯度の自由対流圏での貴重な測定データとして世界で高く評価されています。
ほかにも多くの観測がなされているのですが(研究の例を下の4枚の図に示します)、大気化学以外の分野の一例として、NPO法人が測候所を利用するようになって始まったものに雷の観測があります。富士山測候所では、雷が鳴ると電源を切らなければならず迷惑に感じていたのですが、東京学芸大学を中心とする研究グループが雷の測定をはじめたのです。雷がガンマ線を出すことに着目し、宇宙線と大気電波の観測を進めています。夏の雷雲は地上4キロメートル以上も高いところにあり、地上からは測れず、富士山頂だからこそ測れるのです。

早稲田大学・大河内博教授グループによる「霧水・降水・エアロゾルの化学研究」-1 ハイボリウムエアサンプラー(2017年7月15日)

早稲田大学・大河内博教授グループによる「霧水・降水・エアロゾルの化学研究」-1 ハイボリウムエアサンプラー(2017年7月15日)

早稲田大学・大河内博教授グループによる「霧水・降水・エアロゾルの化学研究」-2 雲水採取装置(2015年8月19日)撮影:稲垣純也

早稲田大学・大河内博教授グループによる「霧水・降水・エアロゾルの化学研究」-2 雲水採取装置(2015年8月19日)撮影:稲垣純也

東京理科大学・三浦和彦教授グループによる「エアロゾルの物理研究」ナノ粒子測定装置(2017年7月20日)

東京理科大学・三浦和彦教授グループによる「エアロゾルの物理研究」ナノ粒子測定装置(2017年7月20日)

東京学芸大学・鴨川仁准教授グループによる「雷の研究」高高感度カメラ(2013年7月19日)

東京学芸大学・鴨川仁准教授グループによる「雷の研究」高高感度カメラ(2013年7月19日)


大塚― 多くの成果もあげておられますが、土器屋さんが今目指しておられるのは何でしょうか。

土器屋さん― 通年観測を拡充することです。省エネで通年測れる項目を増やすことを、今年の目標にしています。具体的には、超小型でソーラーパネルを窓越しに置くだけでも可能な観測システムを作ろうと考えています。
とくに成功させたいのは、二酸化硫黄の通年測定です。富士山は火山ですし、二酸化硫黄濃度が急に上がることがありますが、現在のところ、浅間山の影響か富士山自身の影響か分かっていません。この解決に必要なのは、バッテリーで通年観測をできるような省エネルギーシステムの開発にかかっており、現在改良している最中です。

大塚― ところで、今年はNPO法人としてイベントを企画されているのですね。

土器屋さん― NPO法人として山頂観測10周年を迎えますので、11月に、山を観測地点として使う大気化学・物理の研究者が集まる国際集会「山岳を観測地点とする大気観測(ACPM)」【14】の第3回目を、私たちNPOの活動拠点である静岡県の御殿場で開催する予定です。
ACPMは、1回目をスイスのインターラーケンで、2回目をアメリカ・コロラド州のスティームボートスプリングスで行っており、今度が3回目になります。地球環境を理解する上での山の役割を重視し、そのネットワークつくりに力を入れ、世界で高く評価されていますが、残念ながら、アジア地域ではこの認識が遅れています。

大塚― 是非、実り多い集会にしていただきたいと思います。

科学的な視点をもち安全が確保されてさえいれば、富士山を活用するどのような提案も歓迎

大塚― 最後になりますが、EICネットは多くの方々にご覧いただいています。土器屋さんから、読者の皆さまにあてたメッセージをお願いいたします。

土器屋さん― NPO法人富士山測候所を活用する会の活動を続けていて、本当に感じるのは「富士山はとても面白い」ことです。もちろん私自身を含め、多くのメンバーは大気化学の観測や宇宙線の観測などをしておりますが、私も最近は教材作りを手伝う機会もあり、芸術などのさまざまな分野の方々と接することが増えています。その中で、富士山頂の価値を改めて強く感じています。
私たちのNPO法人も、富士山を使おうとお考えの方々から多様な提案をいただき、その中からいくつかのテーマを選びサポートさせていただいています。このエコチャレンジャーを読まれた皆さまの中にも、富士山を使ってみたいと思われる方は是非ご提案ください。私たちのNPOは、科学的な視点をもち安全が確保されてさえいれば、どのような提案も歓迎いたします。
しかし、一方で、10年で建物や電源の劣化が進んでいて、今後そのメンテナンスに経費が多くかかりそうです。気象庁には予算がないので、私たちのNPOがやらなければならず今後ますます負担が大きくなると思われ、財政的な先行きは明るくないのです。
最後になりますが、私たちの活動をご支援くださった多くの皆さまに感謝するとともに、これからもご理解とご支援をいただければ幸いです。

大塚― 本日は、富士山測候所における気象観測と大気化学の観測について、研究の意義、その歴史、そして今後の展望までお話しいただきました。土器屋さんには、これからもますますご活躍いただきたいと思います。ありがとうございました。

認定NPO法人富士山測候所を活用する会・理事の土器屋由紀子さん(左)と、一般財団法人環境イノベーション情報機構理事長の大塚柳太郎(右)。

認定NPO法人富士山測候所を活用する会・理事の土器屋由紀子さん(左)と、一般財団法人環境イノベーション情報機構理事長の大塚柳太郎(右)。


【1】丸田恵美子(まるた えみこ)
 現在は、神奈川大学理学部生物科学科教授。同氏の研究分野は、植物生態学、植物生理生態学、樹木水分生理学。
【2】トマス・メンデンホール(Thomas Corwin Mendenhall、1841.10.4〜1924.3.24)
 1878年に東京帝国大学の物理学教師に迎えられ、同大学で教鞭をとるとともに、富士山頂で重力測定や天文気象の観測を行い、日本に地球物理学が芽生えることに貢献した。
【3】「芙蓉の人〜富士山頂の妻」
 新田次郎による小説。この小説を原作としたNHKテレビドラマが、1973年、1977年、1982年、2014年に放映された。
【4】野中至(のなか いたる、1867〜1955)
 本名は野中到。1889年に富士山観測所の設立を思い立ち、大学予備門(東京大学教養学部の前身)を中退し、同年に同志とともに富士山頂(剣ヶ峰)と山中湖畔で気象観測を初めて行った。
【5】国際極年(こくさいきょくねん)
 極地の気象・地磁気・極光などの地球物理的現象の観測を行う国際協同事業。第1回は1882年8月〜1883年8月、第2回は1932年8月〜1933年8月に行われた。第3回以降は、国際地球観測年と改称して行われている。
【6】佐藤順一(さとう じゅんいち、1872.10.25〜1970.4.26)
 1901年に茨城県・筑波山に設立された山階宮気象観測所の初代所長。1920年に中央気象台の技師になり、1926年には大日本気象学会の幹事になる。1907年に寒中の富士登山に成功し、1927年には山頂の東安河原に「佐藤小屋」と通称される観測小屋を完成させ、1930年1月から1ヵ月間の冬期観測に初めて成功した。
【7】伊勢湾台風や狩野川台風の被害
 伊勢湾台風は、1959年9月21日マリアナ諸島の東海上で発生した台風第15号のこと。9月26日18時頃、和歌山県潮岬の西に上陸し、本州を縦断して、北陸及び東北地方の日本海沿いを北上し、東北地方北部を通って太平洋側に出た。特に伊勢湾沿岸で甚大な被害を及ぼした。
 狩野川台風は、1958年9月21日にグアム島近海で発生した台風第22号のこと。26日21時過ぎに静岡県伊豆半島の南端をかすめ、関東や三陸沖を北上した。伊豆半島中部で特に集中して雨が降り、大量の水が流れ込んだ狩野川が氾濫し、甚大な被害をもたらした。
【8】二酸化硫黄(SO2
 化石燃料の燃焼時に、不純物として含まれる硫黄の酸化により発生する。大気中で酸化して三酸化硫黄となり、さらに水と結合して硫酸ミストとなって浮遊する。主要な大気汚染物質の1つ。火山噴火によっても発生する
【9】マウナ・ロア(Mauna Loa)
 アメリカ合衆国のハワイ島に位置する山。標高3397メートルに観測所が設置されており、局所的な大気変動の影響を受けにくい標高を活かした、温室効果ガスなどの長期観測で知られる。
【10】自由対流圏
 地球の大気の鉛直構造の最下層が対流圏であり、対流圏の中でも地面との摩擦や地形の影響を受ける大気境界層より上で、これらの影響から自由な「自由大気」から成る部分を指す。中緯度の平地や海洋の場合、約1キロメートルから11キロメートルまでの高度が自由対流圏に相当し、大気の総重量の70〜80%を占め、物質輸送や大気化学反応の起きる場として重要である。
【11】アメダス
 自動気象データ収集システムの略称。日本国内に約1300ある気象観測所で構成される、気象庁の無人観測施設の総称で、最も一般的に観測されているのが気温と降水量、ついで風向・風速と日照時間である。
【12】海洋研究開発機構(JAMSTEC)
 国立研究開発法人の1つで、海洋に関する基盤的研究開発、海洋に関する学術研究の協力推進等の業務を行い、海洋科学の技術向上を図るとともに、学術研究の発展に資することを目的とする。
【13】向井人史(むかい ひとし)
 現在、国立環境研究所地球環境研究センター長。大気中の温室効果ガスの動態などを研究する。
【14】山岳を観測地点とする大気観測(ACPM)
 ACPMの正式名称は、Atmospheric Chemistry and Physics at Mountain Sitesであり、本年、御殿場で開催予定の第3回集会は、ACPM2017とよばれている。
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